阪急高架下、17時30分、古村乃愛
「ねえ、ちかちゃん」
「ど、どうしたの?」
「昔話……思い付いたんだ」
「昔話?」
「いや、ちがっ…御伽噺だね。フェアリーテイル。良かったら聞いてほしいなって」
「あ…え……?うん…」
「いい?」
「や、それより……いや大丈夫。聞こっかな?その話」
「ありがとう」
「いいってことよ。もしも出来が良かったら夏の宿題の自由作文で流用するから」
「ひどーい!!パクリ!パクリだよ!」
「ははは、んじゃ出来が悪かったらもらおっかな?」
「そ、そうだね。んじゃ、始めるよ」
「うん」
「むかーしむかし、ある所にものっすごいわがままなお嬢様が居ました。お嬢様は傲慢で気が強く、いつも周りを困らせていました」
「うん」
「ある日、お嬢様は上手にピアノを弾けるようになりたいと言って、高価なピアノをねだりました。子に優しかった両親はそれを許し、ピアノを彼女に与えました」
「うん」
「しかし、お嬢様のピアノの腕は上達しませんでした。しっかり指導者も雇っていたのに、です。これは彼女の才能不足なのか努力不足なのかわかりませんが、とにかく彼女はピアノが大っ嫌いになりました」
「うん」
「ある日お嬢様はこう言いました。『こんなピアノ嫌い!見たくない!捨ててきて!』と。自ら望んで買ったものなのに…両親はそう思いつつ、そのピアノを撤去しました」
「うん」
「そのまま捨てても良かったのですが、どうせならと恵まれない子供達にプレゼントしました。そうした子供達を預かっている施設に設置したのです」
「……」
「そこで1人の男の子が、生まれて初めてピアノに出会いました。その男の子は誰に教えられるわけでもなくピアノを弾き始め、他の子供達に向けて聞かせ始めました。その音色はとても心地よく、赤ちゃんも泣き止み、喧嘩していた幼子もその手を止めるほどのものでした」
「……」
「周りの大人たちは『天才だ!』『神童だ!』と囃し立て、男の子に楽譜を分け与えたり、発表会に無理やりねじ込んだりとフォローしました。それに見合うように、男の子のピアノの腕もどんどんと上達し、大人顔負けとも評されるほどになりました。それに対して、その男の子と同い年のお嬢様は面白くなく思っていました」
「……」
「そしてお嬢様は頼み始めたのです。『もう一度、あのピアノが欲しい』と。そして結局、ピアノはお嬢様の部屋でインテリアの一部となってしまいました。それだけでなく、発表会への取りやめも言い渡され、貧乏人が盗んだピアノで小銭を稼ごうとしていたなどとあらぬ噂まで立てられてしまいました。その男の子は落ち込んで、2度とピアノに触れることはなくなってしまいました」
「……」
「だ、だめかな?」
「うーん、もうちょっとハッピーエンドが見たいかな。ほら、今のところ誰1人として幸せになってない…」
「あ、今続き思いついた!!これならどう?」
「お、どんなの?」
「そんな男の子に救いの手を差し伸べたのは、同じ施設出身のカフェのマスターでした。彼は必死に説得し、もう一度男の子にピアノを弾く機会を与えてくれました」
「うん」
「当初男の子は嫌がりました。またみんなの前に立って演奏したら、次は何をされるかわからない、と。それを聞いてマスターは言いました。それじゃあこうしよう、毎年この日だけは、ピアノを弾いていい日にする。年に一回なら、お嬢様だって許してくれるだろうって」
「……」
「そうして彼は、みんなの前に戻って来ました。毎年5月3日は、その男の子が唯一ピアノを弾ける日になり、お嬢様は彼が喝采を浴びるこの日をとても嫌うようになりました。ちゃんちゃん!」
「……なるほど」
「どう?ハッピーエンド、かなあ」
「うーん、オチがね。男の子がこれまで以上に有名となりました!とか、お嬢様が因果応報でひどい目に!とかの方がわかりやすいかも…」
「確かに……そっか。やっぱりさ」
ここで私はまた天を仰いだ。
「そのお嬢様は、もっとひどい目に遭うべきなんだよね、きっと」
「……」
鳴り止まない音楽を背にして、私達2人は立ち尽くしていた。風とともに運んでくるキーボードの音が、ザクザクと背中に突き刺さった。私はまた黙って天を見上げていた。それにもう、ちかちゃんは突っ込んでくれなかった。結局そこから、1度も友一の方を見ないまま、5月3日は過ぎていってしまったのだった。




