阪急高架下、17時30分、新倉友一
まだ楽器の正面に入れていないというのに、ベースの音が低く響いた。それに呼応して、ツインギターが息ぴったりに響きあう。なぜリズム隊のドラムが1番遅れれているのかわからなかった。そりゃ、酒を飲んだからか。
何を弾けばいいかわからないまま、ベースのコードに全乗っかりしていた。ぐっちゃぐちゃの曲編成は、特にそういった勉強をしていない自分でも肌感覚で理解できる領域だった。なんとなく音が落ち着き始めたのは、開始1分を過ぎた頃から。そしてそれに合わせるように、前で2人踊り始めた。
残念ながら俺は踊りの専門用語に疎い。だからと言って楽器の専門用語に聡いかと言われたら、ピアノ教室に通っていたわけでも親類に有名な演奏者がいるわけでもないからわからないが、ダンスの知識は一般人のそれより大きく劣っている自信があった。ステップくらいしかわからないし、ステップの種類もわからない。
それでも塚原真琴のダンスは非常に激しく、頼さんのダンスはその激しい動きの中に雅な雰囲気も付随しているように思えた。交互に出る手、つま先1つ軸にして回転する体。早すぎてどう動いているのは詳細に描写できない足。そして何より、違う動きをしているのに完璧に息のあったダンス。もしかしたらそう見えているだけで、玄人が見たらまるで息が合っていないのかもしれないが、それでも観衆を沸かせるには十分だった。
「ゲリリに来ました!eithe…改め、NeitheRです!宜しく!」
手を止めることなく、動きを止めることなく、ドラムは語り始めていた。
「これまでrのつく人連れて来ては、ここで『俺たちはeither!!俺もお前らもみんな同じなんだ!!』とか言ってたけど、今回ついにneither!!離れちまったぜ俺とお前ら」
こんなことで爆笑が起こるなんて、やはり今日の客はどこでもノリが良すぎるのではないか?それか、それはこのバンドの期待の表れか。ゲリラライブというのに、予定上誰も入っていなかった高架下ステージに多くの人が集結しているのも、そういう理由なのかもしれない。
「それじゃあ今宵のみのメンバー、紹介しちまうぜ!」
来た!ここが勝負所なのだ。名前を紹介が終わった瞬間に、ソロパートを弾く。ダンサーの場合は、ソロで前に立ちダンスを披露する。何しても自由なこのバンドにおいて、唯一の制約であった。
「JCカフェで、年一で弾かねえその腕を、3年かけて口説き落としきった!」
口説いたのは頼さんだけどな。しかも3年て、この話聞いたの一昨日だぞ。しかし会場が盛り上がっているから怪訝な顔はしなかった。
「アップテンポもスローテンポもなんのその!ジャズストの申し子が遂に、JCカフェ以外でお前達に音を届ける!」
俺は少し息を吐いた。クサイ口上は酔っ払いの妄言として置き去りにして、少しだけ舌を出した。
「キーボードゥ、A nor Bの『nor』」
万雷の拍手とともに、俺は主旋律を奏で始めた。特に何も決めていないまま、コード進行に合わせてトレモロを多用していた。そろそろ飽きて来たかなと思い音をずらし、その上に黒鍵を絡め始めた。楽譜も何もない、正解も何もない、ただただ頭に浮かんだメロデイに隷属され鍵盤を叩くのは、思っていたより心地よかった。不思議な感覚だった。
5年も我慢したんだ。これくらい許されてもいいだろう。誰かの声がした。多分、自分自身の声だ。そうだ。これは5年分のご褒美だ。次は22歳か。想像もできないな。
ソロパートが次に移るまで、俺は感じたことのない満足感で胸がいっぱいになっていた。




