5月29日その⑥
古村乃愛に関してここまで知っている人間が居るとは思わなかった。俺の経歴に関しても知っていて、あえて突っ込んだことを言ってこないのだろう。昨今のメディア達と違い、現田は比較的良識があるのかもしれない。
「心配だなあ…ネカフェとかで生活してないかなあ…カラオケに寝泊まりとかしてないかなあ…もしかして、土管の中とか!今度つけていって様子確認しようかなあ」
…すまない、俺の気のせいかもしれない。そしてその腰をくねくねした動きやめてほしい。鬱陶しいから。
「でもそれしたら負けだと思うんだよなあ」
うん負けだよ。君は人として負けだし、俺も乃愛もみんな負けちゃう。1番最悪の事態だ。
「なあ、現田」
「はなちゃんでいいよー」
「現田はさあ」
「はな…」
頑なだったが貫いた。
「現田さんは…」
「はな…」
「何処まで俺のこと知ってるの?」
固まった。少しくらいの反撃だ。その何とも言えない顔がまた、胸が爽快になるほどの魔力を秘めていた。
「え…それは…」
「全部知ってるんでしょ?だから俺に、乃愛のこと聞いたんでしょ?何か知ってると思って。でもこれ以上、首を突っ込まないほうがいい」
「ってことは、知ってるんだ」
住所一緒ですから。同じ部屋で生活してますから、そして、彼女が思うほどに、辛い生活なんてしていませんから。
他人からの同情は、時に刃となって突き刺さってくる。可哀想だという感情は、自分の哀れさと惨めさの烙印に早変わりする。己の境遇を恨むきっかけになる。前を向いて歩けなくなる。そんな目に、彼女を遭わせたくない。
これはエゴだ。俺の俺自身のためのエゴでしかない。何も望まぬ俺の、たった一つの願いだ。あの時の乃愛のままでいて欲しい。彼女は憐憫ではなく羨望を集めるべきなのだ。多くの尊敬と嫉妬を集めるべき存在なのだ。並の人間との格を、まざまざと見せつけるべき偶像なのだ。
「知らないよ、何も」
だからこそ、俺はそれを隠す。そして現田に釘をさす。
「多分誰も知らないだろうから、そんなもの追いかけなくていいんじゃないか?」
「それを決めるのは私自身、ってね」
しかしこう即答する彼女もまた、一本筋の通った人間だと思った。
「そろそろ帰っていいか?早く数学やりたいんだけど…」
「んじゃ最後のお願い!」
現田は指をピッと立たせて、少し上目遣いでお願いしてきた。
「1人での生活って、辛くない?」
現田の質問に、俺は嘘は一つも付かずに答えた。
「全然!」
別に1人じゃないしな。そんな事実は胸に秘めて、俺は笑顔でこう言い切ったのだった。




