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menu37 ゼロスキルの握り飯

山で食べる握り飯こそ至高!

今日もどうぞ召し上がれ!

 ずしん……。


 重い音が響く度に、景色が歪む。

 梢が揺れ、雨溜まりに小さな波紋が浮かんだ。


 切り株のような足は草花を散らし、巨体は樹木を倒す。

 彼らが通った場所は、巨大な岩が転がっていったような跡が残っていた


 カリュドーン。

 その姿は森の王であることを誇示するかのように雄々しかった。


 1匹だけではない。複数いる。


 少なくとも4匹。

 大きな個体が1匹。それに中型が1匹。小型が2匹。

 仲睦まじい様子はないが、家族のようにも見える。


 発煙弾で知らせを受けたディッシュたちは、すぐ現場に急行した。

 風下に立ち、ウォンとともに息を潜める。

 隣に座ったアセルスは、横目でディッシュを見ながら「さすがだな」と小さく賛辞を送った。


 山の中で生活してるだけあって、ディッシュの気配の断ち方は、一流の狩人を思わせた。


 スキル【気配遮断】と比べれば劣るが、スキルのない常人の域から軽々と脱している。

 側にいるというのに、まるでその場にいないかのようだ。


 そのディッシュは熱心にカリュドーンを観察している。

 しばらく無言が続くと、堪らず付いてきたアリエステルが尋ねた。

 こちらは気配もへったくれもないが、まだ距離があるので、カリュドーンも気づかないだろう。


「どうだ? 七色のカリュドーンは見つかったか?」


「姫、もう少し声を落としてください」


「す……すまん、アセルス」


「ここから見る限り、俺が見た個体とは違うなあ」


 ディッシュが見たカリュドーンは、外観からわかるほど七色に輝いていた。

 だが、今視界に見える4匹は、真っ黒な毛をしている。

 毛の奥の肌も、七色に輝いている様子はない。


 その場を離れることにする。

 魔獣は害獣故に見つけたら倒す事が鉄則だ。

 だが、余計な刺激を加えて、山全体を警戒させるわけにはいかなかった。


 すぐに別の地点から発煙弾を確認する。


 ディッシュたちは現場に急行するも、やはり黒い体皮をしていた。


 その後、何度かカリュドーンを見つけ、確認作業をしたが、結局見つかることはなく、お昼を迎えた。


「ふー。限界だ。妾は休憩するぞ」


 アリエステルは小さなお尻を朽ちた切り株の上に載せた。

 靴を脱ぎ、素足になると、はあと息を吐く。

 完全に不動の構えだ。


「休憩しましょうか?」


 アセルスもディッシュも余裕はあったが、アリエステルも山に不慣れな騎士たちも疲れていた。


 姫君は淑女の嗜みを忘れ、水をがぶ飲みする。

 さらに騎士から差し出された携帯食を囓った。

 美食家の彼女にとっては物足りないらしく、恨みがましそうに見つめる。


「食うか?」


 顔を上げると、ディッシュが立っていた。

 差し出された手の平には、竹の葉で包んだ握り飯があった。


 アリエステルは目を細める。


 美食家の姫君は、どちらかといえばパン派だ。

 例え、パンがなくても、飯類を選ぶなら、玉蜀黍(ダーヤル)のような穀類を選ぶ。

 そもそも麦飯が苦手だった。

 あのもそもそした食感が、どうも馴染めないのだ。


 それに暑さと疲労で、あまり食欲もなく、お腹は何も反応しなかった。


「ありがとう」


 それでもディッシュが勧めてくれたのだ。

 食べないわけにはいかない。


 竹の葉を開く。


「お! おおおおおおおお!!」


 思わずアリエステルは叫んだ。


 現れたのは真っ白な握り飯だった。


「うん? アリスは、まだマダラゲ飯を食ったことなかったか?」


「マダラゲって! マダラゲ草のことか!? あの毒草の――」


 何やらキャリルの時と同じ展開になりそうだったので、ディッシュは丁寧に説明した。

 心配したのは、お付きの騎士たちだ。

 姫に毒草を食わせるわけにはいかない。


 アリエステルは兵士の忠告に耳を傾けるのだが、やはりこの真珠のように光る白い握り飯が気になった。


「むううううううううう、うまい!!」


 声をあげたのは、アセルスだ。

 困惑する姫君をよそに、ディッシュからもらった握り飯を、ウォンと一緒にバクバクと食っている。

 その顔は、憎たらしいぐらい幸福に溢れていた。


「食べないなら、いいけどよ」


「ま、待て! い、今から食べる!」


「ひ、姫様!!」


「だ、大丈夫だ。妾も美食家の端くれだ。料理人から差し出されたものを無下にはできん」


 小さな姫君は覚悟を決めた。

 恐る恐る三角結びされた握り飯の頂点をそっと()む。


「むぅ!」


 途端、顔色が変わった。

 騎士は「姫様!」と慌てる。

 だが、心配をよそにアリエステルは、今度は一気に頬張った。


「むぅぅほほおおおおおおおお!!」


 頬が膨らむぐらい握り飯を口内に押し込みながら、姫君は叫んだ。


 うまい。

 城で食べる麦飯よりも、もっちりとした感触。

 食べれば食べるほど滲み出てくる甘みもたまらない。


 恐らく少し塩を振っているのだろう。

 汗を掻いた全身が喜ぶのがわかる。

 身体に刷り込まれるかのように、塩が染みこんでいった。


 だが、美食家の舌は甘みと塩気の他に、かすかに別の味を感じた。


 さらに握り飯を深く掘り進む。


 ガチッと音がした。

 おそらく何か木の実か種を入れていたらしい。

 小さな歯がビリビリと震える。


 そんなことよりも、実の周りにある果肉の味が問題だった。


「すぅぅぅぅぱああああああぁぁぁぁいいい!!」


 アリエステルはまた叫んだ。

 まだ子供だというのに、顔をしわくちゃにし、口を尖らせる。


 頭を貫くような強烈な酸っぱさに驚いた。


「姫様、大丈夫ですか?」


 一体、姫の身に何が起こっているのか。

 皆目見当が付かず、騎士たちはひたすらオロオロする。


 しかし、彼女の口元から溢れたのは、大量の唾液だった。

 テーブルに滴るのに気づき、アリエステルは慌てて飲み込む。

 何度も喉の奥に押し込むのに、際限なく唾が溢れてくる。

 途端、少しお疲れ気味だった胃が活性化した。


 く~~。


 子竜が嘶く。

 とうとうアリエステルの腹が鳴った。


 王女はさらに握り飯を頬張る。

 一気に食べ尽くすと、もう1個も豪快に食べ始めた。


 再び実を食べ、顔をしわくちゃにする。

 叫んでも、姫の表情は幸せそうだった。


 酸っぱい……けど、うまい!


 うまい……だが、酸っぱい!


 その繰り返し、もうたまらない。


 塩気と一緒に、酸味が身体に染みこんでいくのがわかる。

 何か羽根でも付いたかのように身体が軽くなった。

 眠っていた食欲は蘇り、あっという間に3個も握り飯を平らげてしまう。


「げふっ」


 思わずゲップが出る。

 そんなことも気にせず、膨らんだお腹をさすった王女の顔は、世界一幸せそうだった。


「どうだ? うまかったか?」


「悔しいが、完敗だ。ゼロスキルの料理、堪能させてもらった」


「そいつは良かった」


「白飯はマダラゲ草の種実だとして、あの赤いしわくちゃの実はなんじゃ?」


 アリエステルは回想する。

 一瞬で食べてしまったため、もはや記憶の中にある形は曖昧だったのだが、親指大ぐらいの赤い実が皮ごと入っていた。

 まるでゼリーのように柔らかく、老婆の唇のようにしわくちゃな姿をしていた。


 アリエステルの中にある食材リストにはないものだ。


「うん。私も気になったぞ、ディッシュ」


「うぉん!」


 アセルスも、ウォンも気になったらしい。

 1人と1匹も満足したようだ。

 揃って、ご飯粒がついていた。


 ディッシュはにししし、と笑う。


「これはライフの実だ」



 ――――ッ!!



 まるで戦慄が走ったように空気が引き締まる。


 乙女たちは声を揃えた。


「「ライフの実だと!!」」


 驚くのも無理はない。

 スピッドの豆とならぶ、稀少な実の1つで、1粒食べると『体力』のステータスが上がるという効果を持つ魔法の実だった。


 もちろん、そこらへんに生えてるものではない。

 冒険者の間でも幻といわれる実だった。


 ディッシュはその実が成る木を知っているという。

 だが、ライフの実は保存が利かない。

 そこで編み出したのが。


「ライフの実の塩漬けだ」


「ら、ライフの実を塩漬け……」


「な……なんというか。ひどく罰当たりな所行だな」


 幻の実を――と、アセルスとアリエステルは、呆然とした。


 だが、その料理に対する探求心が結実したものが、強い酸味がある塩漬けなのだろう。


 この酸っぱさは、マダラゲ飯の甘みとも良く合う。

 他の料理に使っても、味のアクセントになるはずだ。


「全く……。お主の頭は、料理のことだけじゃな」


「む! 失礼だな、アリス。俺だって別のことを考えたりするぞ」


「ほう……。たとえば、どんなことだ」


「そうだな。……七色に光るカリュドーンの探し方とかな」


「そ、そんな方法があるなら早くいうがよい!」


「怒るなって。俺も、今思いついたんだよ」


「ディッシュ、それは一体どんな方法なんだ?」


 にししし、とディッシュは笑ってからいった。


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