7月31日その②
5月3日以外に舞台へ立つのは、いつぶりになるだろうか。本当はよく覚えているのだが、覚えていないふりをしてメルトダウンした空を眺めていた。雲が溶けたように太陽を避けていた。髪の毛が燃えるんじゃないかと思ったら、何となく髪の毛をくしゃくしゃと弄ってしまった。
「にしても……急造でも……何とか……」
「まさか何とかなるとは。というか濱野、お前ベースもできんのな」
「何言ってんの駿介。元々ベースだったんだよ?この子」
舞台袖でわちゃわちゃと話す武田と濱野と衛藤の声が、すううっと耳に入ってきた。そこからは少し距離を置いて、あえて日の当たる場所にいた。日頃が日陰者だからか、太陽の日差しが少しだけ恭しく思ったのだ。
「日向ぼっこか?新倉」
新田はすっと俺の方にソルティライチを差し出してきた。明らかに飲みかけだった。流石に500ml丸々買ってくれるほど甘くはないし、俺もそんなの望んでいない。
「日頃部屋の中におるから、こんなとこいるん耐えられん」
「そうか」
「にしても本当にお前すごいな。俺なんかパーカスからドラムに慣れんの結構時間かけたのに、ピアノからキーボードに慣れんの一瞬だーなんて、信じられん」
「ありがとう。でもそれはいい」
俺はソルティライチを丁重にお断りをした。新田という男とはあまり言葉を交わしたことはなかった。出席番号は近いのだが、少し背が高い以外特に特徴のない男だった。でもそう言えば、髪の色が金色になって、話し方が砕けた気がする。高校デビューだろうか、夏休みマジックだろうか。いずれにしても俺には無縁の世界だ。
「なあ、新倉」
「なんだ?」
「ピアノ弾いてて、楽しいか?」
いきなりの問答だった。警策で叩かれた気分がした。反省点が見つからないままに、頭をふるふると振動させてしまった。
「前々から新倉のピアノ、どんなんか楽しみにしてたんだよ。俺、吹奏楽部の演奏で聞けなかったし。でもなんか……楽しくなさそうには見えなかったけど……」
少しだけ言葉が詰まった彼は、地雷を踏んだとでも思ったのだろう。
「あれかあ。折角の夏休みに古森が引っ張り込んで来たからそんな感じなのか?」
「馴染めてないわけじゃない」
まるで宣言するように、早口で言った。俺はすぐに取り繕って、
「心配してくれてありがとう」
と言った。新田は聞いてはいけないことを聞いたと思ったのか、話題は逸れて何のジュースが1番好きかという話になった。でも俺には、新田によって振り下ろされた禅問答が、確かに沈殿していた。
楽しい、そんな感情……あるって断言できない自分がいるのは事実だった。




