柿園小学校、17時00分
会長の様子がおかしい。
人の機微に鈍感な自分でも、それくらいは理解できた。
さっきからキョロキョロと周りを見回しているし、そわそわした様子で会話についていけていない時もあったし、何より彼女の気品ある振る舞いが、先程のライブ後から見られなくなった。今の彼女はどこか迷いがちで落ち着かない普通の少女だ。
吹奏楽部の演奏が始まろうとしていたが、そんなもの眼中にないかのように線路の方を見続けていた。耐えきれなくなって質問したのは、彼女のサポーター()役として名高い竹川さんだった。
「あれ?どうしたの乃愛ちゃん?」
「え?」
「線路の方見てたからさ。人影でもいたの?」
この辺りの阪急電車は全て高架となっていた。誰かが侵入するはずもない。よっぽどあの紫の車体に興味を持つ人間じゃないと見続けたりしないだろう。いや、おそらく見ていないのだ。彼女は心ここに在らずなだけなのだ。
「体調悪いのか?会長」
僕は恐る恐る尋ねてみた。会長は視線こそこちらに向けてくれたが、焦点があっていないように思えた。
「いや、そんなことないよ!大丈夫!ちょっと疲れちゃったかな?」
何1つ大丈夫とは思えない言動。
「ちょっと休んでくる?ほら、あそこの市役所に休憩スペースあるらしいから」
「いやでもあそこタバコ部屋だよ?喫煙スペースになること多いから」
前の方で武田さんと衛藤君が新河君を煽る中、僕と竹川さんで会長の心配をしていた。
「そっか…んじゃどこで休憩…」
「そんなそんな、気にしなくてもいいって!!大丈夫だから!私は大丈夫!それよりさ、ほらそろそろ演奏始まるよ!」
そんな無理をする彼女が、痛々しくて仕方なかった。
「やっぱり、さっきの…」
「遠坂くん!」
遮られてしまった。大声だった。まるでその大声を合図にするかのように、トランペットが鳴り響いた。周りがどっと沸く中で、会長は少し声のトーンを落として言った。
「ちょっと私、抜けるね」
「え!?」
僕以上に驚いた声を出していたのは竹川だった。
「行かなきゃいけないところ思い出したから、ごめんね!今日は来てくれてありがとう!」
そして人混みをさっと抜けて行く会長。僕と竹川は、さっき買ったかき氷を手に持ちながら呆然としてしまった。追いかけようとも思ったが、素早い上に土地勘があり、なおかつ人が多かったこともあり、一瞬で姿が見えなくなった。
後ろでは、モーツァルトのフィガロの結婚が流れていた。好きな曲なのに、その時だけは耳に入ってこなかった。




