8月18日その②
新居京華がここに来たとき、もう既に俺の退去は決定事項になりつつあった。だからこそ実は、そこまで印象深いエピソードなどはなかった。どこにでもいる普通の小学生。強いて言うなら声が明るいくらいだろう。
しかしながら彼女は、帰るたびに俺のところへ駆け寄ってきては最近の小学生のトレンドについて話してくれた。休み時間に【せーんそ!】って名付けた物騒なジャンケンのゲームをしていて先生から怒られたとか、男子に混じって丸めた紙とペットボトルで野球をしていたら校庭の松の木に引っかかって取れなくなったとか、そんな他愛のない話だ。
京華ちゃんにとってはここの暮らしは、とても気に入ったものだったのだろう。それはひとえに、ここのスタッフの尽力と同じ釜の飯を食べる児童の思いやりによる産物だと思った。養護施設が嫌でいなくなる人だってこの世界にはいっぱいいる。出て行っても行き場のない人みたいな奴も、もしかしたらいるかもしれない。
俺は退去させられたのに、やたらとここを褒めるんだな。脳内にいる俺がまるで真琴みたいなことを言い始めた。退去なんてしてないさ。1人で生きていけると判断されたから、外に出ただけだ。そう思っていたからこそ、他の施設スタッフからの少し奇異な目にほっといてくれと声をあげたくなった。気にせず気にせず、そのままそのまま
時刻は10時を過ぎていた。まあ待ってたらいいかと思ってベンチに腰掛けた。ここでその場を離れないところが少し意地悪な俺の仕掛けだ。
そういえば言ってこなかったが、鷹翅では新という漢字を含ませて孤児の苗字を決めるという、よくわからない風習がある。彼ら曰く、新しいというのはすぐ終わってしまうから良くない、古くからあるものの方が優れているということらしい。
だから俺の名前は新倉だが、新倉家があったわけではない。同じように新居家があってそこで彼女が生まれているのではない。ご注意して欲しい。
同様の価値観から、鷹翅の家の数々はその殆どが古いという文字が入っている。古いものはいいものだ。単純な思考だ。脳みそなにも考えなくていいから、楽な仕事ばかりしておけばいい。その結果がアレなのである。
彼女は向こうでうまくやっていけるのだろうか。この一文には色んな女性のことを思い出してしまった。主な点を挙げるなら古村と古森と京華ちゃんのことだけど。
取り留めのないことを水のように思考していたら、気づいたら10時半になっていた。帰ってきたら、どんな感じだったか聞いておこうと思った。門出のケーキも何もないけど。




