夜の部その③
この話を最初にしたのは他でもないマスターだった。
「僕と一緒に、ステージに立たないか?」
それは、JCカフェ以外でもう何年もピアノを弾いていない自分からしたら、半ば突拍子のないものだった。しかもこれを言われたのは、2日前。そう、ピアノの調律の直後である。
「それはジャズストのステージってことですか?」
「そう、あまり大きな声ではいえないが、プログラムに書かれていないゲリラライブ的なものを行う集団がいてね。eitheって言う名前なんだけど。そこに僕がダンサー、君がキーボードとしてその日だけ参加しないかって」
あまり興味が湧かなかった。さっさと断ってしまおうかと思った。しかしながら、他でもない頼さんのお願いである。それも具体的な日程も教えてもらい、何より頼さんと同じステージに立つのだ。長年お世話になっている彼の力になるのは、悪くないだろう。
「メンバーは?」
「あーAさんBさんはいないよ。多分全員知らないんじゃないかな?」
「そうですか…それは、自分をもっと別のステージで輝かせたいっていうお節介ではないんですよね?」
少し意地の悪い質問だった。それに対して頼さんは、何1つ悩まずに答えた。
「もちろん違う。僕はただ、君と同じステージに立ちたいだけだ」
と言っていたのを思い出しつつ、階段を降りていた。ドアを開けると、そこに待っていたのは…あれ?誰もいない?
「ごめんごめん、ちょっと野暮用に引っかかってて」
そう言って後ろからドアを支えてきた、齢40前後の優男。年齢に似つかわしくないすらっとした長い足と長い手。中規模クラスのカフェを1人で切り盛りするマスター。そして、鷹翅の遠い遠い先輩。
詳しい話は聞いたことない。まあ俺も詳しい話など言ったことも聞かれたこともないのだが。俺の知っているマスターは、同施設出身のよしみで、どうしようもなく落ち込んでいた俺に演奏の場を与えてくれた人。
「ってゆーか誰も来てないじゃないか!16時集合って言ってたのに…まあいいか。それじゃあ、今日はよろしくね」
にこりと笑って、マスターは席に着いた。阪急高架下、17時30分。本日2回目のライブ演奏が、徐々に近づいて来ていた。




