3―3 ハンカチ
クジャクのいる鳥籠は、池から百メートルほど歩いた場所にあった。
「うわぁー」
池の時同様、楓が大きな声を挙げ、鳥籠に近付く。
縦横三メートルの円形状の床から、高さ十メートルのフェンスが鐘状に伸びている。
色はシックな茶色。中には水飲み場があったり、日差しや雨が凌げる三角屋根があったりしており、クジャクにとって過ごしやすそうな環境が整っている。
楓の側にゆっくりと近付きながら、何気なく辺りを見渡す。
池とは違って、鳥籠の周りにはそれなりに人が集まっており、よく賑わっていた。
とはいえ、そのほとんどが子供と保護者で、後はカップルや老夫婦が一組二組ずつといった感じだ。
「クジャク、三羽なんだね」
「まぁ、公園だしな」
そう多くは飼えないだろう。
「そうじゃなくて、奇数なんだと思って。どっちが多いんだろう?」
「さぁー」
試しに、携帯を取り出し調べてみるが、答えは見つからなかった。
「オスかな? メスかな?」
「メスじゃないか」
ワクワクという擬音が聞こえてきそうなくらい目を輝かせる楓の疑問に、俺は普通のテンションで答える。
「なんで?」
あまりにも簡単に俺が答えたせいか、楓が俺の顔を興味深そうに見つめてくる。
「その方が繁殖しやすそうだから」
特に何か根拠があって言ったわけではない。ただの思いつきだ。
「あー。なーる」
「……」
だから、本気で感心されると、少し照れる。
「はー。堪能したー」
クジャクをおよそ十分観察した俺達は、鳥籠から歩いて数メートルの位置にある階段を登り、小高い丘の上に来ていた。
このフロアーには基本、木製のベンチと転落防止用の木柵以外何もなく、後あるものといったら木と芝と土くらいだ。
ちなみに、今俺達はその木製のベンチに並んで座っている。
もちろん、人一人分の間隔を開けて。
「満足頂けたようで何よりだよ」
嫌味でも何でもなく、本当に心からそう思う。
「なんかごめんね。私だけ楽しんじゃって」
「いや、俺も久しぶりに来て、結構楽しかったよ。特に、クジャクなんて見る機会、滅多にないし」
例え花見でここを訪れても、こっちの方まで来ずにいつも帰ってしまっているので、それこそクジャクをこの目で見たのは、五年以上ぶりかもしれない。
「可愛いよね、クジャク」
「まぁな……」
〝はしゃいでる君の方が、百倍可愛いよ〟という台詞が一瞬頭を過ったが、滑るのが分かっているため、口には出さなかった。
「ありがとね、今日は連れて来てくれて」
笑顔でそう言う楓の顔を見て、俺はいつか聞こうと思っていた事を口にした。
「なぁ? なんで、俺だったんだ?」
「え? どういう事……?」
「彼氏役――いや、候補か。それが誰でも良かったなんて嘘だろ?」
「どうして、そう思うの?」
否定や笑いもせず、真顔で問い返してくる事が、俺の質問に対する何よりの回答だった。
「何となく、かな。楓と何日か一緒に過ごしてみて、楓はそんな事をする奴じゃないって、何となくそう思ったんだ」
「何それ」
言って、その顔に苦笑を浮かべた楓だったが、次の瞬間には、もう表情は真剣なものに戻っていた。
「落とし主を捜してたの」
「え?」
突然、以前言われた言葉をもう一度言われ、思わず驚きの声を挙げる。
俺の反応を見て、今度は楓が微苦笑をその顔に浮かべた。
「初めは偶然だった。お母さんに忘れ物を届けてもらうために校門で待ってたら、その人が私の目の前に現れたの。向こうは全然覚えてなかったみたいだけど、私は一発で気付いた。だって、ずっと捜してた相手だったから」
そこまで言われ、俺もようやく気付く。話が繋がっている事に。
「最初の時は、心の準備が出来てなくて変な態度を取っちゃったけど、その人の登校時間は分かったから、次の日、私はリベンジする事にしたわ」
リベンジって……。
そういう場合ではないと知りつつも、俺は心の中で苦笑する。
「ずっと返さなきゃと思ってた。でも、なかなか言い出せなかった。なんか、自分がひどく大げさな事をしてる気がして」
そう言うと、楓は持っていた鞄から何かを取り出した。
それはハンカチだった。どこかの校章が刺繍された特別な物では決してない、どこにでもある普通の青いハンカチ。
「誠が覚えてるかどうかは分からないけど、あの時、私は凄く助かったし凄く嬉しかった。だから、ありがとう」
「……」
差し出されたハンカチを受け取りながら、俺は思い出す。
確かあれは、まだ俺が高校に入る前、中学二年の頃だった思う。町中で、絡まれている女の子を助けた事があった。と言っても、相手は大型犬で、敵意を持って彼女に近付いて行ったというよりも、むしろ好意があって近付いたといった印象だったが……。
とはいえ、いきなり近寄ってきた大きな犬に対し、若い女性が冷静な対処をするのは難しいだろうし、恐怖ですぐんでしまう気持ちも分からないでもない。だから俺は、その光景を見た瞬間、女の子を庇うようにして、一人と一匹の間に割って入った。
大型犬は突然現れた俺に驚いた様子で、それこそ尻尾を巻いてどこかに逃げて行ってしまった。あれだけ大きな図体をしておいて、意外と臆病だったらしい。
振り返ると、女の子が尻もちをついていた。「立てる?」と声を掛け、手を取り起こす。その時、女の子が少し顔をしかめた。道路に手を付いた拍子に、手の平を擦りむいたようだ。俺は余計なお世話と自覚しつつも、彼女を近くの公園にまで連れていき、手の平を洗い、ハンカチを渡した。
――その女の子が、どうやら楓だったらしい。髪型や服装が違ったため、今の今まで全然気が付かなかった。
「よく俺だって分かったね」
二年前の、しかも数分の出来事なのに、よく俺の顔を覚えていたものだ。
「ずっと捜してたから」
「え?」
「いつかきっと会えると思って、常にハンカチを持ち歩いて、捜してたから」
「……」
なるほど。
急に楓が立ち上がり、そして俺の前に立った。
呆気に取られ、ぼっとする俺に向かって、楓が言う。
「改めて言うね。……私の彼氏になって下さい」
「いいよ。付き合おう」
何かを考える間もなく、半ば条件反射気味に俺はそう言葉を返していた。
「ホ、ホントに?」
「ああ」
改めて考えても、断る理由はない。むしろ、こちらからお願いしたいくらいだ。
楓の瞳から一筋の涙が流れる。
それを合図にしたかのように、彼女の目からは大量の涙が零れ出した。
「おいおい」
立ち上がり、苦笑を浮かべながら、今受け取ったばかりのハンカチで楓の目元を拭く。
それにしても、世間は広いようで狭いな。地元の高校とはいえ、捜していた方と捜されていた方が、偶然同じ学校に進学するとは……。




