menu87 この世で1番お腹が空いているヤツ
今回は狩り回です。
本日もどうぞ召し上がれ!
風を纏った黒い刃が放たれる。
速い。
その速度は、【光速】のスキルを持つアセルスですら反応できなかった。
剣を構えたまま、アセルスは「あっ」と口を開ける。
その瞬間には、すでにその頬をかすめるようにして、後背へと抜けていた。
『ぐおおおおおおおお!!』
吠声が響き渡る。
アセルスは一瞬、ウォンの声かと思ったが、声質が違う。
すぐさま金髪を翻し、背後の様子を窺った。
「な――――ッ!」
アセルスは絶句する。
背後の岩陰に隠れていたのは1匹の魔獣だった。
「ブライムベア!!」
それは山でお馴染みに超危険な生物である。
今、その眉間には指で突いたような穴が開いていた。
人間でいうところの脳を貫き、すでに魔獣は絶命している。
口を開けたまま地面に倒れた。
アセルスは思い出す。
ここが魔獣の巣窟である山の中であることを。
「うぉん!」
ウォンは吠える。
身を低くし、牙を剥きだした。
食事の時はモフモフしている体毛が、針のように逆立つ。
アセルスもまた慌てて剣を構え直した。
周囲の気配を読み、索敵する。
その段になって、聖騎士はようやく気付いた。
獣臭が鼻腔を突く。
物音がして、魔獣たちが近づいてくるのがわかった。
空を見上げれば、鳥型の魔獣も高い吠声を上げて飛んでいる。
その数、あるいは種類を確認して、アセルスは息を呑んだ。
スライム、ブライムベア、ヴィル・クロウ、火喰い鳥、ドラゴンバッド、グロード・ウォルフ、バジリスク、バイコーン、カリュドーンまで……。
多種多様な魔獣たち、まるで山の魔獣の見本市だ。
それが、ダース単位でアセルスたちを囲んでいた。
何故、今の今まで気づけなかったのか。
アセルスは悔やんだ。
だが、それは致し方ないだろう。
彼女の側には、今も魔王ゼーナムがいる。
その強大な気配によって、魔獣の接近に気づかなかったのだ。
「いや、そんなことよりも……」
アセルスは顎の汗を拭いながら、疑問を呈する。
問題はどうして魔獣が、一箇所に集まっているかということだ。
本来、魔獣とは警戒心が強い生き物である。
同種族で群れることはあっても、他種族と共闘することなどない。
こんな状況になれば、たちまち喧嘩が発生するだろう。
なのに、他の種族に目もくれず、ただ一点を見つめている。
その視線の先を追った時、アセルスは気付いた。
魔獣の視線の先にあったのは、あの魔力の塊だったからだ。
「まさかこの魔獣たちは、ダイダラボッチの一部を狙っているのか?」
「くくく……。その通りよ」
答えたのは、魔王ゼーナムだ。
どこからどう見ても、絶対絶命の窮地。
なのに、ゼーナムの口元には笑みすら浮かんでいた。
戦場となる1歩手前の状況を、明らかに楽しんでいる。
「そこにうまい食材があるのだ。当然、魔獣も生き物。お主と同じ食欲の権化よ。特にダイダラボッチは魔力の塊だ。魔力を力の根源とする魔獣が気にならないわけがなかろう」
「つ、つまり、こいつらはこのダイダラボッチの一部を横取りしにきたということか?」
「くくく……。少々間違っているぞ、アセルス」
「え?」
「これはまだ誰のものでもない。しいていえば、ダイダラボッチのものだ。今のところはな。我らと一緒よ。ダイダラボッチからかすめ取るためにやってきたのだ」
その時だった。
ドスン、と重たい音がこだました。
同時に空気が震え、梢が揺れる。
野鳥が一斉に飛び立っていった。
来る――。
アセルスは剣を音の方へと構えた。
側ではゼーナムは「くくく……」と不敵に笑う。
「ほう……。この魔力に当てられて、ヤツまで現れたか。いや、むしろ待っておったのかもな。食べる頃合いになるのを」
雷鳴のような音を立てて、幹が倒れていく。
いまだ、その姿を確認することはできない。
だが、確実に近づいている。
大きなプレッシャーを放ちながらだ。
それに感化されていたのは、アセルスだけではない。
魔獣たちも一緒だった。
吠声を上げて、威嚇する。
弱い魔獣たちは尻尾を巻いて逃げていった。
おかげで数が減ったが、高ランクの魔獣たちは懸命に近づいてくるものを罵倒し続けていた。
そして、それは現れた。
まず見えたのは、額にはめ込まれた宝石である。
その煌びやかな光はうっとりする程美しい。
だが、その宝石の持ち主は優雅さからかけ離れていた。
『うぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼっっっっっっ!!』
天地を串刺しするような吠声が、山にこだます。
出現したのは、緑の肌を持つ巨大な牛だった。
「カトブレパス!!」
その瞬間、アセルスは目を背けた。
横でうなり声を上げるウォンを見つけると、首に飛びつく。
慌ててウォンの目を塞いだ。
カトブレパスは、Sランクの災害級魔獣だ。
ダイダラボッチと比べれば、まだ戦いやすい魔獣だが、その特徴はなんと言っても、邪視――つまりは魔眼であろう。
バジリスクも同様の魔眼を持つが、カトブレパスの邪視はそれとは比べものにならない。
直視すれば、瞬時に即死するような代物だ。
大岩のような巨体よりも、魔眼の方が厄介だった。
魔獣の群れだけでも大変なのに、加えて魔眼持ちのSランク魔獣。
ダイダラボッチが山に現れた時と同じぐらいの危機を、アセルスは迎えようとしていた。
「(そういえば、ディッシュはどうしているのだ?)」
この場において、もっとも無力なのはゼロスキルのディッシュだ。
彼の能力は、料理することしかない。
それが数々の著名人や超越者を唸らせてきたわけだが、今この時においては、その能力も全くの無力だった。
そのことは、本人も理解しているのかもしれない。
ディッシュは木皿に載った魔力の塊を直視したまま固まっていた。
周りの魔獣にまるで気付いていない。
ただ瞬きは一切せず、ブツブツと呟いていた。
状況を直視せず、諦めているのか。
いや、そうではない。
ディッシュに限って、そんなことはないとアセルスは確信する。
ディッシュはきっと今、己ができることに集中しているのだ。
そうだ。
ディッシュも戦っている。
今、この瞬間も、皿の上の食材をどう料理しようか思案しているのだ。
その時、浮き足だったアセルスの心が定まった。
魔王ゼーナムも、魔獣も、カトブレパスも関係ない。
「私は……。私はディッシュが生み出す料理を食べたい。そのために、今目の前にある食材が必要というなら、絶対に奪い取ってみせる! 何があろうとだ!!」
ぐおおおおおおおおおおおおおおおお……!!
竜の吠声かと思うような音が、山に鳴り響いた。
魔獣たちは一斉におののく。
あのSランク魔獣カトブレパスですら、魔眼を見張っていた。
アセルスに魔力が満ちていく。
【光速】の騎士は光り輝いていた。
そしてニヤリと笑う。
「さあ、魔獣たちよ。お前たちの空腹が勝るか。私の空腹が勝るか」
勝負だ!!
アセルスは飛び出した。
まさに光の速度でである。
魔獣の群れに一直線に飛び込む、稲光のような軌道を描いた。
シャッと血しぶきが舞う。
一瞬にして、魔獣の急所が切り裂かれていた。
「うぉん!」
負けじとウォンも飛びかかる。
次々と魔獣を無力化していった。
その動きは今までとは違う。
母ユルバがダイダラボッチを倒した時の動きに似ていた。
つまりは、相手の動きを止め、確実に急所を狙う動きに変わっている。
ユルバの動きを見て、ウォンが学んだということだ。
神狼の子どもも、確実に成長していた。
「くくく……。なかなか派手に暴れておるではないか、聖騎士に神獣よ。なるほど。誰が1番空腹であるかの勝負か。面白いことをいうではないか、のう……」
ゼーナムが向き直った先にいたのは、カトブレパスだった。
Sランクの魔獣の前にあっても、ゼーナムの態度は変わらない。
まるで値踏みでもするかのように、全身をくまなく見回した。
「張りの良い筋肉。良質な脂。舌も分厚く、なかなか歯応えがありそうじゃ。ダイダラボッチを食べる時の前座には、ちょうど良かろう」
『ぶぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼぼ!!』
舐めるな! と言わんばかりに、カトブレパスは吠えた
魔眼が光る。
だが、ゼーナムは涼しい顔だ。
浴びれば、例え聖騎士であるアセルスであろうと、心臓を止めてしまうほど強力な魔眼であるはずなのに、ゼーナムには一切通じていなかった。
「無駄じゃ。わしを誰だと思っておる」
魔王ゼーナムじゃぞ……。
その名乗りを聞いても、カトブレパスは怖じ気づくことはなかった。
かすかに顔を紅潮させ、地面を掻く。
鍋から噴き出す蒸気のように鼻息を荒くすると、ゼーナムの方へと突撃する。
「くくく……。所詮は獣か」
ゼーナムは右手を掲げる。
手刀の形を作ると、ただ己の肉体だけを武器にして、カトブレパスを迎え討つ。
やがて、両者は交錯した。
『ぐももももももも……』
やや悲壮感が漂う吠声が響く。
カトブレパスの喉元が切り裂かれていた。
大量の血が舞い、側の川に滲むと青く染まっていく。
何度か身じろぎし、その生を求めたが、ついに巨体は大地に沈んだ。
その轟音を聞いて、アセルスとウォンが振り返る。
「すごい……。カトブレパスを一撃で」
「うぉん……」
さしもの聖騎士と神獣も、驚きを隠せなかった。
だが、1人と1匹はすぐに前を向く。
かなり減らしたが、まだまだ魔獣は残っていた。
アセルスはまたも不敵に笑う。
「ふふ……。良い具合にお腹が空いてきたぞ。ウォンはどうだ?」
「うぉん!」
「うむ。空腹は最高の調味料だ。楽しみだな、ウォン。ディッシュはどんな料理を作ってくれるのだろうな」
「うぉん!」
「ああ。そうだ。きっとおいしいに決まってる。だから、守るぞ。ディッシュも、その料理も!!」
「うぉん!!」
そう。
迷うことなんてなかったのだ。
どっちかなんて選べない。
選べるはずがないのだ。
アセルスはどっちも好きだった。
ディッシュも、ディッシュが作る料理も。
「だからなのだ。だから、きっと私はおいしく食べられるんだ!!」
【光速】の聖騎士が再び走り出した。
コミカライズ企画進行中です。
来週か再来週には続報をお伝えできるかもです!
お楽しみに!







