51・転生ものぐさ皇妃、帰還祝賀式典に参加する
帝国に百年ぶりの地震が起きてから一ヶ月ほどが経ち、この季節にはめずらしく雲一つない青空が広がった日。
ガートルードは早朝から起き出し、身支度を整えていた。と言ってもレシェフモートにとんとん背中を叩かれて目覚め、ぐずついている間に寝台で朝ごはんを食べさせてもらい、抱っこされてやっと寝台を出た瞬間、服装が変化していたのだが。
今日の衣装は胸元にレースでこしらえた花々のブーケをあしらった、くるぶし丈のドレスだ。ブーケをまとめる幅広のサテンのリボンはふんわりとふくらんだ両袖の袖口にも、何枚もレースを重ねてふくらませたスカートにもあしらわれ、砂糖菓子の花のような甘さと可愛らしさを演出している。
色とりどりの胸元のブーケを覗けば、色は白。袖口のリボンからたっぷりと覗く見事なレースも、スカートを縁取るレースも、胸元を飾るつけ襟型のチョーカーも、中心から垂れ下がる目を見張るばかりの大粒の真珠も、リボンがちりばめられたヘッドドレスも。
ほぼ白一色の装いは帝国の貴婦人には単調になりすぎると忌避されるものだが、世にもまれな銀の髪と黄金の散った碧眼の幼い姫君がまとえば、神秘的な空気を醸し出す。
「わあ……」
大きな姿見の前でくるりとターンすれば、腰の後ろで結ばれた大きなリボンがひらひらと揺れた。
どこかゴシックな雰囲気のあるドレスは前世でひそかに憧れ、決して手に入らなかったものの一つだ。レシェフモートがガートルードの記憶から読み取り、こちら風にアレンジしてくれた。
「ありがとう、レシェ。とっても素敵!」
「ありがたきお言葉。我が至高の女神に捧げ物が許される私は、最高の幸せ者にございます」
微笑むレシェフモートからやや離れ、賛嘆の眼差しを送るのはエルマだ。こちらもいつもより華やかな、儀典用の騎士服をまとっている。
「素晴らしいです、皇妃殿下! こんなデザインは初めて見ましたが、きっと注目の的になりますよ」
エルマが目をきらきらと輝かせる横で、相変わらず薄幸そうな美女ロッテも頷く。
「可能な限り多くの色彩をまとい、あらゆる装身具で全身を飾り立てるのが現在の帝国の流行ですが、これからは皇妃殿下のような趣向を取り入れる貴婦人も増えるでしょうね」
もっとも、皇妃殿下のように輝かれるにはよほど素材が良くなければならないでしょうけれど……、とつぶやくロッテは、まだ少々お怒りのようだ。
今日は辺境より帰還した対魔騎士団を迎える、帰還祝賀式典の最初の日。練兵場で閲兵式が催された後、近衛騎士団と対魔騎士団の騎士たちの模擬試合が行われる予定だ。
近衛と対魔、両騎士団が互いの実力をはかり、高め合うため……ということになってはいるが、差別されがちな対魔騎士団を皇帝の御前で花形の近衛騎士団と対戦させ、周囲の評価を改めさせたいという狙いもあるのだろう。
式典は翌日以降も舞踏会や勲章授与式などが予定されており、数日間にわたり催される。皇帝アンドレアスと皇后コンスタンツェは、この一連の式典に並々ならぬ熱意を注いでいる――そうだ。
伝聞形なのは、ガートルードには式典のおおまかな予定と、参加して欲しい催しについてしか教えられなかったせいだ。これはおそらく現在もなお帝国に滞在しており、式典にも出席予定のモルガンに配慮したものだろう。幼いガートルードを酷使していると思われないように。
そうガートルードは判断したし、面倒くさい式典の準備の手伝いなどまっぴらだから、なんとも思わなかった。
いたく思うところがあったのが、ロッテだ。
『形式的には皇后が上の立場ではありますが、皇妃殿下は聖ブリュンヒルデ勲章を授かった御身。実質的には皇妃殿下の方が上のお立場です。その皇妃殿下を抜きで式典の次第を決めるとは……』
と、眉をひそめていたところへ、昨夜わざわざガートルードの宮殿を訪れたコンスタンツェの侍女が火に油を注いだ。
『明日の閲兵式と御前試合にて、皇后陛下は紅のドレスをお召しになります。皇妃殿下におかれましては紅色のお召し物や宝飾品は避けて頂きたいと、皇后陛下はお望みでいらっしゃいます』
侍女はロッテにそう告げ、そそくさと去っていったそうだ。ガートルード本人にはレシェフモートが付いているから恐ろしくて直言できないが、ロッテになら言えるということらしい。
紅色はかの聖なる皇女ブリュンヒルデがことのほか好んだ色であることから、帝国では最も高貴な色とされ、皇帝の妃は正式な場では紅色を身につけるのが通例だそうだ。逆に貴族夫人たちは紅色を避ける。皇后と張り合っている、不敬だとみなされてしまうのを避けるために。
だがガートルードは貴族夫人ではなく、れっきとした皇族――それも皇帝の妻の一人である。
息子のためこいねがって輿入れしてもらった他国の王女に、帝国一の貴色を身につけるなと、こいねがった当人である皇后が希望する。ロッテでなくとも憤る、ひどい話である。
『避けて頂きたい』――形こそ要望だが、皇后という権力者の口から出れば命令に等しい。
しかしガートルードには聖ブリュンヒルデ勲章がある。皇帝以外の命令なら堂々と拒めるのだ。コンスタンツェも承知しているからこそ、命令ではなく要望の形を取ったのだろうが。
『あんまりです……! 皇妃殿下がどんなお気持ちで輿入れなさったか……』
『皇后陛下のお望みなど、忖度なさる必要はございません。堂々と紅色をお召しになるべきかと』
エルマは涙目で憤り、ロッテは冷笑した。レシェフモートにいたっては狼蜘蛛に戻り、奥の宮殿ごとコンスタンツェを踏みつぶそうとしたのでガートルードは非常に焦った。
『皇后陛下がそこまでわたしに紅色を着て欲しくないのなら、無理に着たいとは思わないわ。きっと皇后陛下にも、なにかわたしに紅色を着て欲しくない理由がおありなのよ』
などと言ったのは、まぎれもない本音だ。目立つ色を着て注目を浴びればろくに気も抜けないし、少しは手伝いもしなければならなくなりそうだし、そもそも銀髪碧眼の色彩に鮮やかな紅色はあまり映えないから、無理をして着たいとは思わない。コンスタンツェにはぜひ一人で目立ちまくり、ガートルードの分まで視線を釘付けにして欲しい。
だからレシェフモートには前世、一度は着てみたかったドレスをリクエストしたのだ。紅色でさえなければいいのだからと、かなりやりたい放題してしまった。ガートルードの幼さと美貌だからこそ許されるドレスだ。
ガートルードはとても満足しているし、レシェフモートもひとまずは怒りをおさめてくれた。エルマも納得はいかないながらも、ガートルードが良いならそれで良し、と思っていてくれるようだ。
ただロッテだけがいまだに苛立ちを引きずっているのが、ガートルードは意外だった。
ロッテはガートルードの身の回りの世話という侍女の本分をレシェフモートに独占されても、宮殿の維持や外部の人間との窓口など、レシェフモートが興味を示さない分野の仕事を見つけては文句ひとつ言わずこなしていた。侍女と言うよりは、できる管理人である。
そんな彼女が、コンスタンツェの仕打ち一つでここまで怒りを見せるとは思わなかった。自分の待遇同様、ガートルードがいいと言えばさらりと流してしまいそうな気がしていたのだ。
(なんと言うか……良くも悪くも、なんにも執着しないというか、しちゃいけないと思っているような、そんな感じだったんだけど)
ガートルードが内心首を傾げていると、ロッテが深々と頭を下げた。
「皇妃殿下……申し訳ありませんでした」




