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ゼロスキルの料理番  作者: 延野正行
第3章
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Special menu 2 ゼロスキルの燻製講座(後編)

今日は作者が一番お気に入りの燻製になります。

どうぞ召し上がれ!

 大きな一塊りのチーズが、あっという間に消えてしまった。


 だが、アセルスの胃はまだまだ元気だ。

 腹の音こそ鳴らさなかったものの、腹五分目といった塩梅である。


 名残惜しそうに氷室を開き、中を眺める。

 すると、見覚えのない皿を見つけた。

 その上には茶色い塊のようなものが載っている。

 試しにくんくんと匂いを嗅いでみた。


 料理のことになると、ウォン並の嗅覚を発揮するアセルスの鼻が、おいしそうな匂いを捉える。


 微かな煙の匂い。

 さらに――。


「もしかして、これは……」


 アセルスの口から湧き水のように涎が溢れてきた。

 たまらず、了解を取る前に皿を氷室から取り出す。


「ディッシュ、これはなんだ?」


 皿を掲げた。


 アセルスと違い、ゆっくりと厨房のテーブルでチーズを堪能していたディッシュは、顔を横に向ける。

 ジト目でアセルスを見つめると、苦笑いを浮かべた。


「とうとう見つかっちまったか……」


「もしかして、これも燻製なのか?」


「食べてみるか?」


「食べる食べる!」

「うぉん!」


 アセルスがうんうんと頷けば、食休み中だったウォンも立ち上がり、大きな尻尾を振った。


 一方、キャリルは首を傾げた。


「ディッシュさん、いつの間に燻製を?」


「ああ。これは家から持ってきた俺の新作燻製だ」


「おお! 新作!」


「一体、なんの燻製ですの? 匂いからして、そのぉ……」


「おお! キャリルにもわかるか? これはきっとあれだな?」


 アセルスは得意げに笑う。

 ウォンもその食材から漂う匂いで気付いたらしい。

 ベロリと舌を出し、涎を垂らしていた。


「全員気付いたのか。まあ、いいや。とりあえず食べてみろよ」


 ディッシュは包丁で謎の燻製を切り始める。

 アセルスたちの前に並べた。


 真っ茶色の棒状の物体。

 一見、燻製チーズに見える。

 ただチーズの時とは違って、若干光沢感が薄かった。


「ただのチーズではなさそうですね」


 キャリルは一口摘む。

 途端、顔色が変わった。


「おいしい……!!」


 舌に感じる独特の甘み、そして塩気。

 キャリルの鼻は合っていた。

 この茶色の部分は、燻製の色と“ミソ”の色が混じり合ってできたものだ。


 確かに燻製と、ミソの香りは合う。

 実際、お互いの中にある風味を高め合っていた。


 キャリルが思い出したのは、ミソたんぽを食べた時だ。


 練ったマダラゲ草の種実に、ミソを付けて食べるあの料理。

 火にかけた時、ミソが焦げてしまうのだが、その焦げの苦みと味噌の甘みもうまくマッチしていて、おいしかったのを思い出す。


 これはあの時と一緒。

 似たような同調を感じた。


「ミソはわかるけど、でも……」


 キャリルは首を捻る。

 メインとなっている食材はなんだろうか。

 チーズと思ったが、たぶん違う。


 素朴な甘みはあれど、食材からはチーズの風味を感じない。

 だけど、チーズよりもまろやかでしっとりとしていた。


「むぅぅぅほっほおおおおお!!」

「うぉぉぉぉおおおおんんん!!」


 横のアセルスとウォンはお構いなく食べている。

 2人はおいしければそれでいいらしい。

 だが、料理人のキャリルは違う。

 真面目な性格も手伝って、なんとか食材を当てようとしていた。


 だが、考えてもわからない。

 ディッシュの事だから、もしかしたら魔獣の何かかも知れない。

 となると、さすがに専門外だ。


 しばらく粘ってみたが、キャリルは手をあげた。


「わかりませんわ。ディッシュさん、これはなんですの?」


「む? チーズではないのか?」


 そこでアセルスは初めて気付く。


 すると、ディッシュは笑った。

 あのいつもの笑みである。


「にししし、まあ初めて食べてわかるヤツはいないだろうな」


 美食家王女アリエステルですら、この食材を当てられたかどうかわからない。

 それほど、このディッシュが作った新作燻製は驚きのものだった。


「答えは……」



 豆腐だ。



 ……。

 ……。

 ……。



「「と、豆腐ぅぅぅぅううううううううう!!!!」」



 アセルスとキャリルの素っ頓狂な声が、ヴェーリン家の厨房に響き渡った。


「いや……。ちょっと待て! 本当に豆腐なのか? 私はてっきりチーズだと思って食べていたのだが……」


「にしし……。だろだろ? チーズに思えるだろ?」


 悪戯成功とばかりに、ディッシュは歯を見せて笑う。


「そうだ。こいつは――――」



 ミソ漬け豆腐の燻製だ!



「ミソ漬け……」

「豆腐の燻製……」


 2人は呆然とする。


 キャリルは早速、ミソ漬け豆腐の燻製を頬張った。


「なるほど。確かにこれは豆腐ですわ」


 言われてみて、初めてわかる。

 チーズにはない瑞々(みずみず)しさとまろやかさ。


 キャリルもそう何回も豆腐を口にしてるわけではない。

 が、間違いなくこれは豆腐だった。


「わ、私はてっきりチーズと思っていたのだが……」


「アセルス様が勘違いするのも無理もありませんわ。ミソが風味を引き立てて、豆腐がそのまろやかさを演出している。多少の水っぽさも、そういうチーズだと思えば、全く気になりませんわ」


「しかし、驚いた。豆腐の燻製とは……。それにミソ漬け……」


 アセルスは頬張る。

 しっとりとしたミソの味が口の中にふわりと広がっていった。

 紅潮した顔はとても満足げだ。

 また酒が進んでしまう。


「前にも言ったけどよ。燻製は何でもいけるぞ。他にもこういうのも燻製にできるんだ」


 今度は、ディッシュが氷室を開ける。

 キャリルが知らないところで、様々な燻製を冷やしていたらしい。


 現れたものを見て、今度はアセルスにも食材がわかった。


「あ! 卵か!」


「ああ。煮卵の燻製だ」


「煮卵!!」


 早くもアセルスは興奮気味だ。

 ふんふんと鼻を鳴らす。

 横のウォンはいつでも準備OKとばかりに、厨房の床を掻いた。


 表面が茶色っぽくなった卵が、アセルスたちの目の前に置かれる。

 まるで別の生き物の卵のようだ。


 アセルスは何度も唾を飲み込みながら、手を伸ばす。

 口を開け、かぶりついた。


「ぬほほおおおおおおぉぉぉぉ!」


 悶絶した。


 うまぁい!!


 おそらく魚醤でつけ込んだ煮卵だろう。

 そこに燻製と魚醤の風味が合わさって、綺麗なハーモニーを生んでいる。

 さらに、白身のプリッとした歯ごたえも最高だ。

 よく魚醤が染みこんでいるが、決してしょっぱくない。

 たぶん、ディッシュが味を抑えたのだろう。

 おかげで、しっかりと魚醤と燻製の味を同時に感じることができる。


 極めつけは、とろっとした黄身だ。

 見た目も殺人的においしそうなのに、食べるとコロッと倒れたくなるほどうまい。


 燻製の風味、魚醤の塩気。

 そこに黄身のまろやさが加わり、味全体を巻き込んで、舌の上に押し掛けてくる。


 結果、ふわっと味が脳髄にまで広がり、えも言わぬ多幸感に襲われた。


 気が付けば、燻製煮卵はこの世から消えていた。


「はにゃ……。おいしかった……」


 アセルスはテーブルに頬を付ける。

 酒とおいしい料理で熱くなった顔を冷やした。

 その顔は、黄身のようにトロトロだ。


「アセルス様、そんなところで寝たら風邪を引きますよ」


 キャリルは忠告する。

 だが、アセルスはすでに瞼を閉じ、幸せな夢を見る準備を始めていた。


 キャリルは1つ息を吐く。

 ディッシュの方に向き直った。


「ディッシュさん、昨日今日とありがとうございました」


「こっちこそ世話になったな、キャリル。お前のチーズもおいしかったぜ」


「あ、ありがとうございます」


「アセルスの腹を満足させるのは大変だけどよ。まずはお互い料理を楽しもうぜ。料理にスキルは関係ない。1番は楽しむことと、食べてもらう人を思いやる心なんだからよ」


 ディッシュは「ここ!」というように、自分の胸を差した。


 キャリルはハッと顔を上げる。


「はい。その点だけは、今も負けてませんから」


 まるでディッシュのお株を奪うように、キャリルはにしし、と笑うのだった。


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