8月19日その⑤
求められるのは嫌いだ。
期待されるのはもっと嫌いだ。
それは恐らく、誰かに期待されたことのない人生を送ってきたから。
もしくは、そうした目線に対して意識したかしてないかわからないが避けてきたからだろう。
自分のテリトリーには、いつだって自分だけ。
自分の行動倫理は、いつだって自分が決める。
間違っていると思ったことはない。
誰かに咎められたことなど一度もない。
それは、誰も期待してなかったから。
期待してこうして欲しいと願う人が、そんな自分の行動に影響を与えてくる人が、過去に1人しか居なかったからだ。
そしてその1人は、もうこの世界にいない。
彼女はいない。いないから、俺は自分で自分を選択する。
「ピアノ、聴かせてくれないかな?」
近藤のその言葉は、期待であり、意志であり、干渉すら含んでいた。
だからこそ俺は困った。
適当にあしらえない。
そんな失礼なことはできない。
それが失礼にあたるくらい、彼女の目は真剣だったのだ。
「だめ、かな?」
俺は覚悟することにした。
誰かのために弾くピアノなんて、いつぶりだろうか。
「お腹、空いてきてない?」
少しだけ話を逸らしてみる。もしや気が変わったりしないだろうか。
「あー確かに……ちょっとね」
くしゃっと笑った近藤だが、その目は真剣そのものだった。
「足腰疲れてきてない?」
まだ俺は踏ん切りがつかないのだろう。意気地なしの度胸なしだから、少しでも逃げる道を模索する。
「まあそこそこかな?でもまだまだ元気だよ」
逃がさない、彼女の目は言っていた。もう喉の奥では『で?弾いてくれるの?』という声が漏れそうになっていた。
「この辺にさ」
俺は覚悟を決めた。
「うん」
近藤には見えていないだろうし、何も知らないんだろうけれども。
「行きつけのカフェがあるんだ。めちゃくちゃ雰囲気が良くて、美味しいホットコーヒーを淹れてくれるお店」
「どの辺?」
「ここから歩いて5分くらい。名前が、JCカフェって言うんだけど……せっかくこっちまで来たんだし、寄ってみない?」
近藤は俺の誘いに、迷うことなく首を振った。




