menu85 ゼロスキルの料理人と魔王
まさかの魔王登場です。
今日もどうぞ召し上がれ!
…………!
ディッシュが住む『長老』の付近が、しぃんと静まり返っていた。
鳥の羽ばたきも囀りも聞こえない。
風もなく、梢の音も途絶えていた。
聞こえていたのは、ぐつぐつという鍋が煮える音だけである。
シャン!
鞘走りの音が聞こえる。
剣を抜いたのは、アセルスだ。
「ディッシュ、離れろ!」
裂帛の気合いとともに叫んだ。
「信じがたいことだが、得心した。その異様なまでの雰囲気、纏う圧力。そして封印と聞けば、その存在を絞り込めるのは容易い。まさか2000年前に存在した魔王が、封印を破り、現界しているとは……!」
アセルスは震えそうになる奥歯を力を入れて抑え込む。
その額に珠のような汗が浮かんでいた。
彼女はSSランクの聖騎士である。
そのアセルスでも、今目の前にいる人物は恐怖の対象であった。
魔王ゼーナム。
アセルスの言うとおり、2000年前に存在した魔王である。
今も現存する魔族。
その親玉が、ゼーナムである。
かつてゼーナムは、付き従う魔族とともに世界を破壊しようとした。
その力は圧倒的で、人族、エルフ、ドワーフ、獣族を滅ぼしかけたのだ。
しかし、いずこからか現れ、驚異的な力を持った勇者によって封印されたのだという。
「封印の地は秘匿されていたが、まさかこんな目と鼻の先にあろうとは……」
アセルスは剣先を向ける。
すると、ゼーナムは口端を歪めた。
「くくく……。その通りよ、聖騎士アセルス」
「くっ! なんというプレッシャーだ!」
「覚醒してしばらく、お主のことをずっと見ていた。貴様の腹の音。随分心地よい音がするではないか」
腹の音を指摘され、アセルスの顔は真っ赤になる。
剣先が震え、魔王ゼーナムと聞いた時よりも、動揺していた。
「う、うううるさい! た、ただの生理現象だ! 仕方ないであろう!」
「そうか。最近のお主は、腹音を心地よく響かせることに、愉悦を感じているように思うが……」
「そ、そんなことはない! ええい! 魔王め! そんな甘言にわたしは騙されないぞ」
「わしは事実を言っているだけなのだが……。そもそも甘言でもなんでもないし。お主、言いたいだけなのでは?」
「違う。断じてそんなことはない! 貴様こそ、もっと魔王らしい姿をしたらどうだ? おしゃぶりなど口にして。身体も小さいし」
「な! 魔王たるわしが気にしていることをサラリと言いおって。わしだって、好き好んでこんな姿をしておるのではない。奈落の穴よりも深く、魔界の端より遠い理由があるのだ」
「どうだかな? 本当はおねしょするようなませた子どもなのではないか!?」
「この魔王ゼーナムを愚弄するとは言い度胸だ! どれ! 久しぶりに本気を出してみようかのう」
ゼーナムは手を広げる。
すると、闇の風が渦巻いた。
魔力が収縮していく。
小さな精霊たちが騒ぐのを、アセルスは聞いた。
「はわわわわわわわ……」
カタカタと音を立てたのは、マジック・スケルトンである。
上顎と下顎を小刻みに動かし震えていた。
マジック・スケルトンは魔族である。
その長たる魔王は、同族であっても恐ろしいのだろう。
ウォンも警戒態勢を敷く。
低く構えを取り、「うぅぅ……」と低く呻いた。
緊張感が張りつめる。
その中で、ゼーナムの声が響き渡った。
「くはははははは……。我が名はゼーナム。世界に滅びと混沌をもたらす者なり」
闇の風はゼーナムを中心にさらに渦を巻く。
木々に囲まれた周辺は、小さな嵐となった。
その瞬間である。
「こらっ!」
ポコッ!
ディッシュはゼーナムの頭を小突いた。
痛て、という声が響き渡る。
ゼーナムは頭を抱えて、蹲った。
闇の風が弱まる。
次第に霧散し、元の平穏な山の姿を取り戻していった。
アセルスも、ウォンもポカンとしていた。
マジック・スケルトンも、あんぐりと口を開けて驚いている。
「な、何をする、ディッシュ!!」
「他人に迷惑になるようなことはしない。昔、そう約束したよな」
「ふん。覚えておらんわ、そんなこと」
「わかった。そういうなら、お前はメシ抜きだ」
「え? じょ、冗談であろう」
次は、ゼーナムが身体を震わせる番だった。
プルプルと震え、顔も幾分青ざめているような気がする。
「約束を守らないヤツに、メシは作ってやらん」
「いやだ! いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ!」
ついに地面に寝っ転がり、駄々をこね始めた。
けたたましい声が、山野に響く。
アセルスは思わず耳を塞いだ。
しかし、ディッシュは動じない。
ふんと鼻先を振って、ゼーナムに背を向ける。
これではダメだと気付いたのだろう。
ゆっくりとゼーナムは起き上がる。
「ディッシュ、ご飯作ってくれ」
「ダメだ……」
「じゃ、じゃあ、どうしたらご飯作ってくれる」
「お前が他人に迷惑をかけないって約束したら作ってやるよ」
「約束する! 約束するから!!」
「じゃあ、復唱。ゼーナムは他人に迷惑をかけない」
「ゼーナムハタニンニメイワクヲカケナイ」
「なんか心がこもってないなあ。嫌々言わされてる感じだ。それじゃあ、メシは作れないな」
「え? ……うう。わかった」
ゼーナムは半泣きになっていた。
アセルスは2人のやりとりを見つめる。
なんだか魔王のことが可哀想に思えてきた。
同時に、もし自分ならと思うと、ゾッとする。
ゼーナムと対峙した時よりも、恐ろしい事になるような気がした。
それだけ、ディッシュの料理が魅力的なのだ。
「じゃあ、もう1度復唱」
「わし……。ゼーナムは他人に迷惑をかけない……グスッ」
「この約束は決して破らない。はい。復唱」
「え、ええ!? それも言うのか?」
「言うんだ」
「うう……」
まるで親子か兄弟のやりとりに、アセルスには見えてきた。
「わしは、約束を決して破らない」
「よし。よく言えたな、ゼーナム」
いーこいーこと、ゼーナムの頭を撫でてやる。
心なしか――いや、気のせいでもなんでもなく、魔王ゼーナムは喜んでいた。
ディッシュは完全に魔王を手玉に取っていた。
ゼロスキルの料理を人質にして、あの魔王ゼーナムを制御している。
ある意味、それは恐ろしいことだった。
「もしかして、ゼロスキルの料理を作れるディッシュは、この世で1番強いかもな」
アセルスは感心し、ますますディッシュに惚れ込むのだった。
◆◇◆◇◆
「ゼーナム、何が食べたい?」
ディッシュは尋ねる。
先ほどまで泣きそうになっていたゼーナムの顔が、花が咲いたように輝いた。
すると、ふんと鼻息を荒くする。
「実は、食べるものは決まっておる」
ゼーナムは振り返る。
その視線の先にあったのは、ウォンだった。
「え? まさかウォンを」
「うぉん?!」
アセルスとウォンは驚く。
ゼーナムはじたばたと手足を動かし、憤慨した。
「そんなわけないであろう。……ふむ。だが、それも一興かもしれぬな。どうだ、ディッシュ?」
「ダメに決まってるだろ。俺とウォンは一心同体だ。……まあ、確かに味は気になるがな」
「うぉん!」
「ははは……。冗談だって。怒るなよ。――っで? ウォンじゃなかったら、何を食べたいんだ?」
「そこの神獣の母親が倒した獲物よ」
「ユルバさんが倒したって……。まさか――」
アセルスは唖然とした表情を浮かべた。
その顔を見ながら、ゼーナムは顔を歪める。
「その通りよ、聖騎士。わしは食べてみたい」
大巨人ダイダラボッチをな……。
その言葉を聞き、ディッシュは頷いた。
「確かに興味があるなあ」
ディッシュは顎に手を置いた。
ぶつぶつと呟く。
すでにゼロスキルの料理人の頭の中には、レシピが構築されつつあった。
「しかし、ディッシュ。ダイダラボッチが討伐されて、少し時間が経っておるぞ。すでに腐っているのでは?」
「聖騎士の娘よ。それはちと考えが足りぬぞ。ダイダラボッチは、いわば魔力の塊みたいなものだ。魔力が抜けきるには、時間がかかる。むしろ、その膨大な魔力が抜けて、人が触れるにはちょうど良い頃合いになっておるだろう」
「膨大な魔力の塊ということは……。ディッシュ――」
「ああ。そうだ。魔力が強いとその分、食材のレベルも上がる。そこのマジック・スケルトンみたいな」
ぐおおおおおおお……。
アセルスの腹が、気持ちよさそうに音を奏でた。
反射的に、唾が口内に溢れる。
「一体、どんな味がするのだろうか、ディッシュ?」
「俺にもわからねぇよ、そんなこと。でも――――」
調理のしがいはありそうだ!
ディッシュは、にしし……と微笑む。
こうしてディッシュたちは、ダイダラボッチを調理するために、旅立つのであった。
本日は七夕です。
作者は「おいしい料理が食べられるのと、『ゼロスキルの料理番』の続巻がありますように」と
願いました(。-人-。)
第18回ラノベ人気投票『好きラノ2019年上期』に
『ゼロスキルの料理番』がエントリーしております。
もし良ければ、皆様の清き1票をいただけると嬉しいです!
よろしくお願いします。







