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menu48 東方の白い悪魔

まだ夏の料理ですが、

今日もどうぞ召し上がれ!

「す、すまない。ケンリュウサイ殿。知らなかったとはいえ、飛んだご無礼を」


 アセルスは慌てて頭を下げた。

 目の前にいる長髪と長い白髭の御仁は、よもや自分の剣を作ってくれた人間とは。

 さすがに予想の斜め上を行き過ぎて、さしもの聖騎士も慌てふためくしかなかった。


 ケンリュウサイはそっとアセルスの肩に手を置く。

 何も言わず、顔を上げなさいというゼスチャーを送った。

 長い髭の奥で、柔らかな笑みを浮かべている。

 見た目は強面だが、意外と物腰が柔らかいのかもしれない。


「心配すんな、アセルス。じいさんは、そんなことで目くじら立てたりしねぇよ」


「しかしだ、ディッシュ。何故、そなたはケンリュウサイ殿を知っているのだ?」


「お前と一緒さ」


 ケンリュウサイも、この山に迷い込み、生き倒れていたところをディッシュに発見され、一命というより一()を救われたのだという。

 しかも、最初に食べたのは、あのスライム飴だ。


 それからもアセルスと一緒。

 半期に1回ぐらいの割合で、こうしてディッシュの元を訪れる。

 遠い東方からだ。

 表向きは、カルバニア王国にある自分が作った剣のメンテナンスをするためだが、ディッシュの料理を食べるためでもあるという。


「そういえば、そろそろ剣のメンテをする頃合いだった」


 アセルスの剣のメンテは、自分でもやっているが、半期に1回宝具所という国の機関に預けている。

 おそらくそこで、ケンリュウサイが剣を磨いているのだろう。


「しかし、何故魔獣がいる山に単身入ったのですか?」


「…………(照れ)」


「他国に行くと、どうしても東方の食べ物が恋しくなるんだと。で――ノイローゼ気味になった爺さんは、山を徘徊していたということさ」


 ある意味、異常行動ではあるが、気持ちはわからないわけではない。

 アセルスもお腹が空くと、普段の自分なら言わないようなことを口走っていることがある。極限にお腹が空くと、その前後の記憶がないことすらあった。


 さて――。

 気になるのは、ディッシュがケンリュウサイに何を出すかということだ。

 先ほど、東方の食べ物が恋しいといった。

 もしかして、その地方の食べ物かもしれない。


 アセルスが特に注目したのは、ディッシュが両手に握った2つの桶だ。

 水をたっぷりと張ってあって、何やら沈んでいる。


「ディッシュ……。その桶の中にあるものは、食材か?」


「ああ……。爺さんのために作ったヤツだ」


 桶を切り株の上に置く。

 綺麗な湧き水の中に入っていたのは、白絹を何枚も重ねたような真っ白な物体だった。かなり柔らかいらしく、水の中で微かに揺れている。子供の肌のように滑らかで、独特の存在感があった。


 アセルスの横で、ケンリュウサイも頷く。

 白髭を撫でながら、満足そうに笑みを浮かべた。


「ディッシュ、これは?」


「向こうでは、トウフっていうらしい。向こうの昔の言葉で腐った豆っていう意味だ」


「トウフ……。豆を腐らせた食べ物なのか?」


「厳密には違う。むしろ逆だ。トウフには綺麗な水が必要だし、時間が経つとどんどん味が落ちてしまう。まあ、名前の由来なんて俺にはわからねぇよ」


「あの……。ディッシュ……」


 アセルスは上目遣いにゼロスキルの料理人を見つめた。

 キラキラと輝いている。

 その下の唇からはみ出た涎も、キラリと光っていた。


 ディッシュはにしし、と笑う。


「心配すんな。お前の分もあるよ」


「やった!!」


 ぐおおおおおおおお!!


 諸手を挙げると同時に、歓喜の腹音を鳴らす。

 もうディッシュの前では、お馴染みの光景だが、さすがに人前だと恥ずかしい。

 ケンリュウサイをちらりと見ると、「元気があってよろしい」という感じで、薄く笑みを浮かべていた。


「うぉん!」


 ウォンも自己紹介する。

 わかってるよ、とディッシュは顎を撫でた。

 飼い主の意図を知り、神狼の毛は柔らかくなる。

 すかさずディッシュはモフモフの毛を堪能した。


「さて……」


 ディッシュは野外に置いたテーブルの上にまな板を置く。

 近くの湧き水で冷やしていたというトウフを、俎上に載せた。


 ぷるん……。


 女性の臀部のように震える。

 そして白い。

 まるでミルクのようだ。

 けれど、何か存在感が違う。

 柔らかいのに、どこか重厚さを感じる。

 横にいるケンリュウサイの雰囲気と似ていた。


 ディッシュは二の腕ほどあるトウフを、食べやすいように切り分ける。

 器に盛り、2人と1匹の前に並べた。


「まずはそのままで食してみてくれ」


 言われるままアセルスは箸を掴む。

 ケンリュウサイも同様だ。

 深く手を合わせた。またその姿が渋い。

 アセルスも倣い、ウォンも真似をして、器の前で一礼した。


 箸を入れる。

 蒸かした芋のようにあっさりと刺さった。

 見た目以上に柔らかい。

 ゆっくりと箸を入れ、食べやすい形に切る。

 横のケンリュウサイの食べ方を真似ながら、アセルスも箸の上にトウフを載せた。


 慎重に口へと運ぶ。

 ぷるぷるとトウフが震えていた。

 まるで天敵に食べられる小動物のようだ。


 パクリ……。


「うっっっまっっっっっっっっ!!」


 アセルスは金髪を振り乱し叫んだ。


 まず驚かせてくれたのは、滑らかな食感だ。

 咀嚼するまでもなく、口の中に広がり、濃厚なコクを教えてくれる。

 独特な苦みがあるが、逆に豆本来の甘さを引き立てていた。


 のど越しもいい。

 冷ややかなことはもちろん、木目(又は、肌理)細かな砂のようなトウフの粒子が、サラサラと音を立てて、胃の中へと滑っていくのがわかる。

 特に、暑い夏期にはぴったりな食材だろう。

 カッと熱くなった内腑をひんやりと冷やしてくれた。


 気持ちいぃ……。


 深奥に流れる湧き水を全身から内臓まで、浴びたような心地だ。


「美味いか?」


「ああ。美味しいぞ、ディッシュ」


「うぉん!」


 アセルスもウォンも大満足だ。

 ケンリュウサイも気に入ったらしい。

 口ひげについたトウフをペロリと舌で舐め取ると、満足そうに頷いた。


「今度は、これと一緒に食べてみな」


 出してきたのは、ショウガだ。

 なるほど。やや淡泊な味には合っているかもしれない。


 アセルスは早速試す。


「うぅぅぅぅむぅぅうううう!!」


 想像した――いや、想像以上だった。

 トウフの上で、ショウガという爆弾が爆発した。

 それほど、ピリッとした味がトウフと合っていた。


 だが、この爆弾は熱くはない。

 寒い。とにかく寒い。

 トウフが纏う冷気、そして甘みや苦みにいたるまで、広範囲に吹き飛ばし、身体の隅々にまで行き渡る。


 トウフの味と、ショウガの味。

 2つの味に挟まれた聖騎士に、逃げる隙間はなかった。


「はぁぁぁぁあああんんんん……」


 全身を捻りながら、アセルスは悶えるのだった。

 へへ……、と放心しながら、不気味に笑う。

 聖騎士は完全に味の虜になっていた。

 まさに「落ちたな」といわんばかりに、ゼロスキルの料理人は笑う。


 すると、ケンリュウサイはトントンとテーブルを叩く。

 器の周りで何かをかけるような仕草をした。


「ああ。そうか。魚醤がほしいんだな」


 要望を叶えるため、ディッシュは一旦テーブルから離れる。

 突然、その腕を掴まれた。

 ケンリュウサイだ。

 老人の力とは思えない。ディッシュが身動きも出来なかった。


 ケンリュウサイは静かに首を振る。

 違うだろ、と態度に示した。


「わかってるよ、爺さん。ちゃんとご要望通りのものは出来てるぜ」


 にししし……。

 そしてゼロスキルの料理人は、悪魔になった。


トウフと言えば、あれを忘れてはいけない……!

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