menu43 魔猪の燻製と大賢者
夜遅くに飯テロ失礼します。
今夜もどうぞ召し上がれ!
鼻の穴を大きく開き、アセルスは匂いを吸い込んだ。
煙のフレーバー。
その中に漂う甘い香り。
豊潤な肉の匂いが鼻腔を直撃する。
先ほどカリュドーンの大蒜焼きが一杯になるまで膨らんだ腹は、一気に収縮を始めた。
ぐおおおおおおお……。
竜の嘶きのような腹音を響かせる。
横で神狼ウォンも涎を垂らし、毛をモフモフにしていた。
「あきれたのぅ、お主たち。あれほど、食べてまだお腹が空いているのか?」
アリエステルはため息を吐く。
く~~。
子竜が嘶いた。
姫君の顔が真っ赤になる。
横でアセルスとウォンがニヤリと笑った。
「姫君も食べたいんじゃないですか?」
「妾はお主のように馬鹿食いをしていなかっただけだ」
「ほらほら、お前ら……。喧嘩するか食べるかどっちかにしろよ」
「「食べる!」」
即答だった。
皿にのったカリュドーンの燻製。
通常より長い時間、熱に当たっていたおかげか。
血と脂が飛び、一回り小さくなっていた。
魚醤と砂糖(スライム飴)で味付けされ、さらに煙に燻された肉は、青紫色から赤暗く変色している。
一風変わった木の実のようだ。
アセルスとアリエステルは、手で摘み、パクリと口に入れる。
ディッシュが軽く放り投げると、ウォンは口で見事キャッチした。
カクカク、と顎を鳴らし、2人と同じく咀嚼する。
口に入れた瞬間わかるスモーキーな香り。
中で煙がふわっと広がるようだ。
魚醤とスライム飴の味付けもいい。
柔らかい干し肉といった感じだろう。
しかし、カリュドーンの燻製はこれで終わらない。
もぐもぐ……。
もぐもぐ……。
もぐもぐ……。
もぐもぐ……。
2人と1匹は咀嚼し続けた。
その長さに、周りで見ていた騎士たちが気付き始める。
いつしか食べる2人と1匹の表情が変わっていた。
特にアセルスとアリエステルが顕著だ。
白い肌がミルクのように溶けるのではないかと思うほど、表情が緩み切っていた。
でも、咀嚼は続ける。
音を響かせる様は、2人でセッションでもしているかのようだった。
ごくり……。
ようやく飲み込む。
「「あまぁぁぁぁぁいいいいい!!」」
2人は声を揃えた。
恍惚とした瞳には、ハートが浮かんでいる。
カリュドーンの燻製は、乙女たちの心を鷲掴んでいた。
アセルスたちの舌を唸らせたのは、脂だ。
長時間、熱に当てられたことによって、脂は搾り上げられたのではないかと思ったが、違う。
肉の裏に隠れていたのだ。
それもとても濃い甘みだけを残して。
それが唾液と体温に反応し、溶け始める。
咀嚼をすればするほど、溶け出た脂が口の中に広がっていくという仕組みだ。
長時間、噛めば噛むほど、美味しさが増していく。
おそらく脂質の多いカリュドーンならではの味だろう。
「これは携帯食にもピッタリかもしれませんな」
提案したのは騎士団長だった。
いつの間にか全団員に、燻製が行き渡っている。
全員がもぐもぐと咀嚼音を響かせていた。
アリエステルは頷く。
「なるほど。確かに……。一考の余地があるかもしれないな」
燻製した肉は日持ちがいいと聞く。
くわえて、かさばらない上、行軍中に食べるのにも適している。
脂質はエネルギーになるし、こうやってずっと噛んでいられるのも、兵士たちの緊張した気持ちを和らげるには、ちょうどいいかもしれない。
「ディッシュ、この燻製は他の肉でもいいのか?」
「なんだって出来るぜ。肉でも野菜でもいい。チーズなんかにも使ってもいいな」
「チーズ!」
屋敷でいつもキャリルのチーズを頬張るアセルスが反応する。
唇から垂れた涎を慌てて拭き取った。
「随分といい匂いがすると思ったら、燻製ですか。これは珍しい」
ふと聞き慣れない声が聞こえた。
ぬっと人影が、茂みの向こうから現れる。
夜の森だというのに、カンテラすら下げていない。
ただ一対の瞳の光がゆらゆらと揺れていた。
現れたのは、白いボロボロのローブを纏った男だった。
フードを脱ぐと、今度はボサボサの銀髪が現れる。
しかし、その下の容貌は、ハッと息が詰まるほどの優男だった。
大きく純粋な黒色の瞳。
穏やかにカーブした顎の形。
唇は薄く、ひどく中性的な顔立ちをしている。
手にかぎ爪のように曲がった杖を持ち、騎士団に囲まれても堂々としていた。
「ガーウィン先生!!」
声を上げたのは、アリエステルだった。
少女の声を聞いて、男も反応する。
薄い眉を上げ、驚いた様子だった。
「王女殿下ではありませんか。お久しゅう御座います」
姫の前で平伏する。
手を取ると、その甲に口づけを捧げた。
あまりに自然な挨拶は、英雄譚に出てくる姫と王子を思わせる。
「何者なんだ?」
ディッシュは横のアセルスに尋ねた。
「ガーウィン・ヴィステス。ルーンルッドの叡智といわれる2大賢者のお1人だ。昔、短期間だがアリエステル様の家庭教師を務めていたと聞いている」
「つまり、すっごく偉いヤツなのか」
「ま、まあ……。その認識で間違っていない」
「こんにちは、ヴェーリン子爵。お久しぶりです」
「お久しぶりです、ガーウィン様。その呼ばれ方は慣れないので、どうぞアセルスとお呼びください」
「では、ここはお言葉に甘えましょう。ご活躍は聞いていますよ、【光速】アセルス」
「……き、恐縮です」
ガーウィンは目を細める。
アセルスはぽぅと顔を赤くしながら、慌てて頭を垂れた。
やがて賢者の瞳は、横に立っていた毛皮を羽織った青年に向く。
「君は初めましてだね。私の名前は、ガーウィン・ヴィステス。気軽にガーくんと呼んでほしい」
「俺はディッシュ・マックホーンだ。よろしく、ガーくん」
「ははは……。君はノリがいいねえ。ここにいる2人はなかなか呼んでくれないのに。……ところで、何故アリエステル様たちはこんなところに?」
アリエステルはかつての師に事情を説明した。
母エヌマーナが伏せっているため、七色草が必要なこと。
その七色草を取るまでの紆余曲折を話した。
ガーウィンは時々、笑みを浮かべながら、感心した様子で聞き入っていた。
「なるほど。七色草を取るのに雨を降らせたというアイディアは良かったね。さすがは、アリエステル様だ」
「いえ。雨を降らせようといったのは、ディッシュなのです」
「ディッシュくんが? それは凄い。一体どんなスキルを持っているんだい」
「俺はスキルを持ってねぇよ、ガーくん」
「スキルを持っていない?」
「ゼロスキルなんだ、俺は」
いつも通りの台詞をいった。
賢者の前でも堂々とした態度は変わらない。
ゼロスキルであることは、もはやディッシュにとって誇りなのだ。
2大賢者の1人ですら、その事実は驚嘆に値するものであったらしい。
数拍置いて、ようやく口を開いた。
「ゼロスキルの彼が、七色草の採り方を知っていたということかい?」
「はい。それだけではありません。七色草をカリュドーンが食していることに気付き、その痕跡からここまで導いてくれたのが、彼なのです」
「なんと……。確かに七色草のような魔草は、カリュドーンたちの好物だからね。いやはや……。さすがにそれだけの情報で、この七色草の群生地に辿り着くとは……。少なくとも、私は無理だね」
「先生でもですか?」
「賢者の私にだって知らないことはあるさ。なるほど。君にとって、ゼロスキルが君のスキルなのかもしれないね」
「ディッシュは凄いです。……しかし、妾は――」
「アリスが落ち込むことはねぇよ」
ディッシュは言い放った。
アリエステルは顔を上げる。
「アリスが雨を降らせてくれなかったら、もっと時間がかかっていただろう。それに、ここにいるアセルスやウォンがいなかったら、俺は今頃、カリュドーンの餌になってたかもしれない」
「ディッシュ……」
「この七色草が採れたのは、俺がゼロスキルだからじゃねぇ。ここにいるみんなで勝ち取ったものなんだ」
ディッシュの言葉を聞き、ガーウィンは満足そうに頷いた。
「うん。君がそういうならその通りなのだろう。それにね、アリエステル。君が雨を降らせなかったら、七色草は見つけられなかったと思うよ。あれは通常の雨では、反応しないものだからね」
七色草も擬態時に魔力を使う。
それはとてもデリケートなもので、ちょっとした魔力の流れにも影響が出てしまう。
通常の雨ぐらいなら擬態は解けないが、そこに魔力が込められているものであるが故に、狂いが生じてくるのだ。
ディッシュは長年の勘によって、雨というアイディアを捻り出し、アリエステルはスキルとその才能を遺憾なく発揮した。
2つの条件が合わさり、ようやく高難度採取魔草――七色草を獲得することが出来たのである。
「アリエステル様。だから、あなたは胸を張って城に帰ればいいのですよ」
すると、アリエステルは涙を滲ませた。
同時に嗚咽を上げる。
ガーウィンは優しく王女を受け止めた。
豊かな金髪を撫で、慰める。
アリエステルは、ずっと不安だったのだ。
母を助けたい――。
そう必死に思っていたのに、なんの力にも慣れなかった。
王女はずっと自分を責め続け、気落ちしていたのだ。
ディッシュもアセルスも気付かなかったアリエステルの心の機微。
そこを見抜く賢者も、さすがだと言わざるを得なかった。
ようやく姫君は落ち着く。
ガーウィンにお礼をいった。
「ありがとうございます、先生。スッキリしました」
「それは良かった」
「お礼といってはなんですが、お一ついかがですか? カリュドーンの燻製です。これもディッシュが作りました」
「カリュドーンの……」
賢者は再び目を丸くするのだった。
◆◇◆◇◆
朝日が昇る。
野営を畳み、騎士たちとともに、アリエステルたちは下山を始めた。
昇る陽の光と同じく、姫君の顔はなんとも晴れやかだ。
その姿を見ながら、ガーウィンは手を振って応える。
姿が見えなくなると、昨日もらったカリュドーンの肉を頬張った。
うまい……。
彼は1000年以上生きている賢者だ。
そのスキルは『不老』。
故にルーンルッドの生き字引などと言われている。
この姿も20歳時のままだ。
だが、そんな彼でも驚いていた。
その長い年月ゆえ、アリエステルですら足元に及ばないほど、たくさんの食材を食してきた。
そんな彼でも、初めてだった。
魔獣肉の燻製……。
ガーウィンは朝日に顔を向け、呟いた。
「もしかして、彼の料理はこのルーンルッドの常識を変えるかもしれないね」
胸が高鳴る。
それも1000年ぶりのことだった。
非常にお待たせしました。
いよいよ次回、城に戻って七色草の調理です。
どんな料理が出てくるかお楽しみに!
次回は9月30日に更新予定です!







