8月19日その⑧
どうせなら明るい曲を弾こう。最初に誘ったときからそう心に決めていた。ジュノームのような女性の大胆さを表現したドラマチックなものじゃなくていい。フィガロの結婚のように貴族批判を入り混ぜた皮肉なんてもってのほかだ。悲恋的なものだって、この場では必要ない。あくまでも大切なのは楽しんでもらうこと。お客さんを、マスターを、そして目の前の彼女にとって邪魔にならない程度の休日を味わってもらうことだ。
ハ長調は指に合っているのか、それとも明るい曲が自分に合っているのかはわからない。しかしながらこの曲を昔から弾いてきた。ピアノ協奏曲20番のアンサーソング、ピアノ協奏曲21番。通称は同作が後年に使用された映画より採択されている。
アレグロだというのに、はなからヴィヴァーチェで弾き始めてしまった。恐らくコンクールでやってしまったならば、1発で落とされてしまうだろう。でもこっちの方が楽しいと俺は思っていた。この曲はもっと跳ねるように弾きたい。それこそ、JAZZダンスのように。
ソナタ形式なので、展開部であったり再現部であったりと交響曲らしさが垣間見える。今なんかそれっぽいことを言ったが、教室に行ったことはないのでそれっぼいことしか言えなかった。今度しっかり習った人に聞きたいな。そういや昔、ピアニストの方にピアノを見てもらったことあったっけ?もう面識はないけど。
第一楽章をなるべく快活に弾ききった。これも昔から。第2楽章以降が悪いなんて毛頭いうつもりはないが、27分弾き続けるやる気と体力がなかったのだ。その上楽譜なんてないから、耳コピで演奏していた時も数多かったし。
弾き終わって膝に手を置いた。そのまま少しだけ空を見上げた。なんだ、全然大したことないじゃないか。そう思えた理由がわからなくて、お店の雰囲気のお陰にでもしようかと思っていたその時だった。
「もしかして……norくんか?」
のあ、という単語を聞いて俺はビクッとなってしまった。寝坊助をしていた彼女が起きてきたのだと思ったのだ。同じタイミングで近藤もびっくりしていた。彼女が現れたと思ったのだろうか。
「どうしたんだい??今日もジャズフェスなのかい?」
しかしそう声をかけてきた主の招待はジャズフェスの常連さんだった。タンクトップを着た小太りの40代だったが、ジャスフェスの時はいつもスーツ姿で決めるからよく目立っていた。しかしその人だけではなかった。
沢山の人が、JCカフェに集まってきていたのだ。




