43
サーレマーレ島へ出発前日の夜、マレフィカがギルドハウスまでやってきた。
「ふおー、結界の外の地面を踏むのは何年ぶりかなー?」
マレフィカは、リューリアのことも覚えている。
だがしっかり者の次女は、十八歳になり森の遊び場は忘れかけていた。
「言われれば……思い出します。変ですね、あんなに遊んだのに。ごめんなさい」
謝るリューリアに魔女は大きく手を振る。
「いいのいいの。女の子は早くに来なくなるからね。ミュスレアみたいなのは珍しいのよー」
「へへっ、照れるなぁ」
「……褒めてないにゃ」
バスティの肉球がミュスレアの頭をぽんっと叩いた。
「で、やっぱり一緒に来ないか? サーレマーレ島まで行っての廃墟探検だけれど」
「いかないよ。知らない人が沢山いるなんて恐ろしい!」
マレフィカには、まだこの森を出るつもりはない。
その代りに、幾つか魔法道具をくれる。
「この鈴は?」
「これは私の家に来る時に使う。鈴の音が霧を中でも導くから」
「こっちの水晶は?」
「……わ、私の家の鏡と繋がってる。時々でも、連絡くれると嬉しい……」
水晶は家に置いて、マレフィカの生存確認に使うことにした。
他にも、緊急連絡用の煙玉、海水や泥水を飲めるようにする石、夜道を照らす杖、表は暖かく裏は涼しい毛布、香りの良い石鹸、クレイゴーレムのコア。
などなど、役に立つのか立たぬのか分からない品々を持ってきた。
もちろん一番評判が良かったのは石鹸だった。
「武器になりそうな物はあまり作ってないんだ。ごめんよ」
マレフィカは謝まったが、それも当然のこと。
強力な魔道具や魔法を生み出せるからといって、他人や生き物を傷つけるのが好きな魔法使いはいない。
戦場を一変させる兵器を開発してしまった科学者が苦悩するのと同じだ。
「これで充分だよ。旅がずいぶんと楽になる」
アドラーが答えると、魔女はほっとしたように息を吐いて笑った。
それでもマレフィカは、みんなの為に武器や防具を作ったり改良すると言った。
「後悔はしたくないからなー」と。
ついでに、旅の間はギルドのロバを預かってもらう。
「こいつを頼むよ、ドリーって言うんだ。かわいいだろ?」
「うわー、ぶさいくだな……」
マレフィカの言葉が分かったのか、ドリーが鼻を鳴らす。
「ご、ごめんよ」
ロバに謝る魔女に、ブランカが何か差し出した。
「あげる」
「なんだいこれ、何かの牙かな?」
人の犬歯よりも二回りは大きくて鋭い歯。
「あたしの牙。大きくなるまで時々抜けるんだ」
ブランカは口の端を引っ張って、歯が抜けたところを見せる。
牙があったところが、黒い隙間になっていた。
「リザード族の歯ねえ……。珍しいけど魔術に使えるかな」
まだブランカをリザード族とのハーフだと思っている。
「竜だぞ! 採れたての竜の牙だぞ!?」
今度はブランカもしっかり怒った。
「マレフィカ、その歯は持って帰って調べてみてよ。たぶん貴重なものだ」
「分かったよ、そこまで言うなら使いみちを探そう」
ローブにブランカの乳歯をしまいこんだマレフィカとドリーが森に消え、”太陽を掴む鷲”は旅立つ準備を全て終えた。
――翌朝、波止場にて。
「おいおい、新人二人に銀貨百枚は払えねーよ。二人で百枚でも高いぞ?」
いざ本契約のサインの段階で、”銀色水晶”の団長シルベートは異議を唱えた。
シルベートの主張は、アドラーも分からなくもない。
『腕の立つものは高く、それを証明出来ない者は安く』が技術を売る時の基本だ。
「アドラー、お前とミュスレアに異存はない。だがあとの二人は値引かせて貰うぞ?」
「まあ待て。一人は腕が立つ、もう一人はヒーラーだ。それに払うのはリヴォニア伯国だろ?」
正直なところ、四人で銀貨三百でもアドラーは良かった。
金貨にして二枚半、満足の収入だが言われるままに値引いては今後に影響する。
「せめて銀貨七十五はもらいたい」
「駄目だ、せいぜい六十」
「七十」
「六十五」
ほぼ出来レースの交渉が終わろうとしていた。
握手直前になった二人の団長に、小柄な影が割って入る。
「あの! お世話になります、リューリアです! わたし、いっぱい頑張ってみんなを癒やしますね!」
リューリアがとびきりの笑顔を作る。
当年十八歳、見た目はもう少し若い。
港の朝日を浴びて麦穂のように輝く薄いブラウンの髪と、エルフの血を引く揺るぎない美貌。
成長途上の魅力と性格の良さが溢れたまっすぐな瞳。
一撃で、男ばかり十一人の団を率いるシルベートの頬が砕けた。
「いやいや! 大丈夫だよ、四人で四百枚。もう決まってたことだからね!」
才能を活かした見事な交渉術に、アドラーと見ていたタックスも思わず拍手する。
もう一人、近くで見ていた者が参戦した。
「あの! ミュスレアです! わたしもいっぱい頑張りますね?」
「あ、これはミュスレアさん。ご高名はかねがね伺っております。当団に参加していただき光栄です!」
シルベートは、半エルフの戦鬼に直立不動で挨拶した。
「……てめーこら、態度違いすぎるだろ? 傷つく年頃なんだぞ?」
乱暴な冒険者言葉を使いこなすエルフ娘に、シルベートはぺこぺこしながら何度も謝った。
「いいなあ……女の子のヒーラー、うちも欲しいなぁ……」
”銀色水晶”団の誰かのぼやきが合図になり、一行は乗船を始めた。
風の精霊が好む意匠の描かれた帆をあげ、船は港を出る。
この模様に向けて風の精霊が飛び込んできて、少しの風が何倍にもなる。
この世界の船乗りは風に頼り、風に感謝しながら船を操るのだ。
順調な航海で、日も高い内にサーレマーレ島が見えてきた。




