昔の話③-7
母から授けられた言葉を彼に述べるために、私はそこに立っていた。星が見える丘陵の自販機前。呼び出したのは向こうの方だが、用があるのはこっちだ。
そばにきた友一に、私はもう口走ろうとしてきた。母からはこう言われてきたのだ。あの子にきつくピアノを弾くなと言ってきて。これはあなたのためなのよ。そしてもう一度、あなたとは住む世界が違うと呟いていた。その表情が鬼気迫るもので、私はついこくんと頷いてしまった。
……結局私は、この頃何を考えて行動していたのだろう。ふと疑問になる瞬間はたくさんあった。ピアノの撤去を申し出ておきながら親に反抗したり、かと思ったら親に従順になったり……
もしかしたらこの頃の私は、心では健常を謳っておきながら、その底には蔑視と驕りが渦巻いていたのかもしれない。だとしたら、控えめに言って最低だ。
「あの……あのさ!古村さん」
どうせ虐めないでとか言うんだろう。そんな私の予測は、一気に崩れ去った。
「ピアノ、弾くんだ。とあるカフェのマスターが、良かったら弾かないかって。ライブだったら、誰も何も言わないだろって」
寝耳に水だった。また彼のピアノが聞ける。そう聞くと、聞きたくない気持ちもむくむくと登ってきてしまった。
「だからさ……」
「私、嫌い」
気づいたら、私はそんなことを呟き始めていた。だめだ。これではまるで、自分じゃない誰かに支配されて言い始めたみたいじゃないか。恐らく事実だったのだろう。私は、彼のピアノが嫌いだったのだ。
「私、あんたがピアノ弾いてる姿を見るの大嫌いなんだ。2度と弾かないで。2度と私の前でピアノを弾かないで」
母に言われたからではなく、私は心底そう思っていたのだ。でないと、こんな言葉吐けるわけがない。
「もしも弾いたら、許さないまた、あんたを爪弾きにしてあげる」
木枯らしが吹き始めた。これから寒くなるのだろう。
「ねえ、わかってるの?」
世界一醜い嬢王様には、ぴったりの曇天がそれに答えていた。
「私達は、住んでいる世界が違うのよ」
そこまで言い切ると、私はプイッと踵を返した。彼が本当に伝えたかったのは何だったのか、それはいまだにわかっていない。母がニコニコだったことくらいしか、私は覚えていなかった。
それからの彼のことは、よく知らない。ピアノを続けたのかどうかも、わかっていない。しかしあの、寵愛を受けたこの数ヶ月みたいな日々は、2度と帰ってこなかったのだった。
「ちょっと自分良く描きすぎじゃなーい?」
全てを話し終えた後に、真琴ちゃんはそう厳しいツッコミを入れてきた。




