5月1日その⑧
ご飯の後、食器をあらかた片付け終わったら、俺はスマホを開き、乃愛はラストスパートにかかっていた。当然そうなると、2人は無口になる。机を挟んでお互い、無言のままダラリとしていた。
これでは集中力がもたない、そう思ったのか、乃愛とまた、なんてことない話をし始めた。
「友一、私ね、最初にジャズスト以外人前でピアノを弾かないって聞いた時、絶対嘘やって思っとってん」
「ほう」
「だって、あんなにピアノ上手い人が、人前で弾きとうないはずって!とっても楽しそうに弾いとるし、聴きに来とるみんなも楽しんで帰ってくのに、何が不満なんやろって」
「不満はなかったけどな。むしろ…」
「満足し過ぎる、で合っとう?」
「そうだ!乃愛もだいぶ俺の言ったこと覚えているようになったな」
「だてに一緒に住んでないからな!それに、去年よく尋ねとったことやしね」
「………」
「友一、人がね、もっと色んな人から褒められたいとか、より多くの人に見てもらいたいとか、そういうのって愚かでも間違いでもなくて人間として正しい欲やと思っとるんよ」
「うん」
「特に点数とか勝ち負けとかある球技や、私がやってるような明確なタイムの見える競技と違って、誰かと競う訳でもない音楽において、もっと上手くなりたい、上手くなって会場盛り上げて色んな人から称賛を浴びたいって、そう思うのはごく自然な流れやと思うねんな」
「それが欠けていると」
「欠けているのは自覚しとうやろ?」
「…………」
「昔はそれが信じられなくて…ほら、私って音楽系さっぱりやん?」
「歌は上手いんじゃね?しらねぇけど」
「残念ながらカラオケで80点超えがそこそこ。悪い意味でネタにならないくらいの音痴や」
「80点ってすごいんじゃね?行ったことねえからわからんねえわ」
「あ、そっか。んじゃ今度行こっか?」
「いつだよ。そんなことに使う金あんのか?」
「クラスの誰かが企画してくれとるって、きっと」
「まああるかもしれねえな。行くかどうかはおいといて」
「………」
「………」
「私はさ、それが欠けててもええと思うようになってんな」
「………」
「多分色んな人に見てもらいたいって思ったら、どんどん欲深くなっていって、そりゃもっと上達するかもしれんけど、でもこれまでの人数だと満足できなくなってまう。終いには壁にぶつかって、うまくいかないと嘆き出す。それも含めて人は、芸術だろなんていうかもだし、そうした過程を否定する気なんてさらさらない。でも…」
「………」
「だからと言って、友一の考えを否定するのはおかしい。1年に一度の、5月3日だけピアノを弾くのは、殊更に否定されるものではないって思っとる」
「………」
「やからさ、うん。明後日のジャズストの後、もしかしたら色んな人に弾いてって言われてまうかもしれないけど…」
「………」
「断って大丈夫やからね。私は楽しそうにピアノを弾いてる友一が……友一?」
「………zz」
「なんや寝とるやんけ!ほんま…疲れたんかな?」
「………」
「机に突っ伏しとるわ…バスタオルくらいかけたろ」
お前がこっぱずかしい話をするからだよ!!!
俺は耳まで真っ赤にしながら、押入れの方を向いた乃愛を全力で睨んでいた。その後バスタオルを持って振り返った瞬間に、再び顔を突っ伏して寝たフリをした。
さらっとタオルがかけられた。ついでに耳元で囁かれた。
「頑張ってね、友一」
赤く火照った耳に、それは熱風のごとく感じられた。それを隠すように、俺は腕で耳を塞いだが、熱くて火傷しそうだった。




