4―2 妹
放課後。誠と肩を並べて一緒に帰る。
誠とはもう何度も一緒に下校しているというのに、立場が変わっただけで、なぜこうも気持ちが違うのだろう。
「あーのさっ!」
「何?」
意を決して口を開いた私の顔を、誠がいつも通りの表情で見つめる。
理不尽な事だと分かっていても、なんか釈然としないものを覚えずにはいられなかった。
私だけ浮ついているというか、意識しているというか……。
「手握ってもいい?」
「は……?」
驚きの表情と共に、誠の足が止まる。
それに釣られて私も足を止める。
突然立ち止まった私達を下校途中の生徒達が、妙なものを見るような視線を向けつつ、避けていく。我ながら、凄く邪魔だと思う。けど、今はそれどころではない。
「ダメ?」
顔色を窺うように、私は誠を下から見つめる。
「いや、ダメというか、今更そんな事に許可取らんでも……」
確かに、今日まで散々手を握っておいて、何を今更という誠の言い分も分かる。
が、しかし、あれはあれ、これはこれ、だ。付き合う前と付き合い出した今では、心境も違えば、心持ちも違う。……心境と心持ちの違いはよく分からないが。
「ほら」
そう言って誠が、私に片手を差し出してくる。
「……」
それを私は無言で握る。
そして、そのまま私は、誠に手を引かれ、学校の敷地の外に向かって歩き出した。
握った手から熱が伝わってくる。私の物ではない、誠の熱……。
私より大きく、私より堅い手。
男の子、なんだ。
当たり前な事を、私は手の感触から再確認した。
隣を歩く誠の顔をちらりと盗み見る。
イケメン、ではないかな。
誰もが振り向くそんな顔つきでは決してない。けれど、カッコいい。
中性的とは少し違うけど、線は細め。背は高くも低くもない、平均値。筋肉は……服の上からでは、付いているかどうかよく分からない。でも――
きっと、それなりには付いているんだろうな。
〝実際のところ、楓達は今、どこまで行ってんの?〟
朝、美幸に言われた言葉が、頭の中でリフレインする。
私ももう高校生だ。何も知らない、恋に夢見るオンナノコではない。
大人が言う、キャベツ畑やコウノトリの話を信じる年頃はとうに過ぎたし、子供の作り方も……知識としては知っている。だから、どうしても意識してしまう。オトコノコと付き合うという事を……。
「なぁ、楓」
「ひゃい!」
妙な思考を頭の中で繰り広げていたせいで、思わず口から妙な声が漏れ出てしまう。
それを見て誠は、一瞬眉を潜めたものの、すぐに表情を元に戻し、
「この後、時間大丈夫か?」
私に対しそう尋ねてきた。
その様子は何だか少し不安げで、見ているこちらまで身構えてしまう。
「別に、大丈夫だけど……。なんで?」
「少し付き合ってもらいたいんだ」
「どこに?」
私の問いに、誠が瞬間、躊躇の色を見せる。
どうしたんだろう? 一体。
「俺ン家」
「え?」
突如発せられた聞き慣れない単語に、私は思わず、咄嗟に聞き返した。
「だ、か、ら……。俺ン家に着いて来て欲しい、というか、招待したい、というか……」
「あー……」
なるほど。今度は私が誠の家に行く、と、そういうわけか。
「……え?」
つまり、それは、えっと、どういう事だ?
「あ、無理なら別にいいんだ。また日を改めて、違う日に来てもらえばいいし。今日じゃなきゃダメ、って訳でもないしな」
私の反応をどう受け取ったのか、誠が私に逃げ道を用意してくれる。
とはいえ、折角誠が誘ってくれたのに、ここで逃げたら失礼だし、何より自らチャンスをドブに捨てる事になる。なので――
「その、大丈夫だから。むしろ、行きたいかな。誠の家」
私は勇気を振り絞ってそう告げる。思いを込めるように、右手に力を込めて。
「お邪魔しまーす」
誠の後に続き、私も鳴瀬家に足を踏み入れる。
鍵は掛かっていなかった。つまり、家にはすでに誰かがいるという事だ。普通に考えたら、誠のお母さん、だろうか。
「あ、お帰り」
リビングからひょこっと少女が顔を出す。
確か彼女は……琴葉ちゃん。一昨日会った時と雰囲気が大分違うので、一瞬誰かと思った。
琴葉ちゃんの恰好は、胸元に英語が書かれた白い半袖のTシャツに、紺のジーンズ生地のショートパンツとかなりラフで、頭の後ろで縛られたポニーテールと相俟って、前回より快活そうな印象を受ける。
「って、楓さん!?」
琴葉ちゃんが私の存在を認識するなり、慌てた様子で玄関に姿を現す。
「どうも。久しぶり、琴葉ちゃん」
「あー。本当に連れてきてくれたんだ、お兄ちゃん」
「そりゃ、付き合ってるんだから、いつかは連れてくるんだろ」
嬉しそうに笑う琴葉ちゃんと、苦笑を浮かべる誠。
何やら、二人の間で約束のようなものが交わされていたらしい。しかも、私に関する……。
「悪い、楓。琴葉が、どうしてもお前と話したいというんだ。少し付き合ってやってくれるか?」
「それは別にいいけど……」
「ホント? じゃあ、私の部屋行きましょ。楓さん」
琴葉ちゃんに手を引かれ、私は階段の方に連れていかれる。
「あんま長く引き留めるなよ」
「はーい」
階下から聞こえてきた誠の言葉に、前を行く琴葉ちゃんが元気よく返事をする。
まだうまく状況が把握出来ていない私は、彼女に連れられるまま、ただただ場の流れに乗っかる事しか出来なかった。
「到着。ここが私のお部屋です。で、隣がお兄ちゃんの部屋」
「へー」
説明をされ、何ともなしに隣の部屋に目をやる。
そうか。ここが誠の……。
「どうぞ」
前方から聞こえてきたその声に、私は我に返る。
扉を開け、先に中に入った琴葉ちゃんに続き、私も彼女の部屋に足を踏み入れた。
「本当なら、飲み物を用意してじっくり話をしたい所ですが、兄に怒られそうなので、今回は止めておきます」
「はぁ……」
冗談めかしにそんな事を言い微笑む琴葉ちゃんに、私はそう返すことしか出来なかった。
琴葉ちゃんの部屋は、物があまりなくスタイリッシュな感じだ。色も青と白が多く、まるで男の子の部屋に来たような錯覚を覚える。お兄さんがいる影響だろうか?
「さぁさぁ、座って下さい」
クッションを勧められ、そこに腰を下ろす。
私が座ったのを見届けてから、琴葉ちゃんもクッションを自分のお尻の下に敷き、私の正面に腰を下ろした。
「では、早速、二人の馴れ初めなんかを」
「え? えー」
どうしよう? 年下だし、誠の妹さんだし、可愛いし、なんか色んな意味でやり辛い。
「どっちから先に告白したんですか?」
「えーっと、私から」
「どんな感じに?」
「普通に、〝私の彼氏になって下さい〟って」
照れる。
なぜ私は彼氏の妹に、兄との馴れ初めを話しているのだろう? これ、どういう拷問?
「へー。兄のどこが好きなんですか?」
「〝どこ〟って……」
一言では言い表せないし、やっぱりハズい。
そこで気付く。琴葉ちゃんの表情が、実は真剣な事に。
もしかして、琴葉ちゃん――
「お兄ちゃんが取られるって思ってる?」
「!」
私の言葉に、琴葉ちゃんの体が跳ねるように上がる。
どうやら、図星だったらしい。
「大丈夫だよ。私と付き合っても、誠は琴葉ちゃんのお兄ちゃんで、今までと何も変わらないから」
出来るだけ優しい声で、私は琴葉ちゃんにそう話しかける。
「楓さんはいい人ですね」
「――ッ」
切なそうな微笑みでそう言われ、私は途端に、年上面した自分の言動を恥ずかしく思った。
ダメだ。やはり、慣れない事はするもんじゃないな。
「で、兄のどこが好きなんですか?」
「……」
出来れば、そのまま誤魔化されて欲しかったが、そう上手くはいかないか。




