4―3 感触
「お帰りー」
階段を降り、リビングに顔を出すと、ソファーに腰を下ろした誠がそう言って私を出迎えた。
テーブルの上に置いてあったリモコンを手に取り、誠がテレビを消す。
「ちょっと待ってて。飲み物用意する」
立ち上がり、誠が台所に向かう。
「お構いなくー」
その背中に私は、一応そう声を掛ける。
誠を待つ間、手持無沙汰になった私は、何ともなしに室内を見渡す。
その行動に意味はなく、また変わった物は発見出来なかった。
「琴葉と何話したんだ?」
台所から声が飛んでくる。
「〝何〟って……色々」
「その色々を聞いてんだけど」
苦笑混じりの声。
「誠との事」
「……」
「馴れ初めとか、どこが好きなのかとか、色々」
「ふーん」
二つのコップを手に、誠がリビングに戻る。
「俺の部屋行こうか?」
「あ、うん」
誠に続き、階段を登る。
「悪い。扉開けてもらっていいか?」
「あ、うん」
言われるまま、扉を開ける。
というか、さっき一つもらっておけば良かった。
「適当なとこ座って」
先に入った誠に促され、私はテーブルの一番出入り口に近い辺に座る。
その斜め右に誠が腰を下ろし、コップをそれぞれの前に一つずつ置く。透明なガラスのコップの中で、茶色い液体が僅かに揺れる。中身は、麦茶だろうか?
隣の部屋には琴葉ちゃんがいる。というのに、私の心臓は破裂しそうなほど波打っていた。
多分、彼氏の部屋に初めて足を踏み入れたというシチュエーションに、緊張をしているんだと思う。
誠が自分のコップを持ち、それを口に近付ける。
コップに触れる唇、鳴る喉仏。
正直に言おう。私は期待している。
何を? それは……。
「なんかアレだな。緊張するな」
「え?」
誠の言葉に、私は目を見張る。
「そんな顔すんなよ。俺だって緊張くらいするさ」
「ゴメン。落ち着いてるように見えたから」
「そう見せてたっていうのが正解だけどな。だって、あんま緊張したとこ見せると、まるで何かを期待してるみたいだろ?」
「……何かって?」
「何かは、何かだろ」
そう言って誠は、不貞腐れたようにそっぽを向く。
か、可愛い……。何これ。反則でしょ。
やばい。なんかしんないけど、顔が熱い。一旦落ち着け。一旦落ち着け、私。
気持ちを落ち着かせようと、私は自分のコップに手を伸ばす。が、しかし――
「あっ」
動揺が手の動きに表れたのか、テーブルの上でコップを倒してしまう。
テーブルを伝って、茶色い液体がスカートの上に垂れる。
良かった。コップは割れてないみたいだ。
「って、何落ち着いてんだよ。スカート、スカート」
コップをテーブルの上に立て、誠が私のスカートをズボンのポケットから取り出したハンカチで拭く。
「あーあー。何やってんだか」
「うん。ごめん……」
これは……。
誠は拭くので必死で気付いていないようだが、この体勢は色々と……。
ふいに誠が顔を上げ、至近距離で目が合う。
「……」
「……」
お互いの瞳に吸い込まれるように、二人の顔がどちらともなく近付く。
後数センチで二人の唇が触れようかというその距離で、誠の動きが急に止まる。そして、何かに気付いたように扉の方を向き、そーっと近付いていく。
「わぁ!」
誠が内側から扉を開けると、中腰の姿勢を取っていた琴葉ちゃんが、そのままの姿勢で中に倒れ込んできた。
「お前な……」
「あはは」
誠に冷たい視線を向けられ、乾いた笑いを発する琴葉ちゃん。
「お、お邪魔しましたー」
そして、脱兎の如く、階段の方に駆けていく。
「たく」
溜息を吐き、立ち上がる誠。
「タオル取ってくるわ」
「あ、うん……」
宣言をし、一度は廊下に向かい掛けた誠だったが、何かを思い出したかのように、踵を返しこちらに戻ってきた。
「忘れ物」
「え?」
誠の顔が近付き、瞬間、唇に何かが触れる。
……。
気が付くと、室内に誠の姿はなかった。
右手の人差し指が、無意識に自らの唇をなぞる。
残された感触。それだけが、先程の出来事が夢ではないと、私に教えていた。




