友一少年のその頃は③
5年遅れのモーツァルトに、なれると思った。
モーツァルトが皇女マリアアントーニアに愛を伝えたのは彼が6歳の時だ。
庶民の彼と、皇女の彼女。
身分差というにはあまりにも残酷なその対比は、子供の純粋さがかえってそれを際立たせている結果となった。
自分も、なれるかもしれない。
大学博士を父に持つモーツァルトと比べ、父親すらいない自分は更なるハンデが課されている。
しかも相手は、謂わば我が国の皇女様だ。
それでも、ピアノを弾けば、彼女にだって告白できると思っていた。
モーツァルトに憧れた少年は、モーツァルトになろうとしていたのだ。
念を押しておこう。
これは崇拝だ。
恋愛ではない。
結ばれるだなんて思っていない。
結ばれるべきだと思っていない。
世界が違うのだから。
せめて彼女と比肩するには
愛を伝える身分になるには
何もない自分には
ピアノしかないのだ。
その日、高名なピアニストにめちゃくちゃ褒められたらしい。
付き添いできていた担任の先生も感激の顔をしていた。
でも俺は、そんなもの見ていなかった。
ダンパーを強く踏みながら、見ていたのはたった1人だ。
その人さえこちらを向いてくれるのなら、いくらでも鍵盤を叩こう。
それなのに
それなのに
皇女様はこちらを見てくれないのだ
「あの……さ」
帰り道、尋ねてみることにした。
「演奏、どうだった?」
彼女は端正な顔を一切崩さずに、仏頂面のまま答えた。
「まあ、良かったんじゃない。褒められてたじゃん弥生さんに」
ため息が耳に劈いた。思わず耳を塞いでしまいそうになるほどの爆音だった。
「そう……かな」
「あの人って、まあ私の親戚なんだけど、とっても有名な人なんだよ。あんな有名な人から褒められたっていうのに、あんたは何でそんなポカンとしてんの?って感じ」
うっ……という言葉が漏れていた。その後に続く言葉が何か、わかりはしないけれど。
「ねえ、古村さん」
ん?って顔をして、振り返らない彼女の顔が美しかった。
「もしも、もしもコンクールに出たら、見に来てくれる?」
大きく間が空いた。何かを深く考えているような、そんな顔をしていた。唇の下っ側をほんの少し噛みながら、彼女はぽそっと漏らした。
「時間があったらね」
そんな気まぐれな回答さえ、皇女様らしいと思える自分は末期だ。俺は胸の辺りをぐっと掴みつつ、こくんと1つ頷いたのだった。




