1―2 喫茶店
遅刻をした。
道に迷ったおばあさんを目的地まで送り届けた事がその理由だが……どうせ正直に言っても誰も信じてくれないだろう。ま、担任には寝坊をしたと告げておこう。その方が面倒事にならずに済む。
長い長い坂を登る。
校門にもたれ、女生徒が立っていた。昨日の、あの女の子だ。
向こうも俺の事に気付き、一瞬、目を見開いた。
「あんた、なんで……?」
「見ての通り、寝坊だよ。そっちこそなんで?」
もうすでに朝のホームルームは始まっている。なんで彼女はこんな場所にいるんだろう?
「人を待ってたの」
「人? こんな時間にか?」
待っている相手が生徒だろうと教師だろうと、こんな時間にここを通るのは俺みたいな遅刻野郎ぐらいだろう。それとも、俺の他に遅刻野郎がいるのか?
「あ、あんたでいいわ」
「は?」
訳が分からない。
「ちょっと付き合いなさい」
そう言って、ずいっと体を寄せてくる女生徒。
俺はそれを後ろに避けながら言う。
「いやいやいや、これから授業が――」
「何? こんな可愛い女の子が誘ってあげてるのに、それを断るわけ?」
可愛い? いや、確かに可愛いけどさ……。
「分かった。付き合うよ」
抵抗を諦め、俺は肩を落とす。
情けは人の為ならず。それ以前に人助けは俺のライフワークみたいなもんだし、一時間目の授業くらい人助けに比べたら……。ま、後で、ちゃんと謝りには行くけどさ。
「え? いいの?」
「〝いいの〟も何も、そっちから言い出したんだろ?」
「そうだけど……」
ホント、よく分からない奴だな。
「で、どこに付き合うんだ?」
「き、喫茶店」
「……はい?」
さすがにあのまま喫茶店に行くのは不味いという話になり、放課後に校門で待ち合わせをし、改めて喫茶店に向かう事にした。
「――つまり、友達に彼氏がいると言ったが本当はいなくて、その友達の前で俺に彼氏の振りをして欲しい、と」
机を挟んで向かいに座る女生徒――桂木さんに、今さっき聞いた話を要約して確認する。
喫茶店にまで連れて来られ、何事かと思ったが、話を聞いてみればよくある話だ。
いや、飽くまでも漫画や小説でよくあるというだけで、実際にこの手の相談をされた事は今まで一度もなかったが……。
「全然違う」
「そう。全然――って、え?」
あれ?
「あんた、私の話聞いてた?」
「いや、そのつもりだったんだけど……」
何をどう聞き間違えたんだろう?
「しょうがないわね。もう一度だけ初めから説明してあげるわ」
「お願いします」
溜息混じりにそう言う桂木さんに、聞き間違えた手前、俺は精一杯聞く姿勢を取る。
「彼氏がいないのに、彼氏がいるって友達に言ったのはその通り、あんたの言った通りだわ。けど、私が欲しいのは彼氏の代役じゃなくて彼氏そのものなの」
「……で?」
「へ?」
俺の返しに、桂木さんが意図せぬ返しが来たといった感じに驚く。
「代役じゃなければ俺に何をしろと?」
まさか、彼氏になってくれ、なんて言い出すわけじゃあるまいし。
「察しが悪いわね。あんたを私の彼氏にしてやってもいいって言ってるのよ」
「……は?」
いやいや、そんな馬鹿な話……。あぁ、そうか。
辺りを見渡す。
「何してるの?」
「いや……」
実はこの店内に彼女の仲間がいて、俺がその気になったら種明かしをして馬鹿にする――そういう類の悪戯を仕掛けられているんではないかと思ったのだが……。店内に俺達以外に学生らしき客はおらず、どうやらそうではないらしい。
「マジで?」
「か、彼氏って言っても、候補だから。あんたのこれからの頑張り次第なんだから」
「はぁ」
そんな事言われても、すぐには話が呑み込めない。
朝校門で声を掛けられ、喫茶店に連れて来られたと思ったら、彼氏にしてやってもいいなんて……。まだ手紙で校舎裏に呼び出された方が、話としてはしっくり来る。
「そ、それで、どうなのよ?」
「〝どう?〟とは?」
「返事よ。決まってるでしょ」
返事。返事ね……。
「考えさせてもらってもいいか?」
「ダメ……って事?」
俺の保留を、桂木さんは体のいい断りの言葉と受け取ったらしい。
「違う違う。マジで。突然の事で頭が追いつかないというか、急な話だったから……」
「そう……」
俯き、そう呟いた彼女の表情は、あまりにも彼女の第一印象と違い過ぎて……。
「携帯の、番号を交換しないか?」
自然とそんな言葉が俺の口から漏れ出ていた。
桂木さんは、俺の苦手なタイプだ。
茶髪で、遊んでそうで、スカートが短くて、チャラそうで……。けど、話をすればするほど、その印象がただの見た目に寄る偏見なのだと気付かされる。本当の彼女は見た目とは違い、こう何と言っていいのか、真面目で、緊張しいで……。
「LINEは?」
「やってない。面倒くさそうだから」
「何それ」
俺の答えに、桂木さんが笑う。
「楓でいいよ」
「え?」
「呼び方。私も誠って呼ぶから」
俺の呼び捨ては、すでに決定事項かよ。……まぁ、いいけど。
「じゃあ、……楓」
照れながらも、何とかそう呼ぶ。
〝さん〟付けにするかしないかを少し迷った挙句、結局、呼び捨てにする事にした。何となく、そうする事を楓が望んでいる気がしたから。
「これからよろしくね、誠」
そう言って、楓がはにかむ。
こうして、俺と楓の奇妙な関係が始まったのだった。




