3―4 家
「――落ち着いた?」
とりあえず隣に座らせ、無言で慰める事数分、ようやく楓が落ち着きを取り戻し始めた。
「ごめん。なんか、自分でもよく分からないものが溢れてきちゃって」
「うん。分かるよ。何となく」
決して慰めだけの言葉ではなく、俺にもそういう覚えが確かにあった。
「これからどうする?」
「〝どう〟って……?」
俺の質問を深読みしたのか、楓の視線が右に左に動く。
「いや、普通に、言葉以上の意味はないんだけど……」
「え? あっ。そう……。どうしようか?」
どうやら特に希望や要望等はないらしい。
さて、どうしたものか。
喫茶店を出た俺が即興で立てたプランはここまで、ここから先は本当にノープランだ。
鶴屋公園の特徴は、花見の時期を除けば、池と鳥籠、後は自然豊かなのんびりとした空間、ぐらいだろう。適当に緑を楽しむのも、また休日の過ごし方としては一興なのかもしれないが、残念ながら今の俺達に、そんな時間を過ごす心のゆとりがあるとは思えない。
そもそもデートとは何だろう?
付き合っている男女、もしくはそれに近しい男女が二人きりでどこかに行けばそれはもうデートと呼べよう。しかし、だからといって、どこに行ってもいいというわけではないはずだ。
もちろん、長年付き合っていれば、どこに行っても大丈夫だとは思うが、俺達のように付き合いたて……というか、ほやほやなら話は別だろう。一つの判断ミスが命取り――とまではいかないものの、相手に退屈な思いをさせる事態に繋がりかねず、非常に危険だ。
池のボートや観覧車、某有名テーマパーク等がその最たる例で、曰く付き合い出したばかりの二人はまだ二人きりの時間や空間に慣れておらず、その状況を殊更強調するそういう場所や乗り物は、お互いが気まずくなるだけでなく、運が悪いと別れる原因にもなるという……。
まったく、恐ろしい話だ。
「ねぇ」
「な、何?」
自身の思考の中に半ばトリップ状態だった俺は、突然楓から声を掛けられ、思わずオーバーなリアクションを取ってしまう。
「これから、なんだけど、もし誠に行きたい所がないんなら、ウチ来ない?」
「へ?」
今、なんと?
「いや、面白い映画のDVD買ったの。それで一人で観るより、二人で観た方が楽しいかなって、ホントそれだけで」
慌てた様子で言い訳のような言葉を発する楓を見て、逆に俺の方は気持ちが落ち着いてきた。
「分かった。行こう、楓のウチ」
「え? ホントに?」
「こんな事で嘘吐いてどうするんだよ」
目を見開き、こちらに身を乗り出してきた楓に、俺は苦笑を浮かべてみせる。
楓の家は、俺の家から歩いて大体三十分程の場所にあった。
小学校や中学校の頃の学区が違い、また只の住宅街なため、この辺りを訪れた経験は少なく、それほど自分の家から離れてないとはいえ、周りの景色は俺にとって見慣れないものだった。
楓が一軒家の門を開き、敷地内に入って行く。
俺もその後に続く。
家の扉の前に立つと、何やら楓が自分のスカートのポケットを探り出した。彼女が取り出したのは鍵で、それを何の迷いもなく鍵穴に差し込む。
……って事は、つまり――
「もしかして、家、誰もいないのか?」
「あ、安心して、後二時間は誰も帰らないはずだから」
俺の問いに答える楓の声は 上擦っていた。
「……」
いやいや、家族がいない=そういう事ではないはず。ないよな? 多分。
家の中に入り、玄関で靴を脱ぐ。
「私の部屋、二階だから」
「あぁ」
先行して階段を登る楓を追う。
「――ッ」
そして、慌てて前方から視線を逸らす。
危ない危ない。というか、少しは気を付けろよな、楓。
階段を登り切り、幾つかある部屋の一つに通される。
「ちょっと待ってて。飲み物持ってくるから」
「あぁ」
楓が出て行き、一人取り残された俺は、何気なく室内を見渡す。
ベッドに、本棚に、勉強机に、テレビの乗ったテレビ台、後はテーブルと飾り棚と箪笥。部屋の大きさと室内に置かれた調度品はあまり俺の部屋と大差ないのに、色合いや形が違うため、何だか凄く〝女の子の部屋〟といった感じだ。
カーテンや布団等は水色を基調としており、その他の物は大体が茶色。唯一、テレビ本体だけが黒だが、これはまぁ趣味趣向とは別物と考えてもいいだろう。
飾り棚には陶器の置物が並んでいる。そのほとんどは動物で、熊と猫が多いように見受けられた。
コンコン、と外から扉がノックされ、
「ごめん、開けて」
同じく外から楓の声が聞こえてきた。
声に促されるように、俺は扉に近付き、それを内側から開ける。
「ありがとう」
「どういたしまして」
言いながら笑顔を向けてきた楓に、俺はおどけた調子で応じた。
楓の通行の邪魔にならない壁に体を付け、彼女を先に通す。
テーブルの上に持っていた二つのカップを置き、楓がベッドの側面とテーブルの間に腰を下ろす。
「ほら、突っ立ってないで、誠も座る」
自身の座る左斜め、テレビと相対する場所を叩き、楓が俺に言う。
「あぁ」
言われるがまま、俺はそこに腰を下ろした。
カップがテーブルを滑り、俺の前に置かれる。薄茶色をしたカップの中身を見て、俺はその液体の正体を想像した。
「あ、ミルク入れちゃったけど良かった?」
「別に、こだわりないから大丈夫」
カップに手を伸ばし、それを口に持っていく。
いつもより弱めの苦味が、口一杯に広がる。うん。やはり、コーヒーだ。そして、温度は冷たい。
二人で暫し、コーヒーを啜る。
二人きり。しかも、この部屋にではなく、この家に……。その事を意識しない方がおかしい。
「DVD、観るんじゃなかったのか?」
「え? あー。うん。そう。DVD」
俺の言葉に、楓がカップをテーブルの上に置き、四つん這いの姿勢でテレビの前に移動する。
「――ッ」
思わず釘づけになりかけた視線を、慌てて明後日の方向に逸らす。
だぁ、かぁ、らぁ! ……ホント、疲れる。
「あ、あったあった。これだ」
テレビの台の下部分に並べられていたケースの一つから円盤状の物を取り出し、上部分に置かれたプレーヤーに楓がそれをセットする。
そして、元の体勢に戻った楓が、テーブルの端に置かれていたリモコンを手に取り、テレビの電源を入れる。
「映画って何系?」
「恋愛系かな? 一応」
「ふーん」
楓がリモコンを操作すると、テレビ画面にお決まりの文字が現れた。




