遠い日の残響
楽しかった日に終止符が打たれたのは、そう昔の話ではない。
元々天涯孤独な状況で、だからまぁ、のんびりと過ごしていた。
親が残してくれていた遺産もあって生活に困る事もなかった。エルフの血を引いているので魔力はあったし、親が死ぬ前に色々な魔術を教えてくれていた。親が残してくれた形見の品には収納魔術が付与された道具もあって、それ故身軽な状態であちこち好きに移動できた。
浄化魔法だけはまだ覚えていなかったので、瘴気汚染度が高いと噂されている土地へ行かないようにしていたけれど、それでも自由気ままに過ごしていた。
とはいえ、やはり一人は寂しかった。
一応独り立ちできなくはないけれど、それでもまだエルフという種から見れば子供の部類。
そんな中で知り合った別の種族の子は、彼女がエルフである事を特に気にするでもなく手を差し伸べた。
「行くとこないならウチ来いよ!」
そんな軽すぎる言葉。
行った先が荒くれ者の多い船であった事に驚きはしたけれど、それでも彼の父親も彼女を受け入れてくれた。後になって思ったのは、多分子守を押し付けられたな、である。けれどもそんな事はどうでもよかった。
少年――レイと一緒にいるのはウィルにとって楽しい事だったので。
船での移動は慣れるまでが大変だったけれど、それでも陸地を行くより瘴気汚染が低いのでそこそこ快適であった。
時々近くの島に下りて物資を補給して、そうしてまた船で各地を移動する。
地図にも載ってないような小さな島を探検したり、陸地に下りて遺跡を探検したり。
幼い頃に親が読んでくれた冒険譚のような出来事に、ウィルは内心わくわくしていたのだ。
年齢的にもウィルの方がお姉さんではあったけれど、レイの成長は早く出会った当初と比べるとほんの数年であっという間にウィルの背丈を追い抜かれてしまい、お姉さんだとウィルが言っても周囲は誰も信じてくれなくなってしまった。
確かに、鏡とかで二人が並んでるのを見るとどうしたってレイの方が大きくて、ウィルより年上に見えてしまう。
レイがもっと気弱でおどおどするような子であったなら、まだお姉さんだと言っても信用されたかもしれない。
けれどもレイは危険な状況であっても弱音を吐くようなタイプではなく、むしろ率先して突っ込んでいくようなタイプであった。正直何かあったらと気が気じゃない。流石に明らかに危ないと思えるようなところに無防備に突っ込んだりはしていなかったけれど、一歩間違ったら危ないな、というのは結構な数あった。
そんなわけなので、ウィルは危ないなと思った時ほどレイから離れないようにしていた。
レイの家は海賊と盗賊を兼ねてるらしく、時として襲い掛かって来た船を返り討ちにしてその船にあった食料だとか金銭を粗方奪い取ったりもしていたが、率先してこちらから攻撃を仕掛ける事はなかったので襲われなければ案外平和な日々は続いていた。
お宝の気配あり、みたいな所へこぞって出かけていくのは、つまりそういう事だったんだなぁ……とウィルが納得した瞬間でもあった。
そこらの町や村を襲わなかったからこそ、ウィルはレイと一緒にいたと言ってもいい。
もし手当たり次第にそこらを襲うようなならず者であったなら、流石のウィルも早々に彼らとは距離を置いていた。
代々続く家系のようなものだったからか、昔から彼らの子分をしてるなんていう連中もいた。子分と称される人たちは男だけではなく女もいた。とはいえ、大半は若いわけでもなく。いや、ウィルからすれば年下だから若いはずなんだけど、とっくに子供も生まれてその子が成人してるくらいには成長していたので、その女の人たちはどちらかというとお姉さんというよりおっかさんと呼んだ方がしっくりくるのだ。
そんな女たちからウィルはそれなりに可愛がられ面倒を見られていた。といってもウィルは自分の事はその頃には大抵一人でできていたので、面倒を見られる、というのは少しばかり違ったかもしれない。まぁ、レイと一緒になって悪戯とかした事もあったし、そういう時は一緒に怒られたりもした。
良い事をすれば褒められたし、悪い事をしたら叱られた。
レイも同じく。
だからだろうか、ウィルはすっかりその船の一員になっていて、仲間のつもりだったのだ。
レイは大きくなったらやっぱり父親の跡を継いでいくつもりらしく、親父も行けなかった場所へ行ってみせるだとか言っていた。夢は大きく。大いに結構である。
夢物語のように聞こえるそれも、けれどレイならできるだろうなとウィルは思っていたし、何なら自分はその隣で見届けているのだろうとも思っていた。
そう、あの日、あの島に辿り着くまでは。
大人たちが一足先に偵察していたから、島に危険がない事はわかっていた。
船がちょっと壊れてしまって、それらの修理もしなくてはならなくて。
けれどウィルやレイが手伝おうにも小さな身体では少しばかり無理があった。
これが魔法や魔術を使う何かであったなら、ウィルは手伝えたのだけれど木を切るにしても道具はあったし、大抵は船員たちでどうにでもなってしまう。
それよりもレイの面倒頼まぁ、とレイの父に言われてしまってはウィルとて断る理由もない。
あからさまな危険はないと言われても、どこに何があるかはわからない。
一応気をつけていけよ、と言われ、ウィルは大真面目に頷いたし、レイは早く行こうぜと新しい島での探検にワクワクしていた。
正直一日で島を探索しつくす事はできなかった。
大人の足ならどうにかなったみたいだけど、ウィルとレイの足ではちょっと行くだけでも結構な距離に感じてしまっていたのだ。けれどもそんな事はどうでもよかった。
そこかしこの木にはいくつも果物が生っていたし、ちょっとお腹が空いてもそれを採って食べればいいだけの話だった。夜には戻らなくちゃならないから、ある程度進んだら引き返したりしていたけど、大人から聞いた島の様子と、自分たちの足で見て回った情報とで毎日同じ範囲までしか移動できないなんて事もなかった。
何度も移動していれば通りやすい道だとかもわかってくる。
手伝いをしないのはちょっとだけ気がかりでもあったけど、レイの面倒を見るというのが今の自分に与えられた仕事だというのなら、まぁ、いいのだろう。
そう納得させて、朝から晩までレイと島の中を歩き回った。
そろそろ船の修理も終わりを迎えそうで、ついでに果物だとか魚だとかを確保して食料もそれなり。
島の中にいた動物もいくつか仕留めて、船にあった調味料で保存できるように加工して、そろそろこの島を出る事になりそうだ……なんて話が聞こえ始めて、あぁ、それじゃあレイと一緒に島中駆け回るのもおしまいか、なんて思っていた。
レイもそれくらいはわかっていたのだろう。
最後に目一杯遊んでいこうと言って、あまり近寄らなかった巨大な木がある場所まで移動して。
あのあたりは木が沢山あってウィルからすれば落ち着く感じがしたけれど、同時に人もロクに踏み込まないようなところだ。移動するには少しばかり大変だろうと思っていたから、基本は島の外周を回るように移動していた。けれども折角だからと一直線に島の中心部へと突っ切るように移動して、そうして辿り着いた巨木を前に。
レイはよりにもよって登ってみようぜなんて言い出した。
えっ、どこまで登るつもりなの?
最初の枝まで!
思わずと言ったウィルの言葉に即座に返して、レイは言うなり木によじ登り始めた。大きな木で、なんていうか壁をのぼっているみたいな感じがしたけれどレイはするすると上に登っていってしまう。
ウィルは正直そこまで登れるかどうか自信がなくて、だからちょっとだけ魔術で登りやすいようにしてからレイの後を追いかけた。
登っている途中から、何となく空模様が怪しいなとは思っていたのだ。けれどそれを理由に下りようと言ったところでレイが納得してくれるかわからない。
いっそ最初の枝がある場所まで登って、そこで様子見した方がマシとか言われそうだし実際声をかけてみたら予想通りにそう言われてしまって。
まぁ、あとちょっとで枝までいけるし……枝は太いから辿り着いたとして不安定な状態にはならないだろうし……そう思って結局登ってしまった。
登った頃にはすっかり天気も崩れてしまって。雨が酷いくらいに降っていた。
嵐が来たな……
なんてレイが呟いて。
ウィルは思わず空を仰いだけれど、巨大な木が雨水の大半を防いでくれていた。けれども聞こえる雷の音は不安を煽るもので、何も安心できそうにない。
木の洞があって、ギリギリどうにか二人入れそうな大きさで。
枝の上にいても大丈夫だとは思うけれど、上から溜まった水が落ちてくるかもしれないし、風向きが変われば今自分たちがいる場所に雨が降り注いでくるかもしれない。
それどころか、あまりにも酷い大雨はあっという間に島の川や泉の水位を上げたのかビックリするくらいの速度で地面が見えなくなってくる。流れてくるのは雨水だけではない、とばかりに、それこそ川が新しくできて木の下を流れていると言われたら信用してしまうくらいに。
だから、何となく不安になって二人で身を寄せ合ってじっとしていた。
ただ、それでもふとした瞬間に体勢を立て直したくなる。
それは例えば椅子に座っていて徐々に深く腰掛けてしまった時に、座り直すような感じで。
ちょっと、身動ぎしただけだった。
けれどもそのちょっとした動きで、木の洞ギリギリの部分にウィルが首から下げていた鎖が引っかかって、プツンと音を立てて千切れてしまった。
鎖には指輪が通されていて、あ、と思った時にはその指輪が巨木周辺の木をすっぽり覆うくらいに増えていた水の中へ落ちてしまって。
その頃にはごうごうざあざあ酷い音がしていたから、指輪なんて小さな物が落ちたくらいのぽちゃん、なんて音はすっかりかき消されて。
「あ」
「バカウィル! 何しようとしてんだ!」
「指輪、が」
「っ! お前の親が残してくれたっていうアレか!? いい、待ってろ俺がいく」
「レイッ!?」
あまりにも早い決断と行動だった。
咄嗟に手を伸ばして身を乗り出そうとしていたウィルを止めるような動きをしたレイは、ウィルの言葉を聞いて止める間もなく濁流になってる場所へ躊躇う事なく飛び込んだのである。
泳ぐのはウィルよりもレイの方が圧倒的に上手だ。
けど、それにしたってこんな状況でマトモに泳げるはずもない。ましてや、指輪なんて小さな物を探すなど。
いや、そうではない。
そうではないのだ。
レイは勘違いしている。
確かに指輪は落とした。
両親の形見になってしまった指輪は収納魔術がかけられていて、確かに大事なものだけど。
けれどそちらは、落とさないようにと別の場所に括りつけてあるのだ。だから、ちゃんとある。
ネックレスなんてつけるつもりもなかったけれど、それに通してあった指輪は以前、別の町でやってた小さなお祭りでレイがくれたオモチャみたいな指輪だ。
ただ、それでも。
レイが初めてくれた物で。
ウィルにとっては宝物みたいに大事な物で。
だから落とした時に思わず声が出てしまったけれど。
「レ、レイッ!? レーーーーイ!!」
そのために本人が危険な事になってしまうのは、ウィルだって望んじゃいなかった。
あの日、あの時、自分もすぐさまあの濁流に飛び込んでいたら、果たして何かが変わっていただろうか。
ウィルは今でも時々そんなことを考える。




