5月29日その⑦
家に着いた時、一足先に乃愛が鍵を開けていた。
「乃愛、鍵開けといて」
俺の声に驚いたのか、乃愛は背中をビクッとさせて、手に持っていた鍵を落としてしまった。
「うわー階段の下にいってもうた…」
「わ、悪いな急に声かけて」
そう言いつつ俺は落ちた鍵を拾った。
「ごめんな拾いに行かせて」
「いいって、先入っててよ!」
そうして2人部屋に入った。先に入っていった乃愛の顔を見て、俺は彼女の変化に気づいた。
「あ、もしかして乃愛髪の毛切った?」
「さすが!さすがやで友一。そういうの気にかけるんはモテる男やで」
まあ髪の毛切りたいっていう事前情報あったからな。それでわからないやつはおそらくそいつのことが嫌いなだけだろう。
「どこで切ってきたの?」
「ん?その辺の安い散髪屋」
「つうかテスト前に髪の毛切るとか余裕すぎんだろ」
「テスト前に私置いてってマクドで楽しそうに話しとったくせによう言えるな」
こう文字に書くと嫌味のようだが、その口調は結構冗談っぽかった。今日さっさと帰ったのも髪の毛を切りたかったからだろう。もしかしたら悩み云々とかいうのも気のせいなのかもしれない。そんな風に思えるほど彼女は屈託無く笑っていた。
「で、マクドに行ったところまではちかちゃんに聞いたけど、そっから何してたの?」
「どうやって聞いたんだよ」
「いや、スマホで。家帰ってきてしばらくしても帰ってこんからさ、あんた。せっかく私が勉強教えてあげよう思ったのに、って嘆いて何となくちかちゃんに連絡したら今マクドで駄弁ってるって言うから、ふーんって思って」
「…怒ってんのか?」
「怒るわけないやん、むしろ喜んどるよ。家と学校とバイト先行き来するだけの生活と比べたら、今の方がよっぽど充実しとるんちゃう?」
あーなるほど。それは確かにそうかもしれないが、ただ巻き込まれているだけというのは言わないでおこう。
「で、何話してたの?」
「他愛ない話。竹川さんとかが適当な話ししてただけ」
「そうなんだー」
そして2人して、卓袱台に腰掛けた。
「それじゃあ、勉強教えてもらおうかな」
「ほう、教科書の例題は解いたかな?」
「あのレベルの問題が出るならテストも楽なんだけどなあ」
そして2人して夕方になるまで勉強していた。こんな風に、ニコニコと自分に接してくれる彼女なんだから、確かにいつもより元気はないかもしれないが、だからって何かしてあげようとするのはお節介なのではないか。人はほっておくことで救われることもある。自分はそれをよく知っている。悩みは1人で苦しむこともあれば、誰かに知られて苦しむこともある。だから今は、少しだけ様子を見よう。そんなことを思っていたら少しだけ目が潤んでいたらしい。
「何涙目しとるん?花粉症?」
そんなとぼけたことを言う彼女が、少し尊かった。




