5―1 熱
ハンカチの件が気にならないと言えば嘘になるが、それでも頭の片隅にちらつく程度で、そこまで気になる事はなかった。それより――
「……」
「何?」
じっと自分の顔を見つめていた私に、誠が不思議そうな顔で尋ねる。
「いや、何でもない」
昼休み。中庭のベンチに、今日も私達は二人並んで腰を下ろしていた。
昼食はすでに取り終わり、今は次の授業までの時間をこうしてのんびりと過ごしている。
あれ以来、私の思考の何割かは、あの出来事に支配されていた。
油断をするとあの出来事が頭の中にフィードバックしてきて、全身が熱くなる。
またしたいというわけではない。……いや、またしたいけど、そういう事ではなく、余韻に浸っているという表現が一番しっくり来るような、そんな感じだ。
「なぁ、楓」
「ん?」
「部活はもうやんないの?」
「え?」
驚き、誠の顔をまじまじと見る。
誠の今の言い方、それはまるで、私の部活への熱心度を知っているような、そんな言い方だった。私、誠に中学時代の事なんて一度も話した事ないのに……。
「誰かに聞いたの?」
「梓さんに。休み時間にたまたま会ってさ」
「お姉ちゃんに?」
別に、同じ学校にいるんだから、お姉ちゃんと誠が話す事もあるんだろうけど、少し複雑な気分だ。私の知らない所で、誠とお姉ちゃんが……。
「うわぁ。なんだ、その顔」
私の膨らんだ頬を見て、誠が大げさに驚いてみせる。
「何でもない」
「何でもなくはないだろ」
そう言って、誠が私の頬をつつく。
わっ。何これ。少し、恋人っぽいかも。
「もう。止めてよ」
このまま、されるがままになるのも、何か違う気がしたので、一応抵抗してみる。
それに、二人きりならまだしも、人の目のある空間では、こういう遣り取りはさすがに恥ずかしい。
「で、話戻すけど、部活、もうやんないのか?」
「……」
高校に入って、部活に入らなかった理由は幾つかある。その中でも、一番大きな理由は……。
「部活、そこまで好きじゃなかったから」
お姉ちゃんみたいになりたくて、お姉ちゃんに追いつきたくて、お姉ちゃんと同じ部活に入った。中学まではそれなりの成績を残し、それなりにみんなから期待をされていた。だけど、それなりではダメなのだ。
それなりでは、お姉ちゃんには到底追いつけない。そして多分、私ではお姉ちゃんのようになるのは無理だ。その事に気付いたのは、中学で部活を引退した後。部活をやらなくなった空白期間が私を冷静にし、客観的な〝答え〟を導き出した。
結局、私にとって部活は、バスケは、その程度のものだったという事だ。お姉ちゃんのやっていたスポーツ。それ以上でもそれ以下でもなく、好きでも嫌いでもない、そういう事だったんだろう。
「ま、いいけどさ。楓が納得してるなら」
「納得はしてるわよ。というか、やる気がそもそもない」
私の中にあった情熱は、もうすでに私の手から離れてしまった。その事を寂しくは思わない。ただ、懐かしくは思う。私にも、がむしゃらな時期があった、と。
「なんか、楓って冷めてるよな」
「何よ。悪い」
自分でも、秘かに気にしている部分を指摘され、すこし不貞腐れる。
そう。私は冷めている。というより、冷めてしまった。あの時、お姉ちゃんに届かないと悟ったあの瞬間に。
評価も、期待も、羨望も、今の私には必要のないものだ。
負け惜しみと言われてもいい。言い訳と思ってもらって構わない。
私はそんな、どうでもいいものより、もっと大切なものを見つけた。それは、誠の隣に居られる事。それ以外は、今は何もいらない。
「いや、悪くないよ。そういうとこも含めて楓だと思うし。それに――」
笑いながら、誠が私の頭に手を置く。
「そういうとこも含めて俺は楓の事を好きになったんだと思う」
「――ッ」
何気なく放たれた誠の言葉が、私の心臓に突き刺さる。
まずい。これはまずい。
赤くなった顔を隠すように俯き、私は思う。
ますます誠を、好きになる、と。




