夜の部その②
人混みをドリブルするように、塚原真琴は俺というボールを後ろに携えて進んでいた。いまだに手首を強く握られたままだった。このまま血管が止まって左手壊死してしまうのでは無いかと思うほど力が強かった。
ようやく信号に引っかかって足を止めた。阪急槻山高架下広場、新しいバンドが音を奏で始めようとしていた。時刻は…4時5分前。
「こんなにも慌てる必要あったのか?もうちょい…」
「後1時間半後に本番なんだから、間違ってない行動のはず」
「良くねえよ。こちとらもう疲れてんのに、お前に走らされて…」
「口答えすんな新倉友一。あんたの戯言聴いてたらいらいらする」
常に俺の発言権を奪うように、塚原真琴は覆い嵩張るような話し方で畳み掛けて来ていた。
「で、どこに行けば良いの?そもそも先輩って、誰だよ。発起人?」
「発起人」
「塚原の高校のか?」
「真琴」
「は?」
「ここはバイトじゃ無いんだから、真琴」
「そんな戯言聞こえねーな、塚原さん」
俺は少しだけ意地悪な対応をした。少しくらいは先ほどの塚原真琴の態度を不満に思っていたのだ。こちとら楽しかった時間をぶち壊しにされて、多少とも怒ってんだぞ。残された乃愛の遣る瀬無さを考えて、あいつが可哀想だと思わないのか?そんな俺の思いとは裏腹に、信号が変わると再び掴んだ左手を引っ張り始めた。先程よりも、強く。
「いててっ!もう自分で歩けるって!」
「掴んで無いと逃げるから」
「逃げねえよ」
「いいや逃げる」
「むしろそうやって無理やり引っ張っていく方が逃げると思うぞ」
そう言った瞬間に塚原真琴はパッと手を離した。お陰で前のめりに倒れそうになった。
「なんでお前はそうやって中途半端に素直なんだよ」
「馬鹿だって言いたい?」
「そこまでは言ってない」
「そ、そっか」
今のも、そこまではってことは多少お馬鹿さんだと思ってるってことなんだけどな。彼女に皮肉は通じないみたいだ。
「いいからのんびり歩いて行こうぜ。で?どこに向かえばいいの?」
「鷹翅」
「は?」
「冗談」
少し狭い路地裏に連れて来こられていた。塚原真琴は自身の小さな身長にぴったりあっている幼い顔を崩していた。その笑みはまるで、ファンタジー映画に出てくる天邪鬼な妖精のようだった。
「でも先輩は、本当に先輩。鷹翅の先輩」
「へえー誰だろ」
「誰だろうね」
足を止めたのは、見るからに怪しげなお店、いやその地下にあるバーだろうか。どちらにしてもまともな店には思えなかった。
「向こうの人は待ってる。早く行け」
「え…でも…」
「いいから!」
すぐに怒鳴る塚原真琴に背中を押されながら、俺は地下へ向けた階段を下っていった。
「なあ、本当にここで…」
「いってらっしゃい」
最後まで、塚原真琴は意地悪だった。突き放した口調とは似合わない幼い笑顔は、正に妖精と呼ぶのにふさわしかった。




