初日夜の部その③
小学生の頃、モーツァルトになりたかった。
マリーアントワネットと結ばれるには、彼になるしかないと思った。
ピアノ演奏会の後、告白をしてなお結ばれなかった彼だけど。
自分なら、それをハッピーエンドに持っていける。
そう信じていた。
幼き頃の、ただの妄想だ。
「ゆーいち、どうしたの?」
王女様、いや、元王女様が声をかけてきた。
「ピーマン焦げてんじゃん、食べろよ」
新河がひょいっと紙皿にカーボンがかったピーマンを乗せた。僕はそれを見つつ、黙々と食べていた。
周りでは歓声が上がっていた。このお肉おいしいー!とか、ご飯まじうめえー!とか。俺は端っこに座って、屋外に広がっている星を見つつ、黙々と野菜を食べていた。
いつからそう思わなくなったのかは、思い当たる節がある。
コンサートに出ないことになったあの日だ。
あの日から、日課のように弾いていたピアノから離れた。
多分才能も、努力も、熱意も、何より環境も、
何一つとってモーツァルトに敵わなかったのだろう。
あの時とまった時計は、未だに動いていない。
あれからピアノを弾く機会はあった。
それはそれで嬉しかった。
目標なく生きていた自分を弾き入れ、年に一度の居場所をくれた嶺さんには、未だに頭が上がらない。
多分あのまま過ごしていたら、ピアノなんて嫌いになっていただろう。
「いやだからゆーいち、今度はナスが焦げてるから」
今度は乃愛が直接取り皿に入れてきた。流石に少し心配になったのだろう。
「どうしたん?何かあったん?」
周りのザワザワで聞こえないほどの声の大きさで、乃愛は尋ねてきた。遠くで竹川が席を変えようとしていたが、古森によって制されていた。
ふと乃愛の顔を見た。あの時より肉も少なくなり、髪型も変わってしまったが、面影だけは少し残っていた。
「ん?私の顔になんかついてる?」
でもあの時の彼女ではない。待ち焦がれ望んでいた王女様ではない。そんなことはわかっているのだが、どうしてもあの幻影を追ってしまうのだ。
「油でも跳ねたかなあ……」
「乃愛」
俺は目の前に座る新河にも聞こえないような声でこう呟いた。
「マリーアントワネットに、戻りたくないか?」
何を言っているんだろう。ここだけ見た人はそう思うだろう。でも、俺たちにとってそれだけで意味も言葉も通じる。
乃愛は驚いた顔をして、焦った顔をして、そしてすぐ、覚悟を決めた顔をした。
「戻りたくない……」
そしてよく焼けた牛肉を手にした。
「私は、今の……」
続きはなかった。言い澱んで、誤魔化すように肉を食べた。俺もつられて、焦げたナスを食した。少し焦げがついていても、美味しいと思ったのは不思議な話だ。




