menu49 東方の黒い悪魔
サブタイに既視感が……。
ディッシュは一旦家に戻ると、何やら小さな壺を担いで戻ってきた。
アセルスはミソのことを思い出す。
ごくりと喉を動かしたが、壺の蓋が開け放たれると、全く嗅いだことのない香りが漂ってきた。
中を覗き込む。
真っ黒な液体が入っていた。
一瞬「魚醤」と思ったが、似ているようで違う。
先ほども触れたが、まず香りが異なる。
魚醤は読んで字の通り、魚を塩漬けにし発酵させたものだ。
そのためかなり魚臭い。
最近では技術が進み、匂いを抑えた魚醤が売られているが、初期はひどいものだったと聞いていた。
だが、ディッシュが持ってきたこの液体は違う。
息を吸い、鼻腔の奥に香りを押し込むと、つんとした塩気の強い匂いがした。
きつい――が、悪くはない。
獣臭さは全くなく、むしろ蒸留酒のような奥深い香りがする。
魚醤が強い黒に対して、謎の液体は若干薄く感じる。
液の縁の部分が、飴色をさらに焦がしたような色で、格調高い感じがした。
「見てないで確かめてみたらどうだ、アセルス」
ディッシュはお玉で掬うと、味見皿に少量注いだ。
暗い壺の中で引き出された液体は、陽の光を浴びて、宝石のように輝く。
アセルスは再び生唾を飲み、差し出されるままに皿を受け取った。
薄い唇に、皿の縁を付ける。
一気に流し込んだ。
「むぅう!!」
アセルスは唸る。
しょっぱい!
塩の固まりを喉の奥に押し込められたかのようだ。
だが、思った通り。
味は魚醤と似ている。
きっと何かを塩漬けにしたものなのだろう。
決定的に違うのは、味の濃さだ。
魚醤と似ているが、幾分薄い。
コクも甘みも魚醤の方があり、舌が慣れているせいか、どちかといえば魚醤の方が好みだった。
しかし、アセルスは直感的に理解する。
自分の好みは魚醤だが、トウフの好みは謎の液体の方だと。
「ディッシュ、トウフにかけてみたいのだが……」
「構わねぇよ――て言っても、もう爺さんはやってるがな」
ケンリュウサイの方を見る。
自ら壺の中にある液体をお玉で掬うと、皿に載ったトウフにかけた。
白絹のようなトウフの上を、黒い液体が滑っていく。
どうやら東方の鍛冶師は、謎の液体が好物らしい。
豪快にかけ回すと、飴色に滲むトウフを口の中に入れた。
「んほほほおおおおっっ!!」
それがアセルスが聞いたケンリュウサイの初めての声だった。
顔を真っ赤にし、トウフにむしゃぶりついている。
その目は美女を愛でるようににやつき、表情は草間の春画を発見した子供のように恍惚としている。
顔面を皿にぶつけんばかりに近づけ、プルプルしたトウフを口の中に掻き込んだ。もはや犬食いに近い
よっぽど好きなのだろう。
そこに東方一。いや、世界一と称して良い鍛冶師の姿はなかった。
呆然とアセルスとディッシュは、ケンリュウサイを見つめる。
唐突に、目があった。
ケンリュウサイは顔を皿から離す。
やや乱れた着物を整え、こほんと咳を払った。
そして、先ほどまでカチャカチャと鳴らしていた箸音を抑え、ゆっくりとトウフを咀嚼し始める。
「美味いか、じいさん」
聞くまでもないだろう。
だが、ケンリュウサイは落ち着いた雰囲気を醸しながら、黙ってうんと頷いた。
「変わった人だな」
「だろ? ……でも、アセルスも似たようなものだぞ」
「ちょ、ちょっと待て、ディッシュ。それは私も食べている時は、あんなに……その、なんというか。あられもない姿をしているということか?」
「なんだ。自覚がなかったのか……」
「う、うむ……」
「ま――。それはこれを食べたらわかるさ」
ディッシュ自ら皿のトウフに謎の液体をかける。
アセルス、そして待っていたウォンに差し出した。
神狼は豪快に頬張る。
一方、アセルスは恐る恐る口にした。
「んふぅううううううっ!!」
「うおおおおおんんんっ!!」
騎士と獣はのたうち回った。
美味!!
まさしく美味だった!
トウフが持つ淡泊な味わいと、豆が持つ甘み。
謎の液体はそれらを潰すことなく、滑らかな塩気を授与し、味に1つの選択肢を増やしていた。
結果、浸透した塩気は見事に料理と調和している。
魚醤であれば、こうはならないだろう。
強めのコクと塩気が、トウフの良さをすべて破壊してしまうはずだ。
その点、この液体は丁度いい塩梅。
まさにトウフのために生まれてきたような調味料だった。
ぐおおおおおっっっっ!!
物足りなさを感じていたトウフは蘇る。
謎の液体はドラを鳴らすバチとなって、アセルスの腹を鳴らした。
ウォンとともに思いっきり皿に顔を近づけ、食べるのに夢中になる。
気が付けば、先ほどのケンリュウサイと似たような姿勢になっていた。
横でその鍛冶師はにやりと笑みを浮かべる。
聖騎士の食べっぷりに満足した様子だった。
「美味かった……」
アセルスは顔を上げる。
恍惚とし、唇には白いトウフが貼り付いていた。
「ディッシュ、この謎の液体は?」
「これも爺さんの国の調味料で、醤油っていうもんらしい」
「ショウユ」
「作り方は魚醤と似ている。醤油は魚の代わりに、豆を使っているがな」
ちなみに使った豆は、トウフがスピッド。醤油をデロイの豆を使っている。
アセルスにはお馴染みの組み合わせだった。
「なるほど。同じ豆同士なら合って当然だな」
調味料単体としては、慣れた魚醤の方が好きなアセルスだが、食材と合わせるとなると、醤油の方が優れているだろう。
トウフと同じように、他の食材も素材本来の味を潰すことなく食べられるはずだ。
ある意味、理想的な調味料の1つだろう。
しかし、遠い異国の地の料理まで再現してしまうディッシュの探求心と料理のセンスには、頭が下がるばかりだった。
ケンリュウサイは口元を拭くと、手を合わせた。
興奮した様子はなく、落ち着いていて、神を象った像のような趣がある。
アセルスも倣い、空皿の中のトウフを舐めていたウォンも、頭を垂れた。
すると、ケンリュウサイはすっと切り株の上から立ち上がる。
ごそごそと懐を探ると、刀身を布で撒いた小刀を差し出す。
小刀というよりは、さらに小さく、手投げのナイフより大きい感じだ。
受け取ったのはディッシュだった。
布を解くと、現れたのは包丁だ。
刃紋は雪のように淡く、そして白い。
刃と反対の“平”は黒く光っていた。
一目見ただけで、大業物とわかるほどの威圧感を放ち、ゼロスキルの料理人の手に収まっている。
「爺さん……。もしかして、俺に?」
ディッシュが尋ねると、ケンリュウサイは大きく頷いた。
初陣の孫でも見つめるように、目を細めている。
それ以上、何もいわなかったが、刀匠なりのお礼らしい。
「ありがたく使わせてもらうぜ」
ディッシュは新しい相棒を振るうのだった。
次回から別のお話になります。
よろしくお願いします。







