昔の話③-2
夏休みに行われたそのコンクールには、古都で行われたにも関わらず我が学校の生徒がたくさん臨席することになった。色んな大人が、子供が、様々な思惑を持って彼を推し始めたのだ。そしてそれに見合うようなパフォーマンスを、彼はいつもこなしてきたのだ。
私もそれに引っ張られるようについていくことになった。ちなみに父親も、町内会の誘いを断れずに参加することにしたらしい。大人というのはまどろっこしい人間関係があって嫌だなと、私は他人事のように思っていた。いやそれは、友達の誘いを断れていない私も同じか。
小学生用のピアノコンクールは沢山ある。その中でこのコンクールを選んだのは、ひとえに課題曲の問題がある。ツェルニーどころかバイエルすら触れたことのない彼に、またショパンやシューベルトと言ったピアニストなら必須科目の作曲家に触れてこなかった彼に、普通のコンクールだと分が悪い。そう感じて今回のコンクールを指定した弥生さんは、すでにウィーンへ帰っていた。そしてその予感は的中し、彼はそう言った基礎的な曲を履修できなかったのだ。だからこそ、バロック期から1945年までという緩い条件であれば、彼の能力を最大限活かせるのではないかということだ。
「乃愛!乃愛!」
適当な席に座ろうとした私に対して、新原真琴は1番前の1番真ん中の席を指した。ピアノの位置からして、1番視界に入る位置だ。ふん、そんなところ座るわけないじゃん。そう思って立ち去ろうとしたら、うっかり友達が反応してしまった。
「あーあそこ空いてるじゃん」
「1番前とか特等席だよね?いいのかなああんなところ座っちゃって」
そんなことを言いながらふらふらと向かっていく友達についていくように、私は前へ前へと向かっていった。そして、まんまと真ん中の席に座らされたのである。先程父親の断れなさについて嘆いたと思うが、圧倒的に撤回しよう。私の方がよっぽどそういうの弱いのだということがわかった。
コンクールはもちろんコンクールだから、他の子供だって演奏していた。その時の我々友一応援団の態度は最悪で、全く聞く気が起きていない様子だった。流石に大声で叫んだりはしていなかったが、ひそひそ声がいくつもいくつもあって耳障りだった。それはもう、他の演奏者が可哀想なくらい。鷹翅分家の一角、古森家の親戚がそのコンクールに出ていたのだが、もしも年1の会合で会うことがあれば謝罪しておこう。そんなことを、当時の私は思っていた。
そして最後から5番目、ようやく友一の出番が回ってきたのだった。




