その2
三日後に迫ったライデン市の夏祭りに向けて、アドラーは準備を整える。
エルフ秘蔵の香辛料も、これだけではあの味にならぬ。
香辛料は高価だとのイメージがあるが、それ自体が珍しいわけではない。
一時代、輸送と仲介で数百倍に跳ね上がっただけ。
『現地では、家畜の餌に混ぜて肉の風味を良くするほど採れた』と記録が残ってるのをアドラーは知っている。
それでも舌への刺激には消えない需要がある。
決して肉の保存の為だけに金銀を支払ったわけではない。
そしてここライデン市は、商人の力が強い一大交易都市。
大陸一円から香辛料が集まる街で、アドラーは市場の一角へ踏み込んだ。
「まあ……安くはないんだけどな」
大量の香辛料を前にアドラーは吟味を重ねる。
ウコンにターメリックにクミンにコリアンダーにレッドチリにカルダモンにシナモンにブラックペッパーなどなど。
欲しい物は沢山あるが、地球と同じ物があるわけではない。
結論は……『ちょっとずつ買って、混ぜながら調整しよう!』となった。
少しずつ混ぜて炒めて塩で調整しながら、アドラーはカレーの素を作る。
「2日も台所を占拠して何やってるにゃ?」
「さあ、変わった料理を作るらしいよ?」
バスティとキャルルが遊びながら見つめていた。
「出来た……!」
不眠不休で二晩、遂にスパイスの黄金レシピが生まれた。
「おいダルタス、こっち来て味を見てくれないか」
アドラーは、ダルタスと言う名のオーク族を呼んだ。
「なんだ団長、呼んだか?」
ダルタスがやってくる。
身長230センチを超える大巨漢で、とある事件がきっかけでアドラーに付いてきた。
「これを飲めと? うーむ凄い匂いだが、団長が飲めと言うなら毒でも飲むぞ」
「毒じゃないよ。ちょっと辛いけど、美味いはずだ」
ダルタスが小皿の試作品を迷わず飲み干す。
「……!? か、辛い。だがそれでいて複雑。辛味と苦味の後に甘さも混じった複雑な香りが鼻孔と脳天を貫く……! 団長、これはなんだ?」
「ふっ。俺の故郷の料理、カレーさ」
「団長、このカリーとやらは売れるぞ!」
男二人は、台所でがっつりと握手した。
「何やってるにゃ、あいつら?」
「さあ……大人のすることはわかんないね」
猫の毛に顔をうずめながら、キャルルは怪訝な顔をしていた。
そして大人は、時に理不尽なことも言う。
「いやだ、絶対にやだ! ボク、こんな服絶対に着ないからね!」
ミュスレアの弟キャルルは、全力で拒否していた。
「まあそんなこと言わずに着替えるにゃ」
「そうそう。嫌がると力づくでやっちゃうよ?」
人型に戻った女神と竜族の姫が、クォーターエルフの少年を追い詰める珍しい光景があった。
「キャルルには悪いと思っている。予算の都合でこのタイプの衣装しか出来なかった。すまん、けど似合うと思うぞ?」
「兄ちゃんまで!!」
アドラーは、衣装も仕立て屋に注文していた。
自分には白いコック服、そして給仕を務める団員達には……。
バタンと、奥の部屋から着替えたリューリアが戻ってくる。
黒のワンピースに腰で縛る前掛けエプロン、白い付け袖に付け襟、足元にはアドラーが半日も探し回った黒革のおでこ靴。
襟元と頭にはリボンと、クラシック風のメイド服姿。
「リュー、素晴らしい! とても良く似合う、かわいいよ!」
「えへへ、そうかな」
リューリアがくるっと一回転すると、長い裾がふわっと広がる。
「リューねえ、助けて! こいつらボクにその服を着せようとするんだ!」
キャルルはまだ抵抗していたのだが。
「良いんじゃないの、多分似合うわよ。あんた達、やっておしまい」
姉は冷たかった。
許可を得たバスティとブランカが、同時にキャルルに襲い掛かる。
しばらくして、そこには半泣きの中性的なエルフメイドが現れた。
「ぐすっ……なんでボクのスカートだけ短いのさ……」
「逆だキャル。リューだけ長くしてもらったんだ」
大人しい印象のリューリアにはロングが似合うとの、アドラーの拘りだった。
「おい、アドラー! なんだこれ!?」
次はミュスレアが飛び込んできた。
ミニのフレアに、太もも丈のガータータイツで、こちらは現代風メイド。
「さすがミュスレア、良く似合ってる!」
「そ、そうかな? へへ、じゃなくて。胸の上のとこがこんなに空いてるし!」
「ミュスレア、大人はその衣装と決まってるんだ。分かってくれ」
アドラーは大嘘を付いた。
リューリアとキャルル、それとバスティとブランカは可愛さ重視。
ミュスレアともう一人、”森の魔女”ことマレフィカには、色気のある衣装を用意していた。
この魔女は、エルフの森から戻って直ぐに加わった。
「あれ? マレフィカは?」
アドラーは、開店直前になってギルド員が一人足りない事に気付いた。
魔女は影が薄いのだ。
「さっき、森の家の方に飛んでいきやしたぜ」
オーク族のダルタスが告げた。
「まあ良いか。5人も居れば足りるだろう」
アドラーは一人くらい大目に見ることにした。
「ところで団長、あっしもそれを着るんですかい?」
魔女に着せるつもりだったメイド服を持ったアドラーと、ぺたんと座り込んだメイド服の少年を見ながらダルタスが聞いた。
「いや、ダルタスには米を炊いてもらう」
この世界にもイネ科の長粒種に似た穀物があった。
かまどで何百人分も炊くのは重労働だが、オークの力ならばこなせる。
「会計はリューリア、注文はキャルルとバスティ、運ぶのはミュスレアとブランカだ。ギルドのお財布はこの出店にかかってる! みんな張り切っていくぞ!」
キャルル以外は右手を上げて威勢をあげる。
異世界でのカレー屋さんが始まった。
2話完結のつもりでしたが3話に
カレーの細かなレシピは秘密です




