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menu46 誰がための料理番

本日は「苦瓜と魔猪の赤茄子ドレッシングサラダ」をご用意しました。

今日もどうぞ召し上がれ。

 王宮には『王族の円卓』という場所がある。

 王族、もしくは来賓と一緒に食事をするところだ。

 そこでは久しぶりに食事の準備が始まっていた。


 給仕たちが白いテーブルクロスを広げ、真ん中に燭台を置く。

 手際よく、物音を立てず、上品な仕草で皿や銀食器を並べていった。

 取り仕切る侍従長がテーブルの下に潜って安全を確認し、壁に掛けた絵を取り替えて下がると、お揃いのピンクのドレスを着た親子が入ってくる。


 アリエステルとエヌマーナだ。


 さらに王国貴族の正装を纏った女性が現れる。

 凛々しい男装姿で『王族の円卓』に踏み込んだのは、アセルスだった。

 髪をまとめ、やや緊張した面持ちだ。


 執事に椅子を引かれ、3人は着席する。


 くぅぅうう……。


 どこか艶めかしさすら感じる腹音を、早速響かせたのは、エヌマーナだった。

 アリエステルはくすりと笑う。


「お母様、もうすっかり元気ですね」


「もう元気元気! お粥だけじゃ、全然足りないわ」


「もうすぐディッシュが美味しい料理を運んできてくれますよ」


 アセルスも笑顔で応じた。


 食前酒が運ばれ、軽く喉を潤す。

 さらに夏の野菜で胃のウォーミングアップを始めると、運ばれてきたのはかぼちゃのスープ、そして蜜桃のパスタだった。


 これらは、エヌマーナが伏せっていた時に食べられなかった料理だ。

 ただ料理人の手によって、少しだけ改良されている。

 前よりも口に入れやすく、お腹も冷えにくい仕掛けになっていた。


 エヌマーナの反応は上々だ。


 顔を赤くしながら、舌鼓を打つ。


 そして満を持して並べられたのは、例の料理。

 苦瓜とカリュドーンの赤茄子ドレッシングサラダだった。


 メインを張るには、いささか名前負けしているが、見た目のインパクトは十分だった。


「綺麗ね……」


 エヌマーナは瞳を輝かせながら、うっとりとする。


 白いテーブルクロスの上に載せられたものは、まさに宝石のようだった。

 赤茄子、甘茄子、苦瓜――赤、黄、緑の三色の野菜に、湯通しされたカリュドーンの肉。そこに魚醤ベースのドレッシングがかかり、キラキラと輝いていた。

 白い砂漠に浮かぶ、オアシスのようだ。


 3人の乙女たちは、なかなか手を付けようとはしない。

 いつまでも眺めていたい。

 そう思わせるほど、綺麗な料理だった。


 だが、そうはさせない。

 彼女らの目の前のサラダから、胡麻のいい匂いが立ち上ってくる。

 それに混じって、肉の芳醇な香りが鼻を突いた。


 我に返ると、各々食器を握る。

 思い思いに取り分け、そして口に運んだ。


「はあああああんんんん!!」

「はうぅぅぅううううう!!」

「うまあぁぁぁあいいい!!」


 エヌマーナ、アリエステル、アセルスは同時に歓喜の悲鳴を上げた。

 ザクザクという野菜を咀嚼する音を響かせながら、口一杯に頬張る。


 口の中でも涼やかなオアシスが広がった。


 ピリッと舌に来るのが、赤茄子の酸味だ。

 火照った口内を、ひんやりと冷やしてくれる。

 酸味と、魚醤の旨みがいいバランスになっていて、苦瓜の苦みと絶妙にマッチしていた。


 夏野菜の中に含まれる水分もいい。

 乾いた身体の隅々まで行き渡り、血がゆっくりと冷えていくのを感じる。

 自然と体温が下がり、内臓の奥からリフレッシュされていく。


 そしてなんといっても、スライスされたカリュドーンの肉がいい。


 薄く切られてもなお、確かな食感。

 噛んだ瞬間、脂と肉の旨みがジュワッと滲み出ると、舌と胃をガツンと叩くようなインパクトがあった。

 やや重めの脂も、ディッシュが隠し味として入れていたショウガによって打ち消され、料理全体があっさりとしている。

 むしろ、食欲が増進され、いくらでも食べられそうな気がした。


「この口の中に広がっていく独特の臭みは、何かしら」


 エヌマーナはフォークで肉を掲げながら、首を傾げた。


 アリエステルは食器を置き、母の疑問に答える。


「燻製です、母上」


「くんせい?」


「煙で燻す珍しい保存方法です。その臭みはおそらく煙の匂いでしょう」


 エヌマーナは注意深く咀嚼する。


 娘の言うとおりだ。

 煙の味がする。

 だが、決して悪くない。

 むしろ焼いた肉のような香ばしさを感じる。

 そこに胡麻と魚醤の風味が混じることによって、香りのハーモニーが生まれていた。


「はあ……」


 気が付けば、皿は空になっていた。

 十分堪能したエヌマーナは、お腹を愛おしそうに撫でる。


「ふふ……。アリスがお腹にいた時のことを思い出すわね」


「母上。最後に1品食べてもらいたいのですが」


 娘のどこか覚悟を決めた瞳を見て、エヌマーナは微笑んだ。


「ええ。喜んで」


 運ばれてきたのは、アイスだ。

 薬草入りチョコチップアイス。

 最初、アリエステルが母に勧めた料理だ。


 エヌマーナの目の色が変わる。


「ふふふ……。これ、実はすっごく食べたかったのよ」


「私が認めた料理です。どうぞ召し上がりください」


「では……。いただきます」


 改めて手を合わせると、エヌマーナはスプーンで掬う。

 チョコチップと薬草色のアイスを載せ、口の中に運んだ。


「ふぅぅぅぅうんんんん!!」


 うなり声を上げる。

 幸せそうな顔で、目一杯頬を膨らませた。


「美味しいわ、アリス。何度食べても、不思議ね。この爽快か――。アリス? どうしたの?」


 アリエステルは泣いていた。

 ぼろぼろ……。ぼろぼろ……と涙滴がこぼれる。

 顔は真っ赤になり、軽く塗った化粧も落ちていた。


「良かった……。母上が元気になって……ホントに良かった」


「アリス……」


 エヌマーナはそっと娘の涙を拭う。

 背中に手を回し、我が子を抱きしめた。


「ありがとう、アリス。私のために頑張ってくれて。ありがとう」


 エヌマーナの瞳にも、涙が光る。

 その横でアセルスもまた目頭を押さえていた。


 すると、王妃から声をかけられる。


「ヴェーリン卿……。この料理のシェフを呼んでいただけませんか?」


 アセルスは言われたとおり行動する。


 しばらくして、ディッシュが現れた。

 エヌマーナは軽く頭を下げ、感謝の意を表す。


「とても美味しかったです、ディッシュ・マックホーン」


「喜んでくれて良かった。……元気になって良かったな、アリス」


「う、うむ……。ぐすん……」


「お前泣いてんのか? ま! 嬉しいのはわかるけどよ」


 ケラケラとディッシュは王女をからかう。


「ディッシュ・マックホーン。この度が、娘のことを含めてありがとうございます。これで我々は、2つの借りが出来てしまいました。娘の命を救ってくれたこと。そしてこうして、娘と一緒に食卓に並ぶことができたこと。どちらも私たち家族にとって、この上ない喜びをもたらしてくれました」


 そっと横のアリエステルの髪を撫でながら、エヌマーナはいった。


「カルバニア王家として、あなたには恩を報いたいと思います。しかし私にはその権限がありません。ですが、カルバニア王に献言することができます。出来る限り、その要望を果たすことをお約束しましょう。何なりと申しなさい」


 王妃の言葉を聞いた時、顔を引きつらせたのはアセルスだった。


 特に反応したのは、エヌマーナが「恩」といったことだ。

 王族に「恩」を売ることは、難しい、そして珍しい。


 家臣が戦場で武功を立てても、身体を張って王族を守ろうとも、それは決して「恩」にはならない。


 それはすべて義務であり、仕事だからだ。


 だが、ディッシュは違う。

 家臣でもなければ、王族と繋がりがあるわけでもない。

 それでも、ディッシュは王女を守り、王妃を救った。


 だから、エヌマーナは「恩」といった。

 その言葉の重み、予想される際限のない恩賞の幅。

 仮にディッシュが「貴族の位がほしい」といえば、伯爵は無理でも子爵として小さな領地は与えられる――くらいなら十分可能だろう。


 しかし、ディッシュのことだ。

 ここで働くことを望むかもしれない。

 数々の料理人がひしめく中、一気に料理長へ……。


 いや、王族専属の料理番(ヽヽヽ)になることだって夢ではない。


 それがどれだけ凄いことか。

 理解しているのは、アセルスだけだった。


 当のディッシュは言葉を聞いて、色めきたつことはなかった。

 両腕を組んでぐるぐると首を回すだけだ。


「望みっていってもなあ。特に思いつかねぇなあ」


「ふふふ……。無欲なのですね、あなたは」


「俺はさ。自分がほしいものは、自分の力で取ってきたからさ。人からもらったことは、あんまりないんだ」


「なるほど。ゼロスキルのお主らしいな」


 アリエステルは微笑む。

 ようやく調子を取り戻したらしい。


 娘の奇妙な言葉に、王妃が反応する。


「ゼロスキル?」


「俺にはスキルがないんだよ」


「まあ……。それなのに、こんなに美味しい料理を?」


「逆です、王妃様。彼にスキルがなかったから、この料理を作れたのだと、私は思います」


 アセルスが言い添える。

 エヌマーナは深く頷いた。


「なんでもいいのですよ。さすがに、王様になりたいというのはダメですが」


「うーん。じゃあ、俺の事じゃなくてもいいのか?」


「構いません」


「じゃあさ。アリスをもうちょっと自由にしてやってくれないか?」


「え? それは――」


「こいつ、ちっこいけど凄いヤツなんだよ。料理の感想とか聞くと、すごい参考になるし。だから、毎日とはいわねぇけどよ。月1でもいいから、俺の家に来ることを許してやってくれないか」


「ディッシュくんの家に?」


「待て待て、ディッシュ。ならば、お主が王宮の料理人になればよい。お主なら、明日から料理長にだってなれるぞ」


「随分と慣れてきたけどよ。やっぱ俺は『長老』の根本で、のびのび料理を作る方が性に合ってる。今さら、地位だ名誉だっていわれても、ピンとこねぇんだ。でも、アリスには食べに来て欲しいんだよ」


「妾にお主の家に参内せよ(ヽヽヽヽ)というのか」


「無理やり王宮に拉致されるよりは、そっちの方がいい」


「まあ、アリス。ディッシュくんに、そんなことをしたの?」


「む――。そ、それは悪かったと思っておる」


 アリエステルは目を反らし、誤魔化すように謝罪した。


 再びエヌマーナはふんわりと笑う。


「ディッシュくんの望み。このエヌマーナ・ラスヌ・カルバニアが承りました。王と相談し、色好い返事を送りましょう」


「頼むぜ、アリスの母ちゃん」


 エヌマーナが手を差し出す。

 それをディッシュはギュッと握り返した。


「アリス……。良い友達を持ちましたね」


「いいえ。ディッシュは友達ではありません。妾の料理番ですから」


「俺はそんなつもりないぞ」


「よ、良いではないか!」


「お待ちください!」


 口論する2人を押しとどめたのは、アセルスだった。


「でぃ、ディッシュに先に出会ったのは、わわわ私です、王女殿下! 彼を料理番にするのは、私が先ですからぁぁああああ!!」


 アセルスは絶叫した。


 1人の料理人を巡って争う乙女たち。

 その微笑ましい姿を見て、エヌマーナの口元に思わず笑みがこぼれた。



「ふふふ……。果たしてディッシュくんは、誰の料理番になるのかしらね」


すっかり季節は秋となりましたが、劇中ではもう少し夏が続きます。

秋冬っぽい料理はもう少しお待ちを……。

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