4月7日その⑥
やってしまった……洗い物を片付けながら、俺は沈んだ顔をしていた。いつも以上に水が冷たく感じた。あんなに取り乱した姿を見たのは、いつぶりだろうか。
乃愛の言い分はもっともだ。相手の立場に立ってみたらよく分かる。自分は生徒会長と水泳部を兼任し、周囲の人達に恵まれそれなりの学校生活を送れている。一方で同居人は部活にも委員にも所属せず、友達も少なく、生活費を稼ぐためにバイトに明け暮れている。しかも、自分の分の生活費も出しているのだ。申し訳ないと思うのが普通だろう。罪悪感を覚えるのも道理だろう。
しかしながら俺にだって言い分がある。俺にとって、今の生活は特段悪いものではないということだ。俺にとって、学校とはこういうところだった。最低限以下の人付き合いでも、周りからどんな奴に思われてもいい。毎日学校に通うことこそが、俺にとっての学校のすべてなのだ。それが普通。それが日常。その他のものなど、体験したことのない異常だ。
新倉友一にとっての普通は、古村乃愛にとっての異常であり、逆もまた然りだ。そしてこうとも思う。彼女に、こちらの普通へと来てほしくないと。彼女に対し頑なにバイトを拒絶しているのはこのためだ。
彼女は普通を守ってほしい。いや守らなければならない。生きていくための日銭を稼ぐ真似なんてせず、いつまでも真っ当な、彼女自身最も適した学園生活を送ってほしい。その姿を見るだけで、俺は良いのだ。自分はただ、学校に通ってる事実だけで嬉しいのだから。これまでそれ以外のものも得てきた彼女とは出自が違うのだから。
……なんて言っても、乃愛は納得しないんだろうなあ……
「友一!!」
ばあん!!!とドアが開いた。やけに明るい声が飛び込んできた。振り返ると、まだ寝間着のボタンを締め切っていない乃愛が、満面の笑みを浮かべていた。
「思いついた…思いついてもうたよ友一!!」
そのあまりに急展開に、俺は固まってしまった。そんなもの御構い無しに、乃愛はドアを閉めて右人差し指をピン!と立てた。
「私が、友一に話しかければいいやん!」
はあ???反論の余地など残さぬように乃愛は続けた。
「ほら?友一は現状、友達居とらんやろ?」
「否定はせん」
「私が話しかけるやろ?」
「うん」
「で、知っとる友達とかと引き合わせるやろ?」
「うん」
「そしたら友一の交友関係も広がるし、私があんたの態度にイライラとか申し訳なさとか感じんくなる!これ名案やない?」
乃愛はニコニコしながらボタンを留めていた。
「不満?」
「いや、そこまでせんでも…」
ときて、流石に次の言葉を飲み込んだ。そうだこれは、仮にも俺の心配をしてくれてるんだ。
「や、なんでもない!まあ、同居がバレへん範囲なら良いと思うよ」
ぱあああああと晴れやかな顔になる乃愛。そして彼女は手を後ろに組み、微笑みながら上目遣いをした。
「それじゃあ、これからよろしくお願いします。新倉君!」
「こちらこそどーも、古村さん」
なんかこそばゆくて、新鮮で、初めて会った時みたいで……でもどこか、懐かしさすら感じるやりとりだった。こうしてまた、2人は言葉の裏で仲直りをしたのであった。




