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お風呂から上がり寝衣に着替え、窓へ近づき、夜の景色を眺める。
少しだけ窓を開け、冷たい空気を部屋の中へ迎え入れた。
果実水をひとくち口に含むと、体の火照りが少しだけ和らぐように感じる。
シュロールはあの後、少しだけ長くお湯につかった。
そこで分かったことは、シュロールがバスタブより上がると靄は霧散していく。
あともう一つ、お湯の温度が下がっても、靄は湯の中へと消えていくということだった。
明日の朝一番にエンジュ様へ報告に行き、また騎士棟へ行きお湯をもらってこよう。
そう髪の毛を梳かしながら、鏡の中の自分に言い聞かせる。
鏡を見つめながら騎士棟のことを考えるシュロールの頭に浮かぶのは、ハルディンの言葉だった。
「…なるべく、ここには来ない方がいい。」
何故ハルディンは、自分を遠ざけるようなことを言うのだろう。
シュロールもハルディンも、以前とは置かれている立場が違う。
シュロールに利用価値がないにしても、お互いを傷つけるような意図がないのであれば…今のハルディンなら仲良くできるのではないかと思っていた。
しかし過去のわだかまりをなくし、良い関係を築けると思っていたのはシュロールだけのようだった。
「(私…ハルディンに距離を置かれて、傷ついている?)」
あの時より抱えていた、心のひっかかりに目を向けると…わかったことは拒絶への悲しみだった。
考えに至りすぐ、頭を振る。
これで良かったのだ…あの時の恐怖を、悪意を忘れたわけではない。
再び傷つかない為には、近づかないのが一番なのだろう。
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「お嬢様、お聞きしたいことがございます。」
ミヨンは不思議そうに、シュロールへ話しかけた。
「お嬢様のお力は、魔力の発動にしては大変珍しい現象だと思います。魔法とは違いますし、なんと申しますか…名称をお決めになった方がいいのではと思うのですが。」
そこまで言うとミヨンは、きらきらと目を輝かせて前のめりになる。
「『聖女の入浴剤』とか『聖女の湯浴み』、『聖女の煮汁』なんて言うのはいかがでしょう!」
「は、えっ!?」
シュロールはこの時、初めてミヨンに対して、絶望を塗り付けたような表情をした。
「…ミヨン貴女、ネーミングセンスがないわ。なによそのラインナップ、ありえないわ。」
「お気に召しませんか?私としては『聖女の煮汁』がイチ押しなんですけど…。」
「また…一番ひどいのを選んだわね。」
シュロールの目は座っていた。
ミヨンは稀にシュロールの事になると暴走する…夜会の招待状が届いた時が、良い例である。
たちが悪いのは、全てシュロールの為だと本人は真面目に取り組んでいることであった。
「保留よ。」
シュロールはミヨンの一生懸命さが好きだ、だからこそきちんと向き合わなければ…このままだと『聖女の煮汁』が定着してしまう。
「ミヨン…私は魔力が発動したからと言って、聖女になるつもりはないの。公にするつもりもない。発動を求められるたびに、人前でお風呂になんか入れないわ。それに聖女かもしれないとなると、王都へ呼ばれたり、都合よく使おうとする人達に振り回されてしまう。私…ここにいたいの。」
魔力が発動できなかった『聖女のなりそこない』と呼ばれていたあの頃の生活には戻りたくない…シュロールは自分自身が聖女になりたくはなかったのだと、強く感じていた。
ミヨンが悲しい顔をしながら、シュロールを見つめている。
ミヨンもまた、あの頃を一緒に過ごしてきたのだ、シュロールの気持ちを推し量り胸を痛めた。
「では『シュロール様の煮汁』、『シュロ汁』などは…。」
わかってない、この子…わかってないわ。
シュロールは初めて冷ややかな笑顔という表情が、うまくできたのではないかと思った。
鏡の前から立ち上がり、すたすたとミヨンの目の前まで移動すると、指でミヨンの上下の唇をつまむ。
「わかるわね、二度とそのネーミングは口に出さないで!」
ミヨンは何故シュロールが怒っているかがわからないながらも、目を見張りながら細かく頷いた。
ミヨンのせいで、今夜は寝付けそうにない。
シュロールの頭の中には、黄色の着ぐるみが元気よく動き回っている姿が、浮かんでは消えていく。
せっかく魔力が発動したというのに、もうそのイメージが頭から離れない。
「私、泣きそうだわ。」
そう言うと鏡の前に戻り、テーブルに肘をつき頭を抱えて溜息をつくのだった。




