昔の話③-5
そうだ、私が頼んだのはピアノの撤去までだ。それなのに、9月の頭黒板の一面に書かれていた言葉は、『盗人ピアニスト』という文言だった。誰が書いたかわからないその文字は、子供が書いたにしてはやけに整っていた。私はタチの悪い悪戯だと思った。私みたいに、彼を疎ましく思う人間の犯行かな?なんで冷静に観ていた。
異常だったのはクラスメイトの対応だった。誰1人として普通だと思い込んでいた。黒板には何も書かれていないと錯覚するほどだった。それは生徒だけでなかった。先生は何の驚いた顔をせずそれを消した。友一へのフォローの言葉はなかった。
その2日後、どうやら一本しかない鉛筆を、どこかへやってしまったと教室の周りを探し回る彼の姿があった。その時も、真琴以外誰も手伝わなかった。それどころか、先生にそのことを報告したにもかかわらず、まともに扱ってもらっていなかった。一体これは、何が起こっているのだ!?当時の私には分からなかった。
9月中旬、コンクールの参加取りやめが発表された。理由など覚えていなかったが、とても抽象的なものだったと認識していた。一部ではお金を払わずにコンクールに出ていたからだ、これだから施設出身者はと嘲る言葉も聞こえてきた。これは完全なるデマで、弥生さんがポンっと参加料を出してくれたからだ。因みに弥生さんのブログから槻山の天才少年という記事が消えたのもこの頃だ。
そして、誰も友一に話しかけなくなった。音楽の授業はこれまでと違って担任の先生が全て取り仕切るようになった。あんなにみんなが大挙として訪れていた彼の独奏会も、今や聞きたい人など真琴しかいなかった。こうして彼は、再びクラスで腫れ物扱いとなったのである。
別に表立っていじめていたわけではない。暴力もなければ暴言もない。しかしながら確実に彼に話しかけるなという暗黙のルールがそこにはあった。しかもそのルールに、担任の先生まで乗っかったのである。
一体なぜ、こんなことをし始めたのか。クラスから離れたら、今度はこんな噂が流れてきた。
「古村さん、お父さんお母さんに頼って新倉君のことめちゃくちゃいじめているんだって」
根も葉もない中傷だ。しかしそれは、半ば当然のように定着していった。私が彼を迫害している。クラスメイトも担任もそれに従ってしまっている。そんな状況があたかも当たり前のように許容されていたのだ。もう一度言う、私は、ただピアノを撤去して欲しかっただけなのだ。




