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ゼロスキルの料理番  作者: 延野正行
第3章
76/209

menu74 聖地ネココ亭の看板メニュー

たまにはゼロスキルの料理とは違う料理をとお出ししました。

今日もどうぞ召し上がれ。

 ネココ亭の扉を開ける。

 猫の鈴がチリンと鳴り響いた。

 同時にディッシュの鼻を刺激したのは、魚の焼けるいい匂いだ。


 思わず顔がとろけてしまう。


 横のウォンも気に入ったらしい。

 主の料理を待つ時のように、「はっ。はっ。はっ」と息を荒くする。

 鋭い牙の向こうから、ベロリと舌を出した。


 ネココ亭のことは、初めて来た時から気になっていた。

 とにかく店に染みついた料理の匂いがおいしそうなのだ。

 前から店主――ノーラの魚料理を食べてみたいと、ディッシュは常々思っていた。


「いらっしゃいませにゃ!!」


 威勢の良い声が響き渡る。

 すぐに誰かがわかる――よく通る声だった。


 ネココ亭の看板娘ニャリスだ。


 大きなビールジョッキを3つ。

 腕にはたくさんの食器を掲げたニャリスは、くるりと翻る。


「にゃにゃにゃにゃっ! ディッシュにゃ!」


 ニャリスは驚きのあまり皿を落としそうになる。

 だが、なんとかバランスを整えた。

 何故か周りの客から拍手が送られる。

 対して、ニャリスは胸を張った。


 ニャリスのスキルは【バランス】だと聞いたことがある。

 どんなに体勢を崩そうとも、姿勢を戻すことができるのだ。


 すると、ニャリスはディッシュに向き直った。


「どうしたんだ、ディッシュ! にゃにゃ! もしかして、ニャリスがちゃんと料理しているか確認したのかにゃ。それとも、またあの地獄の特訓を……」


 ディッシュを見て、ニャリスはガクガクと震え出す。

 顔が青ざめ、ピンと立っていた尻尾が力なく垂れ下がる。

 特訓というのは、おそらく悪魔の魚の蒲焼きを作った時のことを言っているのだろう。

 もはやニャリスにとって、悪魔の魚以上に、ディッシュの特訓の方が怖いらしい。


「そんな訳ねぇだろ。料理屋に来たなら、飯を食うのが当たり前じゃねぇか」


「ディッシュがママの料理を……」


 …………。

 …………。

 …………。


 ニャリスは一瞬思考停止する。

 やがて――。



「えええええええええええええええええええええええええええええ!!」



 絶叫した。

 すると、振り返る。

 皿やビールを持ったまま、カウンターの方へ突撃していった。

 常連客を掻き分け、カウンター向こうのノーラに話しかける。


「ママ! ママ! 大変にゃ! ディッシュが食べに来たにゃ!」


「まあまあ……。珍しいこともあるものね」


「かちこみにゃ! きっとこれは宣戦布告に違いないにゃ! この店の看板を取ろうとしてるにゃ! 看板をかけたグルメバトル展開にゃ!」


 スコンッ!!


 ニャリスの頭に鉄槌ならぬお玉が落とされる。

 微笑みながら、愛娘を叱咤したのは、ノーラだった。


「落ち着きなさい、ニャリス」


 細い目の奥が妖しく光る。

 冷たい瞳には、独特の殺気のようなものがあった。

 ニャリスは、さっきディッシュとの特訓を思い出した時以上に震え出す。


 ディッシュの元に戻ると――。


「何名様でしょうか……」


 語尾に「にゃ」と付けるのも忘れて、通常の接客を始めた。


「とりあえず、3名なんだけど」


 ディッシュは指を3本立てる。

 首を長くして、店の中を見回した。

 昼時からは少々外れた時間。

 それでも、たくさんのお客で賑わっていた。


「いっぱいだな」


 ディッシュが初めて来た時は、それは静かなものだった。

 その時と比べると、同じお店なのかと疑いたくなるレベルである。


「テーブルはいっぱいにゃ。カウンターなら開いてるにゃよ」


「おう。それでもいいぞ。ノーラの仕事ぶりも見物できるしな」


「あらあら。ディッシュくんに見られると、なんだか緊張するわね」


 ノーラはちょっと頬を赤らめる。

 それでも手元に狂いはない。

 次々と魚をさばいていった。


 ノーラのスキルは【魚料理】である。

 読んで字のごとく、力を使えばたちまち魚料理に対応した動きができるものだ。


 しかし、ノーラはこの道30年のベテランである。

 すでに動きが身体にしみ込み、スキルを使って料理をしているのか、スキルを使わずに料理をしているのか、自分でもわからない境地に到達しているのだという。


 それでも、ディッシュが出した悪魔の魚は、ノーラにとっては衝撃だったらしい。


 ディッシュはニャリスに案内されるまま、カウンターの椅子に腰掛ける。

 横でヘレネイとランクも座った。

 何か緊張した面持ちだ。

 膝の上に手を置き、目線を下にして、小刻みに震えていた。

 まるで叱られた子どもみたいである。


「どうした、2人とも?」


「え? だ、だって……」


「そ、そそそそりゃあなあ。ネココ亭は――」


「ネココ亭がどうかしたのか?」


「あ、あのね、ディッシュくん。君はどうやら、ここのニャリスさん(ヽヽ)や、ノーラさん(ヽヽ)と仲がいいみたいだけど、この店はね――」



 冒険者にとって聖地なのよ……。



「せ、聖地? ネココ亭が?」


 ディッシュは今一度、ネココ亭を見回す。

 確かに、ネココ亭の料理は一級品だ。

 ディッシュが知る限り、この店ほどおいしい店は他にないだろう。

 それは、漂ってくる匂いでわかる。

 ノーラはおっとりしているが、一級の料理人である。

 毎日、繊細な魚を捌き続ける集中力は、ディッシュも感服するところだった。


 ただ聖地といわれると、首を傾げたくなる。


 雰囲気こそいいが、お世辞にも上品さはない。

 普通の大衆食堂といった具合である。

 お客も、如何にも下町といった人間ばかりだった。


 そんな店が何故「聖地」といわれているのか。

 ディッシュは尋ねた。

 ヘレネイは神妙な顔をしながら、こう語る。


「あのね。ディッシュくん。この店はある人の行きつけなのよ」


「ある人って……。もしかして、ヘレネイたちを助けてくれたっていう」


「そう。でも、それだけじゃないの。その人は冒険者達の憧れの的なのよ。強く、気高く、聡明で美しい。本物の聖騎士なのよ」


「ふーん」


 ディッシュは「もしや」と思っていた人間を思い浮かべる。

 その人は、とにかく食いしん坊で、貪欲で、食べ物のこととなれば、目の色を変える騎士だった。


(うーん。なんかイメージが違うよな。やっぱり別人かな)


 ディッシュは話を聞きながら、首を捻る。


「だから、ここに食べに来るっていうのは、冒険者にとって1つのステータスなのよ」


「そんな大げさなものなのか。……でも、いいのか? お前達にとって、聖地なんだろう? もっと特別な日の方が――」


「いいわ。ディッシュくんが選んじゃったんだもん。リクエストを聞いたのは、私だから。それにね――」


「ずっと前からこのお店の料理を食べたかったんだよね、ヘレネイは」


 言いにくそうなヘレネイの代わりに、ランクが口を開いた。


「ちょ! ランク、言わないでよ。それは私の台詞でしょ」


「ごめんごめん。それよりも早くメニューを決めようよ」


 ランクはお腹をさする。

 ディッシュも同意見だった。

 お腹が「ぐごごごご」と抗議のシュプレヒコールをあげ続けている。


 メニュー表を見ながら、ディッシュは迷った。

 山育ちだが、料理の名前程度なら文字は読める。

 

 たくさんの魚料理が列記されていた。

 どの料理もおいしそうだ。

 文字から料理を想起するだけで、唾が溢れてくる。


 結局、3人は今日のおすすめを選択することにした。


「何にするかにゃ?」


 伝票を持ったニャリスが現れる。


 ディッシュたちは声を揃えた。



 あじフライ定食を3つ!!



「あじフライ定食にゃ! あじ定、3丁にゃ!」


 ニャリスは指を3本立てて、注文を通す。

 ノーラはにこやかに微笑み、調理の準備を始めた。


 すると、ニャリスはディッシュに向かって微笑んだ。


「ふふ……。ディッシュ、びっくりするにゃよ」


「何がだ?」


「うちのあじフライ定食のうまさニャよ」


 にゃしし、とニャリスは笑う。

 口角を上げた姿は、まるでゼロスキルの料理人のようであった。




※ 蛇足ならぬ猫足(ねこそく)


「なあ、ニャリス」


「なんだにゃ?」


「お前が料理するわけじゃないのに、なんでお前が得意げなんだ?」


「そ、そんなこと言わないでほしいにゃ!!」


今までヴェールに包まれていたノーラの実力は如何に?

次回もどうぞ召し上がれ!

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