第4話 意外な結論
向かい合うような配置でソファに座り、二人で話し合う。ひとまず状況を整理しないと。どうやら女性は歌唱動画を収録する準備をしていたらしい。ヘッドホンをつけていたのも、音源の確認をしていたとか何とか。
「『登録者数460万人を誇りながら、素顔がベールに包まれている謎の歌い手。切れ味抜群の歌唱で、人々を魅了してやまず……』と、これがあなたの正体なんですか」
「は、はい……。今は470万人ですけど」
ニュースサイトで見つけたKotoneに関する記事を読み上げると、目の前の女性が静かに頷いた。音楽にも動画サイトにも疎い俺だけど、流石に470万という数字が並外れていることは分かる。
「『動画は海外でも話題を呼び、米国の人気アーティストもファンであることを公言。爆発的に知名度が上昇し……』って、これも本当なんですか……?」
「えっと、はい。最近は外国語のコメントも多くて……」
正直に言って……どう対応すればいいのか分からない。調べれば調べるほど、目の前にいる「普通の」女子大生がいかにインターネット上で巨大な存在なのかを分からされてしまう。教祖、偶像、あるいは神。うまく例える言葉が見つからない。
「あの……その……」
女性の方も狼狽えるばかりで、何を言えばいいのか分からないといった感じだ。要するに、互いにイレギュラーすぎる出来事だったってわけだな。でも向こうが困っているのはたしかみたいだし、安心させないと。
「とりあえず、あなたが歌い手だってことは誰にも言いません。というか、今日あなたに会ったことも忘れたことにします」
「えっ……?」
「別に、あなたがその……Kotone? さんであると知ったところで、自分に何の得もないですから」
「あっ、ありがとうございますっ!」
女性は深々と頭を下げた。こんなのはハプニングだし、人生のちょっとした面白い出来事に過ぎない。将来この人が国民栄誉賞でも貰ったときに周囲に自慢してやろうかな。信じてもらえないだろうけど。
「ん?」
その時、目の前の女性が不思議そうに首をかしげていることに気が付いた。何かに気が付いたような、そんな表情を見せている。
「どうかしました?」
「あの、ちょっと厚かましい聞き方になるんですけど……」
「は、はあ」
「あなたはKotoneのことを全く知らなかったんですか?」
「えっ?」
「いや、自分で言うのも変な話なんですけど。ヒトカラに来られるくらい歌が好きな方なら、その……私のことをご存じでないのが不思議だと思って」
いや、たしかにそうだな。こんなネット音楽上のスーパースター、知らない方が不自然かもしれない。でも自分はあまり動画サイトは使わない(現代の若者にしては珍しいだろうが)し、音楽も聴かないからな。
「本当に存じ上げませんでした。カラオケに来たのも、作業部屋を求めてのことですんで」
「そうなんですね……」
女性は軽く俯いて、飲み物の入ったコップを手にした。落ち込んでいるようにも見える。自分の知名度の無さに落胆した、とか? 一人知らなかったくらいで悔しい思いを出来るから、大スターの座にいられるのかもしれない。
ふと、頭に疑問が浮かぶ。その大スターがどうしてこんな場末のカラオケなんかにいるのだろう?
「あの、自分も気になることをお聞きしていいですか?」
「なんでしょう?」
「どうしてカラオケで録音しているんですか?」
「えっ?」
「他の部屋の音もマイクに入りそうだし、何よりこうやって他人にバレるリスクもあるじゃないですか。どうしてなんだろうなー、って」
「ああ……」
ため息をつく女性。険しい顔をしながら、呟くように口を開く。
「実家に住んでいるので、家で録音すると親にバレちゃうんです。本当に誰にも秘密なので」
「レコーディングスタジオとかはどうなんです?」
「近くにないですし、場所によっては結構高いですから。動画投稿のためにそこまでお金は出せなくて……」
「えっ、でもそんなに人気なら広告収入とか」
「無いです。私、一切収益化してないので一円も貰ってないんです」
「嘘!?」
「学生料金でカラオケに行くのが一番安いんです。だからこうするしかなくて」
……信じられない。「Kotoneの推定年収は三億円!?」なんて煽情的な見出しのニュース記事もさっき見かけたけど、実際は割引を駆使するただの大学生だとは思わなかった。
投稿するたびに百万再生は当たり前、SNS上では誰もがURLをシェアして指数関数的に拡散される。それがネット上の"Kotone"だけど、いま目の前にいるのは……必死に正体を隠しながら歌い続ける、一人の女性「柊琴音」でしかない。
「どこかに良い録音場所があればいいんですけどね。やっぱり他人に正体を明かしていないのがネックで……」
女性はコップを口に付け、水を飲んでいた。この様子だと友人にも話していないんだろうな。格安で、しかも他人に正体をバラさずに使える録音スペース。そんな都合の良い場所、あるわけ――
「あっ」
「ん?」
思わず声を漏らすと、女性がじっとこちらを見てきた。……いや、たしかにあるな。格安で使えて他人に秘密に出来る録音スペースが。でも流石にこれはまず――
「何か思いつきましたね!?」
「うえっ!?」
近っ!? 女性がテーブル越しに身を乗り出してきた。長髪が大きく揺れて、端麗な顔が眼前に迫ってくる。
「言ってくださいっ! 今絶対に『思いついた声』出してましたよね!?」
「いやっ、ちょっとこれは……」
「あるんですか!? 録音できる場所!?」
「あ、あるにはありますけど! あなたみたいな方が使うような場所では――」
「なんでもいいですっ! たとえゴキブリが出てもネズミが出ても構いませんっ!!」
「そういう意味じゃないです!?」
さっきまでの殊勝な態度とは打って変わって、女性は必死の形相を見せている。俺はただ圧倒されるばかりで、肝心の本題を言い出せない。
「だからっ、その……」
「あるんですよね!? あるって言いましたよね!? 責任取ってくれますか!?」
「俺はあなたのなんなんですか!?」
責任ってなんだよ!? できちゃった婚の話でもしたいのかこの人は!?
「本当になんでもいいんですっ! 教えてくださいっ! この通りっ!」
「だから自分のおでこをいじめるのはやめてください!」
ガンと鈍い音が響き渡り、女性は再び頭をテーブルに打ち付けていた。マジでなんなんだこの歌い手様は!? これが470万人もの登録者を獲得出来るのだから、まったく電子の海は複雑怪奇。
「どこにあるんですか!? 東京だったらどこでもいいので!」
「えっと、その……」
「山手線の外ですか内ですか!? 武蔵野線の外ですか!?」
「き、近所ですっ!」
「へっ?」
大声を張り上げたら、ようやく落ち着いてくれた。血が出そうなほど赤くなった額をこちらに見せながら、女性が顔を上げる。
「近所って、その……」
「自分のマンションです。たしか防音仕様ですし、おまけに角部屋なので近所迷惑の心配はないかと」
「ほ、本当ですか? そんな夢のような場所がっ?」
女性は目をキラキラと輝かせ、俺の顔を見上げる。でも……この人からすれば、初対面の見知らぬ男の家に上がるってのは無理だろう。
「僕は構わないですけど、流石にあなたが嫌でしょう。一人暮らしの男の家に上がるなんて、そんなこと――」
「行きます」
「へっ?」
即決!? いま「行きます」って言ったよな!?
「ほ、本気ですか?」
「行きます。連れていってください、今から」
「え、でも僕はこの後キャンパスに戻って講義が」
「この通りですっ! どうかお願いしますっ! 一生のお願いですっ!! 人生捧げますからっ!!」
「こんなことに人生捧げないでください!!」
やっぱりできちゃった婚の話なの!? ……などと思いつつ、必死に女性の額をテーブルから剥がそうとする俺。
こうして俺は、柊琴音……いや、Kotoneという歌い手を自宅に招き入れることになったのだった。




