8月19日その⑦
「さて、何弾こうかなあ」
脂身を限界まで削ぎ落とした特製のローストビーフサンドを食した後で、俺は席を立った。近藤は美味しい美味しいと何度も言っていた。あまり肉肉しさがないが良いのだろうか?俺は少し心配になってしまった。
「何か聴きたい曲ある??」
俺は振り向きざまにそう聞いた。聞かれると思っていなかったのか、近藤はやけに慌てていた。
「いや、好きな曲でいいよ!」
慌てた割にリクエストはなかった。俺はピアノの調律をしつつさらに念押しした。
「本当に?最近の曲とかじゃないとわからなくね?」
「大丈夫大丈夫!!無理して弾いてもらうんだし、君の弾きたい曲でいいよ」
ポーンポーンポーンと黒鍵を叩いた。ファの♯を鳴らして音程を確かめる。5月に一度調律したものの、流石に少し調整する必要があった。ハンマーのキレを良くするため、少し線をきつめに締めていく。
「ち、調整からやるんだね」
「調律師って人もいるし、そっちの人の方が絶対いい音になるんだけどね。流石に人のピアノにそこまでしてもらうのは気が引ける」
「本当はこの子以外ピアノを弾いてくれる人がいないからなんだけどね。いつもはただのオブジェクトさ。このピアノが生きるのは、この子といる時だけさ」
頼さんがヌルッと入ってきた。昼下がりだと言うのにお客さんはまばらで、うまいこと誰も注文をせず何かを話し込んでいた。
「皆さんの話の邪魔にならないよう、静かな曲調にしましょうかね」
頼さんは両手を広げてご自由にどうぞと言うジェスチャーをした。
「何を弾くんだい?ルパン三世?UNISON?」
「静かな曲と言いましたよね……」
「やっぱりモーツァルト?」
ふと、近藤は呟くように問いかけてきた。いや別に驚きはない。元々弾く予定にしていたのはモーツァルトだ。
「そう、だね。モーツァルトにしよう」
そう言って俺はようやく椅子に座った。遠くから少し声が聞こえてきた気がした。気のせいだろう。今はnorではない。あの日だけピアノを弾くライブマンではない。そこら辺の男子高校生だ。だから誰も注目しないし、期待なんてしていない。
すっとピアノの鍵盤に手を置いた時、とても久しぶりに触ったような変な感覚が襲ってきた。一月前に弾いたはずなのに、全く違うように思えた。それはホームだったからか、ピアノが違うからか、それとも……やはり俺は、誰かの為にしかピアノを弾けないのか。
うだうだ考える前に、手を動かそう。俺はウォームアップついでに指を動かした。こういう時に弾くのは決まっている。きらきら星だ。きらきら星変奏曲を軽く流したら、既に少し視線を感じた。とても気になったが、気にしないふりをして次の曲へと自然に移行したのだった。本名曲、ピアノ協奏曲21番。通称、エルヴィラ・マディガンだ。
きらきら星変奏曲
https://youtu.be/OsDu0_VYmcI
以上の曲を参考にしました!




