8月17日その②
河には匂いがある。
それがどんな匂いなのか正確に描写する力は、俺には無いけれども。
硫黄の匂いではない。
そんな色が見えるような劈きはない。
木々の匂いとも違う。
肌をさらりと舐めるような錯覚もない。
でも、河には匂いがある。
無臭なはずの水の塊が、風と混ざって鼻をさすってくる。
それが俺は好きだった。
俺には故郷がないけれど、多分生まれたところも、育ったところも川が近くにあったのだろう。
故郷はないけれど……もしもあれば、将来その川が1番好きだと思い出話もできたのだろう。
「ゆーいち!」
目の前で信号が赤になったから、先方を走っていた乃愛の自転車が止まった。ききぃと少し大袈裟にブレーキがかかった。そろそろサビが来ているのかもしれない。
「朝にサイクリングするんも中々に洒落とうね」
「そこまで暑くないしな」
「ほら、目の前そろそろ朝焼けが見れる……」
思ったよりも信号の変わるのが早かったようだ。ピッピっと歩行者信号は音を立て、我々を急かし始めた。それに不満な顔をした乃愛だったが、逆らうわけにもいかないのでまた漕ぎ始めた。またまだ神戸は先の先だ。
川を沿って走る今のコースは、どんなお手製のサイクリングコースよりも風が気持ちよかった。こんなことを書いたらまた、お前貧乏だからサイクリングコースでわざわざ自転車漕いだことなんてないだろと言われてしまう。まあ事実だ。自転車は学校かスーパー、せいぜい神社までしか往復しない。
それでも確信できた。これは天然かつ最高のコースだと。特に朝の4時半から出発するのがオススメだ。早起きだが許してもらいたい。ただその三文の徳は、徐々に広がっている朝焼けだ。
一漕ぎ一漕ぎ進んでいくうちに、どんどんと辺りは明るくなっていった。一歩一歩進むうちに、右手側には綺麗な朱色が映えていった。夕焼けなら、学校の帰りとかによく見た。知っている童謡にも、何度か出てきた記憶がある。
「すっごーい!!!!!めっちゃ綺麗!!!!!!」
でも朝焼けなんて見るのは初めてだし、こんなにも空一面を覆う赤色を見たのは、人生最初にして至高だった。太陽の登場を待つ空の赤色は、絵の具で塗ろうにも難しいほどのコントラストを見せていた。
「なあ、めっちゃ綺麗やない??」
そう言って振り返ってこちらを見る乃愛の顔が、どうにも美しくって。顔の半分が赤く照らされたその顔が、ずっと見ていたいくらい愛おしくって。顔を逸らしたくて、逸らしたくなくて……結局俺は、朝焼けと川の匂いを堪能しつつ、ペダルを漕ぎ続けた。




