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オルムとイビスが王都へ帰る日、途中の宿泊を考え朝早くの出立になった。
オルムはエンジュへ情報を共有することを約束し、イビスとシュロールの縁談の話はまだ継続しているとした方が、他者からの視線を逸らすことができると話し合った。
イビスとシュロールもまた、お互いの感情を理解することで昔のように自然体で接することが出来るようになっていた。
オルムとしては、フェイジョアでのシュロールの様子次第では、縁談を強引に進めてでも自領に連れていくつもりでいた。
しかしシュロールは幸せそうだ、周囲に愛情が溢れているのであろう。
イビスと別れの挨拶をするシュロールを、目を細め眩しそうに見つめていた。
「御子息の縁談の話、これで本当に良かったのか?」
エンジュが隣に立ち、オルムに問いかける。
オルムは離れた場所にいるシュロールから、視線を外さないまま頷いた。
◇◆◇
ネニュファール領へ王都の状況を確認に出たガルデニアより、エンジュの元へ伝令が届く。
詳しいことはわからないが、今夜にも要人を連れて帰るとのことだった。
「…あの男は、こんなにも人を拾う男だったか?」
エンジュは執務室で伝令を下がらせ、一人呟いた。
オルタンシアが去った後、ガルデニアは人との交わりを断った。
あの『フェイジョアの雷鳴』以降は、エンジュをも憎み…度々諜報活動と称しては、王都へ一人で潜伏する。
そんなあの男を、何が変えたのか。
「シュロールか。」
オルタンシアの面影を持つシュロールを、自身の力で護る…その信念だけで、動いているのだろう。
ガルデニアの可否の判断基準は、シュロールなのだ。
今回もシュロールにとって有益にならない人物ならば、連れ帰ったりはしないだろう。
判断はガルデニアが戻ってからか…。
エンジュは大きなため息をつきながらも、夜が更けガルデニアが戻るのを待った。
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夕食を終え、エンジュは一人で騎士棟とは反対にある、裏門へ来ていた。
山の斜面沿いにあり、厚い雲に覆われ月の光さえも通らない裏門に、ランタンの仄かな明かりだけが揺れている。
戸口にランタンを下げ、近くの壁に背を預け、愛用の剣を携えて目を閉じる。
夜の暗さに音が吸い込まれるように静かな空間で、聴覚だけを研ぎ澄ます。
ガルデニアの馬は特殊だった。
闇に溶けるように黒く立派な体躯のその馬は、大きな足音を出さずに歩けるように訓練されている。
やがて小さな草の音とともに、ゆっくりと蹄の音が近づいてくる。
その輪郭を確認する頃には、声が届く距離まで近づいていた。
エンジュは目を凝らして、様子を伺う。
黒い外套を纏ったガルデニアが、同じような黒く大きな外套を身につけた者を、抱きかかえるように馬に乗せている。
「…子供?…いや、女か。」
ガルデニアはエンジュの側まで、馬を寄せる。
「お待たせして申し訳ございません、エンジュ様。」
ガルデニアが発した声に、それまで抱えられていた者が少し顔を上げる。
迎えた者の名前がフェイジョア領の領主だということがわかったのだろう。
「長きの馬上でお疲れでしょう、どうぞお手を…。」
エンジュが両手を広げ、抱き上げようとすると少し戸惑う様子を見せる。
「この方は女性ですが…大丈夫ですよ。」
ガルデニアが愉快そうに告げると、その者は頷き、エンジュの肩へ両手を預けてきた。
エンジュが腰を支えると、ふわりと軽やかな弧を描き着地する。
馬から降りると同時に外套のフードが外れ、眩いブロンドの髪がこぼれ落ちる。
綺麗な額から長いブロンドの髪の毛を後ろに流し、緩やかなハーフアップに纏めてある。
気品のある令嬢は、深紅の瞳を真っすぐにエンジュへ向け、ゆっくりと柔らかく微笑む。
「はじめまして、フェイジョア辺境女伯。私、カメリア=カーマインと申します。」
そう名乗ると優雅に数歩引き、綺麗な礼を取る。
「……っ。グランフルールの花姫かっ!」
これにはさすがのエンジュも、動揺を隠せなかった。
他国の王族と連なる者が、正式ではない訪問で、深夜に我が領へなど。
カメリア=カーマイン、グランフルール王国の次期王太子妃。
グランフルール内での人気は高く、その名前は花に例えられるほどの敬愛を捧げられる。
王妃教育も終え、外交を主に担っていると聞いたが…なぜ、ここに?
「魔石の輸入を口実に、囮を立ててシュロに会いに来たんです。」
下手な者ならば、こちらの訪問者の方が偽物なのではないかと疑うであろう。
だがその疑いは無意味だ、本物の気品がこの令嬢にはある。
◇◆◇
朝起きると、いつも手伝ってくれるミヨンの姿はなく、代わりにシェスが控えていた。
「ミヨンはどうかしたの?」
シェスに着替えを手伝ってもらいながら、シュロールは問いかける。
「昨夜お客様がお出でになったそうで、そちらにお手伝いに参っております。」
そんな話は聞いていない…予定にないお客様。
エンジュ様の親しいお知り合いか誰かかしら?
「シュロール様にですよ?」
シェスはにこにこと嬉しそうに、シュロールに告げた。
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シュロールは廊下を足早に進む、令嬢らしくないスピードに、すれ違う侍女達が戸惑っている。
サンルームの前まで来ると扉の前に立ち、呼吸を整える。
意を決してそっと扉を押すと、中をきょろきょろと見回す。
「リア!」
「シュロ!」
奥の方でヴィンセントに付き添われ、花を眺めるカメリアを見つける。
すでに涙が溢れ、それを拭うことも忘れて駆け寄る。
「こんなに早く会えるだなんて、思ってもみなかった。」
「私も、会いたかったわ。それで…思い切って、会いに来たの。」
二人は抱擁を交わした。
「最近…ティヨールではよくない噂でもちきりだと聞いて、心配だったの。」
持っていたカップをソーサーへ戻しながら、カメリアは話した。
本来ならばゆったりと向かい合わせでお茶を飲むのだが、二人は同じソファに座り話をしていた。
ティヨールとグランフルールは、友好を結んでいる。
しかし最近その交易が滞り、内容にもおかしなことが起こっているという。
結果グランフルールから調査団を派遣することになり、カメリアが代表として王都へ挨拶へ来たということだった。
王都での噂を聞いたカメリアは、シュロールを探しフェイジョアへ向かうことを決めた。
「…ところで、なぜ彼がここにいるの?」
カメリアの問いに、シュロールは誰の事を言っているのかすぐにはわからなかった。
「朝に庭にいるところを見たのよ…目が合うと、私の事をすっごく馬鹿にした顔をして『あぁ、あのお節介か…』って言ったのよ!」
心を許してくれているのだろう、カメリアが感情をたっぷり声にのせ、ハルディンの真似をしているのが分かった。
シュロールはたまらなくなり、眉を下げながら、声を殺して笑う。
カメリアに今までの経緯を話し、そして今は協力してもらっているということを付け加えた。
「ふぅん?それでもここにいる。それが理由ねぇ?」
カメリアは何か思い当たることがある様に、考えをまとめようとしていた。
いくつか確認しないといけないことがある…エンジュにもハルディンにも。
「シュロ、大好きよ。」
カメリアは唐突に告げる、シュロールも照れながらも同じように返す。
カメリアは幼い頃から、王妃の教育にほとんどの時間を費やしてきた。
ある意味シュロールに似た環境であり、気がつけば周囲は良くしてくれる者はいても、仲が良いと思える友達はいなかった。
「私の初めてのお友達、貴女の幸せを祈っているわ。」
カメリアはシュロールの手を取り、誰にも聞こえない声で呟いた。




