6月30日その③
……いきなり何を言いだしているのだろう。俺はなぜ彼女がこんな無意味な仮定を始めたのかわからなくなって、何も答えずに皿を片付けていた。
そうしたらむこうから、口を開いてくれた。
「ゆーいち、今日暑いね」
かと思ったら急に方向転換してきた。
「お、おう」
「このパジャマ、汗かくわ」
そう言って手をクロスしたかと思ったら、一気にブワッと捲り上げて脱ぎ始めた。念押しのために言っておくが、彼女はシャワーを浴びた後だから、もうブラジャーを外してカゴに入れていた。つまるところ、パジャマを脱いだら下は裸なのだ。それがわかっていたから、脱ぎ始めた瞬間に俺はそっぽを向いて食器を片付け始めた。
「うぎぎ、脱げへん……友一助けて」
「自力で頑張って、どうぞ」
「むりー!むりー!窒息…窒息する…」
どうなっているんだと思って少しだけ視線をやると、上半身裸の女の子がパジャマを脱ごうとして頭で引っかかり、なんか一種の古代アートみたくなっていた。俺は高鳴る胸を押さえつつ、視線を逸らしながら彼女の後ろまで移動した。これなら大事なところは見えない。
「ほら、ばんざいしろ、ばんざい」
「ばんざーい!」
俺はボタンを弾けとばさないように気をつけつつパジャマを脱がした。というか、ボタン外してから脱げばよかったのでは?
「ふう、酷い目にあった。ありがと、友一」
そう言いつつ彼女は綺麗な背中とくびれを見せつけながらTシャツを着た。着る前に、
「前から見ててもええんやで?」
なんて言ってきたが無言でスルーした。一瞬だけ乃愛の頬が膨らんだ気がした。
「このパジャマどうする?洗濯?もう一回着る?」
「あー洗濯回してて!」
「りょーかい」
そう言って洗濯カゴにパジャマを入れて、再びシンクに戻った。
「そういやさ、シンクの掃除した?」
「あーごめん忘れとった」
「あー了解!今からやっておく」
「え?今日私の当番やのに」
これは単なる気の紛らわしだ。さっきから乃愛がいつも以上に無防備な姿を晒してくるから、ちょっと落ち着く時間が欲しかったのだ。普段生活していると意識しないことも、たまにはこうして意識してしまう。あー自分も一応男子高校生なんだなあと、勝手に実感していた。
「なあ、友一」
そして気付いたら、隣に乃愛が立っていた。そしてたわしを持った右手にすっと添えて、優しい手つきでたわしを持った。小声で囁いた。それは耳にとても強く残った。
「私がやっとくから、友一風呂行ってき!もともと私の当番やしね!」
そうして彼女の言葉に甘えて、俺はパジャマを持って部屋を出た。一瞬だけ、ドアにもたれながら先ほど囁かれた言葉をリフレインさせていた。
……友一のその優しさって、私だけのもの?それとも……
途切れたその先に入る言葉は、容易に想像できた。俺は2、3度深呼吸してから、背中合わせのドアに後頭部を合わせた。身体中の熱さを全て夏のせいにした。喉元にあるキュッと閉まる感覚も日本の湿気のせいにした。日付は6/30、時刻は22時05分。後2時間を切った7月は、何が待ち構えているのだろう。期待と一抹の不安を覚えつつ、シャワー室へ向かっていった。
その後、ろくに中に人がいるか確認を怠ったせいで、隣に住んでる老丹さんの裸と、シャワーについた僅かな匂いを執拗に嗅ぎまくる醜態に出くわしてしまった。この記憶だけは、6月中に絶対忘れてしまおうと思った。うん、この人には優しくできないな。そう思いつつ、俺は老丹さんを無言の圧力で追い出してシャワーを浴び始めたのだった。




