menu90 聖騎士が愛する者
今日はちょっと甘酸っぱい料理をご用意しました。
どうぞ召し上がれ!
ディッシュが料理を作っている間、アセルスとウォンは沢で水浴びをすることにした。
魔獣たちとの激闘。
その後の解体。
おかげで、アセルスとウォンの身体には、魔獣の血がこびりついている。
まずアセルスは脱いだ鎧を川で洗っていた。
今は夜中だが、出鱈目な魔王のおかげで、こちらも昼間のように明るい。
おかげで青紫に染まっていた鎧は、その白銀の色を取り戻した。
「ふぅ……。こんなものか」
濡れてはいるが、火に当てて乾かせばいいだろう。
聖騎士アセルスの鎧は、一般的な鉄ではなく魔法銀だ。
頑丈な上に軽く、魔法耐性も強い。
唯一の難点は、高価だということぐらいだろう。
すると、今度はアセルスはウォンに向き直った。
「よし! ウォン、今度はお前の番だぞ」
「うぉん?」
「ブラッシングしてやるというのだ。そのままじゃ、魔獣の血が付いたままになるぞ。気持ち悪いだろ?」
「うぉん!」
1つ吠えると、突然ウォンは光りを帯び始めた。
途端、ウォンの毛に付着していた魔獣の血が消えていく。
まるで聖水で浄化されていくようだ。
あっという間に、ウォンの毛から魔獣の血が消滅する。
アセルスの鎧と同じ白銀の毛が露わになり、風が吹くとふわりとなびいていた。
「神獣が持つ聖属性か……」
以前、ディッシュが言っていたことではあるが、ウォンは神獣故に強い聖属性を持っている。
そのためウォンに触るだけで、身体の穢れや汚れを綺麗にしてくれるらしい。
山中は魔獣の巣窟であると同時に、穢れの巣窟でもある。
その中にあって、ディッシュが風邪1つ引かず、元気でいるのはウォンのおかげなのかもしれない。
「ごくり……」
アセルスはウォンの毛を見ながら、喉を鳴らした。
食べている時と比べれば、モフモフ度が低いが、それでも気持ち良さそうである。
ちょっと触ってみたくなった。
「ウォンよ。……ちょっと毛を触らせてくれないか?」
「うぉん?」
ウォンはじっと金色の瞳でアセルスを見つめる。
思わず「うっ」とアセルスは喉を詰まらせた。
何か自分の中の邪な心を覗き見られているような気持ちになる。
やがて、ウォンは鼻息を荒くした。
「仕方ねぇなあ」という感じで河原に座り込み、ヒラヒラと尻尾を振る。
どうやら触ることを許してくれたらしい。
昔と比べると、随分アセルスに対する警戒心が薄くなっていた。
ディッシュほどではないにしろ、アセルスのことも認め始めているのかもしれない。
「行くぞ」
「うぉん!」
アセルスは手を伸ばす。
たまにどさくさに紛れて触ったりするのだが、こうして「いざ触る!」となると何か緊張してしまう。
同性の柔肌を後ろから触るような背徳感を、アセルスは感じていた。
さわり……。
アセルスの白い手が、ウォンの毛に吸い込まれていく。
「柔らかい……」
思わず唸る。
居心地がよく、そしてどこか雄大だ。
麦畑の真ん中で、日向ぼっこをしているような気さえする。
不意に眠気を誘われそうになって、アセルスは慌てて顔を上げた。
すると、アセルスは気付く。
自分の身体が光を帯びていることを。
先ほどのウォンと同じだ。
身体や髪についた魔獣の血がなくなっていく。
「これがウォンの力か……」
こうやって体験してみると、ウォンの力は偉大だ。
そのウォンが認めるディッシュは、さらに偉大だろう。
「うぉん!」
どうだ? とばかりにウォンは吠えた。
アセルスは少し驚いてから、ウォンの頭を撫でる。
「ありがとう、ウォン。これでディッシュの料理が食べられそうだ」
しかし、このことを知っていれば、沢まで来る必要がなかったかもしれない。
ウォンは服に滲んだ汗まで浄化しており、さっぱりしていた。
沐浴をした後となんら状態は変わらない。
それよりもすっきりとしていた。
「鎧を乾かしたら、ディッシュの所に戻るか」
「なんじゃ? 服を脱いでおらんではないか」
いきなり声が背後から聞こえた。
即座にアセルスは振り返る。
岩の上にゼーナムが座っていた。
やけくそ気味に川の中に石を放り投げて、いじけている。
「沢に行くというから、折角女子の柔肌が見られると思って、待ちかまえておったのに……。期待を裏切りおって」
「な! もしかしてお前、覗くつもりだったのか?」
「当たり前じゃ。わしを誰だと思っておる、魔王じゃぞ」
「理由になってない!」
アセルスは叫んだ後、はっと顔を上げた。
「ゼーナム、ディッシュはどうした?」
ゼーナムも、アセルスも、ウォンも沢にいるということは、今ディッシュは1人ということになる。
ここは山だ。
魔獣の脅威が去ったとはいえ、一時的なものでしかない。
側にはダイダラボッチの一部があり、まだまだ魔獣が引き寄せられるだろう。
ゴーストラディッシュ程度の雑魚魔獣ならいいが、ブライムベアなどの大型魔獣に襲われれば、いくらディッシュでも一溜まりもない。
アセルスは乾かしていた剣を握る。
ディッシュの元へ戻ろうとしたが、ゼーナムはそれを止めた。
「大丈夫じゃ。我の結界に近づこうという輩はおらんよ」
ゼーナムは上を指差した。
夜の中にありながら、ぽっかりと浮かんだ青空。
ゼーナムが放った闇を払う魔法は、どうやら結界としても機能しているらしい。
確かに、これ程の強大な力を見せられては、魔獣はおろか冒険者とて近づくことは難しいだろう。
「それよりもアセルスよ。わしはお主と語らいたかったのだ」
「私と? 生憎と魔王と話すことなど何もない」
「お主、ディッシュのことを好いておるだろう?」
「ぶぅうぅぅうううううううううう!!」
アセルスは盛大に噴き出した。
マグマのように顔が赤くなり、噴煙のように湯気が上がる。
目をグルグルと回しながら、手を振った。
「ななななななななな、な、何を言っているのだ」
「そこまで照れなくても良かろう。誰の目にも明らかじゃ。気付いておらんのは、ディッシュくらいなものだろう」
「う……」
「その反応……。どうやら自分自身も気付いておるようだな。かかかか……。なに心配するな。ディッシュも気付き始めてはおる。ただそれは無意識であり、まだ頭の中で理解しきれていないだけだ」
「そ、そうなのか?」
1度沈んだアセルスの顔は、再び輝いた。
ゼーナムはまた「かかか……」と笑って、頷く。
「応よ。……何せ我らとは時々、反応が違うからの」
「我ら?」
「ディッシュはこの10年間、様々なものに関わってきた。始まりの竜『赤帝竜』、水聖霊ウィンデル、近いところでいえば、賢者ガーウィン、ウォンの母親である神狼ユルバ。ああ。そういえば、『剣神』と呼ばれている東方の老人もいたな。あれもほとんど人から外れておるゆえ、人外のうちに入るじゃろう」
おそらく最後のはケンリュウサイのことを指して言っているのだろう。
「そして、このわし――魔王ゼーナム……。不思議なことに、世界の根幹に関わる者たちが、あのゼロスキルの料理人と縁を結んでおる。しかし、我らは皆、ただひっそりとディッシュの行く末を守ることしかできなかった。何故かわかるか?」
「……住む場所が違うからか?」
「その通りじゃ。しかし、ようやく今になって、ディッシュと対等に話せる者が現れた。それがお主じゃ、アセルスよ」
「…………!」
「お主はディッシュの料理を認め、強く関わりを持とうとした最初の人だ。それ故に、ディッシュはこれまでの我らとは違う反応を見せておる。ようやく人間らしさを取り戻した、とでもいうのだろうか」
「まるでディッシュが人間ではない言い方ではないか?」
「人間らしさとは、人間と関わることで生まれてくる。そう思わんか?」
アセルスは顎を上げた。
一瞬、古い記憶が頭の中をよぎる。
それは小さな少女が襤褸を着て泣いている姿だった。
やがて我を取り戻したアセルスは、神妙な顔で頷く。
「そうだな」
「ほほう。お主にも経験があるようじゃの。興味はあるが、まあ聞かないでおいてやろう」
「ゼーナムよ。お前は、一体何を企んでいる? 一体、ディッシュに何をさせようというのだ?」
「別に……。わしは何も企んでおらん。こんな姿になって、今さら世界征服などというつもりもない。そもそも興味もないしな」
すると、ゼーナムはアセルスに向かって指を指す。
「だが、その言葉――そっくりお主に返そう、アセルス」
お主はディッシュをどうしたいのだ?
「それは――――」
言いかけて、アセルスは口を噤んだ。
改めて聞かれると難しい。
ディッシュは好きだし、その料理も好きだ。
いつまでもあの料理を堪能したい、と思っている。
「じゃが、それは難しいことは、お主も先刻承知であろう」
ゼーナムはアセルスの心を読むかのように核心を突く。
「ディッシュはお前を通じて、様々な人と関わるようになった。それは喜ばしいことであろう。だが、この先ディッシュが人と関わり、あの魅惑の魔獣料理に没頭すれば没頭するほど、世界はそれを許さないだろう」
ゼーナムの言葉に、アセルスは頷く。
ディッシュの料理は、異世界ルーンルッドの定説を覆した。
素晴らしい偉業であることは語るまでもない。
けれど、定説というのは簡単に破壊できるものではないのだ。
「いつか様々な悪意が、ディッシュに牙を剥いて襲いかかるだろう」
「ならば、私が守るだけだ。ディッシュとディッシュの料理を」
「その意気込みはよい。だが、果たして守りきれるかな。その悪意は1つや2つではないぞ。万という単位で襲いかかってくるかもしれぬ。それは今日襲ってきた魔獣よりも恐ろしいものだ。……お前たちは孤立するのは必定。仮にお前がいなくなれば、ディッシュはまた1人になる。昔住んでいた街と同じく、人に虐げられるだけの人生になるだろう」
「何度も言わせるな、ゼーナム」
アセルスの瞳が、青い炎のように揺らめいた。
「私は聖騎士だ。困っている人がいれば、それが世界の敵であろうとも、私は守ってみせる。ディッシュだとか、ゼロスキルだとか関係ない。弱き者を守る。それが騎士たるものの義務だ」
「ほう……」
「それに私はお前よりも楽観的だ。ディッシュの料理は人を魅了するが、誰かを攻撃するような事はしない。等しく、そのものを幸せにする味だ。ただ――」
「ただ――……なんだ?」
ぜーナムが尋ねると、アセルスは少し頬を染めた。
「ディッシュの料理は、私のためであってほしい」
ディッシュに私だけの料理番になってほしい……。
アセルスは心中から言葉を吐きだした。
自分の料理番になってほしい。
ヴェーリン家とかそういうことじゃなくて、アセルス・グィン・ヴェーリンだけの……。
「これは私のわがままなのだろうか?」
「くかかか……。ようやく素直になったの。よいよい。それで良い。乙女というのは、欲望に忠実にあっていいのだ。欲しいものは欲しいといえば良いのだ」
「魔王が言うと、禍々しく聞こえるな」
「かかっ! それにしても、料理どころか、料理人まで欲するとは、さすがは食いしん坊騎士よな」
「う、うるさい!」
アセルスは顔を真っ赤にしながら反論した。
「だが、それでよい。料理とは1人では成立せん。食べる人がいることによって、初めて幸福になる。ディッシュはずっと1人で料理を作っていた。だが、今ヤツは誰かのために料理を振る舞おうとしている。お主でも、あのおてんば姫でも誰でも良い。ディッシュに、誰かのために料理を作らせてやってくれ」
さすれば、あやつが道に外れることはなかろう。
「それはどういう――――」
すると、アセルスの嗅覚が反応した。
山や森の匂いとは違う。
魔獣とも違っていた。
とにかく、お腹を刺激する香り。
これはおそらくアセルスが愛してやまないディッシュの料理だ。
「うぉん!」
ウォンも反応する。
早くも舌を出し、口の端からポタポタと涎を垂らしていた。
かくいうアセルスもそうだ。
ぐおおおおおおお……。
竜の吠声を腹の底から響かせる。
「くかかかか……。どうやらできあがったようだな」
ゼーナムはニヤリと笑う。
「さあ、堪能しようではないか」
大巨人ダイダラボッチをな……。
【宣伝】
本日『ゼロスキルの料理番』のコミカライズ版が、
ヤングエースUP様にて配信を開始しました(下欄にリンクがあります)。
キャラは可愛いし、料理はおいしい!
躍動するアセルスやディッシュを、是非ご堪能ください。
配信は主に金曜日にアップされる予定です(コミカライズ版の次回更新日は9月6日です)。
なので、合わせるために『ゼロスキルの料理番』も金曜日にお引っ越しさせていただきます。
よろしくお願いします。







