menu40 この世でもっとも飢えている者
今回の台風、地震に被災された方の一刻も早い復旧、
普段の生活を営めることをお祈り申し上げます。
今日もどうぞ召し上がれ!
ディッシュは倒れたカリュドーンを見回した。
短剣を入れる場所を探る。
この間にも、魔獣からは大量の魔力が漏出しているはずだ。
けれど、焦りは禁物。慎重に身体の部位を確かめないと、肉そのものが使えなくなる。特に尿道などを傷つけたら最悪だ。
汚染されれば、肉が食べられなくなってしまう。
それでも時間との勝負であることは間違いない。
ゼロスキルの料理人の腕の見せ所だった。
「アリス、人を借りていいか? 出来れば、動物の解体の経験がある人間がいい」
「うむ。良かろう」
アリエステルの一声で、騎士たちが集まってくる。
農民出身で、鶏や鹿を解体したことがある者が数名、ディッシュのところにやってきた。
残った騎士には力仕事を手伝ってもらう。
火焚きの準備もしてもらった。
すでに陽は山の稜線にかかりつつある。
今日は、ここで野営することになるだろう。
「俺も解体したことがないから、当てずっぽになる。チ○コと尻穴の位置は通常の野生動物と変わらないみたいだ。とりあえず、大きな猪に見立てて、解体しよう」
ディッシュは身振り手振りを交えながら指示を出す。
反対する者も、異論を唱える者もいない。
ディッシュはアリエステルが認めた料理人だ。
その力をこの山でも遺憾なく発揮した。
彼を尊崇する者は少なくない。
特に身分の低い農民出身の騎士たちにとって、憧れの的だった。
まずは邪魔な毛を刈る。
横倒しになったカリュドーンの腹に切り込みを入れた。
皮と肉の間に、丁寧に刃を入れながら剥がしていく。
思っていた以上に斬りやすいのだが、かなり皮が伸びる。
早速、騎士たちに手伝ってもらいながら、ディッシュは胸部と肢の皮を剥ぐことに成功した。
「ふぅ……」
ひとまず息を吐き、汗を拭う。
陽が陰ってきたおかげで随分と涼しくなってきたが、日中よりもマシな程度で、暑いものは暑い。
すでにディッシュの背中は汗びっしょりだ。
それでもゼロスキルの料理人は集中力を切らさない。
次に腹を抜く。
現れたのは、びっしりと付いた白い皮下脂肪。
そして青紫色をした肉身だった。
「これは……」
ディッシュは目を輝かせた。
予想以上に、カリュドーンは当たりかもしれない。
料理人の腹が疼いた。
実は魔獣の肉は、使える部位が極端に少ない。
魔獣が不味いというのも、そういう理由がある。
ほとんどの肉が使えるブライムベアやヴィル・クロウが珍しい方なのだ。
そういう意味でカリュドーンは、かなり期待できる。
ディッシュは思わず息を飲んだ。
芳しい香りに半分意識を失いそうになる。
身を開いてもらい、魔法を使える騎士に光を当ててもらう。
カリュドーンは大きい。
比較的小柄なディッシュなら、お腹の中にスッポリと入れてしまう。
「あったけぇ……。冬場なら寝袋代わりにしてもいいかもな」
顔を血で真っ青に染めながら、料理人は微笑む。
大型の魔導機関の底部に潜り込んだ技師のように、内臓を探った。
やがて「うん」と頷く。
概ね猪と変わらない。
匂いから胆嚢と膀胱、大腸の位置も確認した。
「いける……!」
ディッシュの勘は、確信に変わる。
まずはぶっとい肋の解体だ。
一旦這い出て、騎士たちに指示を出す。
力に自信あるものを連れてくる。
肋の合計は16本。
それぞれ1つ持ってもらい、一斉に剥がしていく。
「肋で手を切らないように気を付けろよ」
ディッシュは注意を促す。
ごり……ごり……という音が、魔獣の悲鳴のようにこだました。
ようやく肋骨を抜き取る。
魔法の光を照らしてもらい、もう1度臓器をチェック。
どこにも傷が見当たらない。
再びディッシュは腹に潜る。
臓器を慎重に切ると、泥のように臓器が垂れてきた。
ゼロスキルの料理人は飲み込まれる。
騎士に手を引っ張ってもらって、なんとか這い出た。
大変な作業であることは一目瞭然だ。
それでもディッシュは楽しそうだった。
ヨーグの葉に並べた臓器を見つめる。
美味そうだが、かなり時間が経過してしまった。
臓器は特に魔力の漏出が早い。
それにドクブクロのように毒を持っている可能性もある。
時間がない上、初見で食べるのは難しいだろう。
調理方法の研究価値はありそうだが、今は肉身に絞るべきだ。
時間が惜しい。
ディッシュはすでに疲弊していたが、こんなところで弱音は吐けない。
折角、アセルスとウォンが獲ってくれたのだ。
自分を守ってくれたアリエステルや騎士たちにも、報いてやりたい。
何よりも……。
「食べてみてぇ……」
ぐるるるるるる……。
珍しくゼロスキルの料理人は腹音を鳴らす。
獰猛な猟犬のような唸りに、解体作業を見守っていたアセルスたちは驚いた。
「もうちょっと待ってろ」
ディッシュはパンと叩き、己の腹を叱咤した。
食いしん坊のアセルス。
甘えん坊のウォン。
美食家のアリエステル。
彼らも確かに食に呪われ、何よりもゼロスキルの料理を愛している。
しかし、彼ら以上に料理人自身が、一番食に飢えていた。
アセルスも、アリエステルも、家に帰ればご馳走がある。
ウォンには魔獣を圧倒する力がある。
けれども、ディッシュにはそれがない。
ゼロスキルだからだ。
幼い頃から生きるか死ぬかという生死の境の中で、自ら料理を見出してきた。
故に、この場にいる誰よりも、ディッシュの方が飢えているのだ。
ほんの一瞬、垣間見たゼロスキルの料理人の強さ。
周りにいた者はごくりと息を飲む。
アセルスとウォンに手伝ってもらいながら、頭、肢を切り落とす。
他の部位は、騎士たちに任せて、ディッシュは胴体を探った。
肉の状態を確認する。
想定以上に魔力の漏出が早く、すでに腐りかけている部分もある。
また背骨周りのロースは、触ってみてかなり硬い。
茹でるか、ショウガ漬けにしてから煮ると美味しいかもしれないが、生憎と手持ちにはなかった。
もったいないが諦める。
宝物庫から金塊でも探すように、ディッシュは肉を切り分けていく。
その速さは騎士たちが目を見張るほどだ。
横で見ていた【光速】の聖騎士も固唾を呑んで見守った。
ディッシュの手は、青紫色の血に濡れている。
その手の平が、とある部位を掴んだ。
ざわりと総毛立つ。
かすかな声が聞こえた。
オレを使え……。
ディッシュに語りかけてくる。
掴んでいたのは、腹の肉――つまりはバラ肉だ。
そっと掴む。
確かな弾力が返ってきた。
肉の色もいい。
おどろおどろしく見える青紫の色が、宝石のように輝いていた。
そして漂う豊潤な香り。
「決めた!」
ディッシュはバラ肉をばらす。
大きな部位をヨーグの葉に並べた。
「「おお!」」
歓声を上げたのは、アセルスとアリエステルだ。
2人は口に溢れた涎を吸い込む。
ウォンも目を輝かせていた。
一口サイズに切り、神狼に差し出す。
「ウォン……。どうだ?」
神狼はくんくんと鼻を利かせる。
毒がないか見てもらっているのだ。
入念に調べた後、ウォンはぺろりと表面を舐めた。
たまらん、とばかりにがっつく。
カクカクと顎を動かしながら、肉を咀嚼した。
ごっくん、と飲み込む。
「大丈夫そうか?」
「うぉん!!」
「よし……!」
少なくとも肉身には毒がないことは予想していた。
七色草の場所に倒れていたカリュドーンの骨の一部に、囓られていたような痕があったからだ。
おそらく、他の魔獣に傷を負わされ、身の一部を食いちぎられたのだろう。
魔獣が食べられるものは、たいてい人間も食べることが出来る。
無警戒で食べるわけにはいかないが、そうやってディッシュは、魔獣たちに試食してもらいながら、これまで毒の有無を確かめてきた。
「さて……」
塩、胡椒、大蒜、火袋の油。
手持ちの調味料は少ない。
「もう1つ何かないかな……」
「ディッシュ、これは使えるか? キャリルが持たせてくれたんだが」
アセルスが道具袋から出したのは、牛酪だった。
薄黄色の牛酪は、夏場にあっても溶けずに四角い形を維持している。
今のディッシュにとっては、まさしく金塊のように有り難いものだった。
「よくこの暑いのに保存が出来たな」
触るとうっすらと冷たく感じる。
まるで氷室の中に放り込んでいたかのようだ。
「見た目は普通の道具袋だが、これには魔法がかかっていてな。外気の影響を受けないんだ」
手を突っ込むと、ひんやりとして冷たい。
中のものはすべて、常温以下で保存が可能なのだという。
そこにアリエステルが会話に混じった。
「アセルスよ、何故牛酪などもっておるのだ?」
「牛酪の栄養価が高いからじゃねぇか? 単体でも食えるし、お腹も膨れる。調味料にも使えるしな」
「なるほど。食いしん坊のアセルスにはもってこいの保存食だな」
「そ、そんなことはない! きっとキャリルはこういう時のために――」
「その割には、妾の腕より大きいサイズにカットされておるではないか、この牛酪。調味料として使うには、いささか大きすぎるのではないか。気を付けよ、ディッシュ。その牛酪には、もう聖騎士殿の歯形がついているかもしれんぞ」
「ひ、姫ぇ~~」
アセルスは半泣きになりながら、抗議した。
ディッシュも他の騎士たちもどっと笑う。
アリエステルも笑っていた。
すっかり元気を取り戻したらしい。
「さて……」
ディッシュは腕をまくる。
カリュドーンの大蒜焼きを作ろうか――。
そして短剣を振るった。
1度でいいから、がっつり解体シーンをワンパート書きたいと思っていて、
今回実行したのですが、いかがだったでしょうか?
次回は9月15日に投稿予定。飯テロパートです。







