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8月15日その③

 この女は一体何を言い始めたのだろう。そう思った俺を置いておいて、乃愛(のあ)は先ほどまで触っていたスマホを再度弄り始めた。


「ほら、ここから神戸までって大体50キロくらいやろ?」

「そうだな」

「自転車ってさ、大体時速12キロくらいで走るらしいやん」

「それはママチャリでか?」

「ロードバイクはもっとでよるよ」

「へー」

「つまり、神戸までたったの4時間ちょいでいける計算になるねん!近いやろ?」


 近い……のか?俺は再度首を傾げたくなった。


「まあずっと漕ぎっぱなしやと疲れてまうから、途中途中休憩を入れて……合計で1時間休憩を挟むとして……約5時間」

「それを往復するんだよな?」

「もちろん!」


 いやもちろんじゃねえからと、俺は冷ややかな視線を送ってしまった。


「あーなんか乗り気やないな?」

「むしろ乗り気になるとでも思ったか?どこのアホにここから神戸まで走っていく奴がいんだよ」


 たまにこうした突飛もない意見が飛んでくるから、彼女との会話には十全に気をつけなければいけない。分かってはいたものの、今回ばかりは動揺して言葉が出てこなくなった。


「……宿泊費は?」

「朝早くに出たらええやろ」

「今真夏だぞ?」

「今年思ってたより暑くないからへーきへーき」


 なお気温は連日35度を超える猛暑日である。


「それなら電車使って行こうぜ、給料入ったんだし」

「高くつきよるやん」

「道中でアイスとか飲み物とか買って結局トントンになるやつだろそれ」

「そんなことせんしー!多分」

「多分かよ、せめて押し通せよ、じゃないとガチで認められんぞ」


 卓袱台で2人、そんな終わりの見えない話をしていた。


「えー良いやん良いやんサイクリングやでー」

「こんな暑い中行きたくないです」

「んなもんエアコンないねんから外の方がここより涼しいんちゃうか?」

「いやそれはねえだろ日光があんだろ?ここほとんどお日様入ってこねえし」

「でもそれやったら宿題どうするん?いまだに他のメンバーと連絡取れやんねんで」

「適当に書くしかないんじゃ……」

「それに!!!」


 乃愛は大きくそれにと付け足そうとして、やっぱり辞めてしまった。まだ彼女には、自分の故郷だからと宣言する勇気は持ち合わせてないんだなと、俺は思った。


「……自由に見て回りたいし、電車やと何回も乗るわけにはいかないから……」


 なんでここまで気づいてやれなかったのだろう。なんで電車でいいじゃんなんて言ってしまったんだろう。


「……わかったよ」


 彼女は宿題をしたいのではない、自身のルーツを見に行きたいのだ。

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