menu 187 ゼロスキルが生まれた日
本日、『公爵家の料理番様』2巻が発売されました。
延野が書く異世界料理シリーズで初めて小説が重版された作品なります。
末永いシリーズにしたいと思っておりますので、是非こちらもご賞味いただければ幸いです。
さらに2月6日には、その初の単行本が発売されます。
ヤンマガWEBにて連載され、人気のシリーズとなります。
是非ご賞味ください。
ディッシュは街から脱出し、そのまま夜駆けをして、山に入る。
勝手知ったる第二の故郷だ。
ウォンに指示して真っ直ぐ向かったのは、『長老』の根本である。
魔獣に荒らされているかと思ったが、残してきた家具はそのまま残っていた。
『長老』の根本には、魔王が封印されている。かなり魔獣が活発に動いているようだが、さすがにここには手をつけなかったらしい。
だが、調理道具や保存していた材料などは、すべて今のゼロスキル食堂に移したので何もない。
ただ畑に例のスピッドの豆とデロイの豆があったので、残っていた調味料を使い、ポークビーンズを作る。ただしポークはない。
それでも酸味が利いた赤茄子スープは、これまた絶品だ。
すっかり冷えたアセルスの腹を癒した。
「ふわ~。温まるなあ。そして、また速くなってしまいそうだ」
「デロイの豆も入れたからな、前みたいにならねぇよ。でも、ミソの正体が、スピッドの豆と聞いた時のアセルスの顔は傑作だった」
「乙女の顔を傑作などというな。ちょっと面白い顔になっていただけだ」
アセルスの頬が赤く染まる。
「ところで、あの料理人はやっぱり……」
「ああ。向かいの料理人だ」
「ディッシュを追放したという」
「まあな。……会ったらなんか言うかなって思ったけど、あの顔を見たら何も言えなくなっちまった」
「そうか……」
「それにな。アセルスのおかげでもあるんだぜ」
唐突なディッシュの言葉に、アセルスはピンと背筋を伸ばした。
「故郷の街に戻った時、もっと感情的になると思ってた……。でも、正直に言うとなんの感慨も浮かばなかったんだ。あそこにはとーちゃんとかーちゃんが眠ってる。俺にとって、切っても切り離せない場所なのにな。……でもよ」
ディッシュは上を見上げる。
無数の枝葉の間に、夜空が見える。その葉には焚き火の明かりが当たって、オレンジ色に染まっていた。
「頭で何か記憶を辿ろうとすると、この山での出来事を思い出してしまう。初めて魔獣をとったこと、ウォンに助けられたこと、アセルスと一緒に飯を食ったこと……。そっちのことの方が、故郷にいた時よりはっきり思い出してしまうんだ」
「故郷のことを忘れてしまった、ということか?」
「いや、そういうわけじゃない。俺が料理人になりたいって思ったのも……」
ふとディッシュは何かを思い出す。
「ディッシュ……?」
「あ。いや、何でもない。アセルス、明日早くに出ていいか?」
「私は構わないが……。そんなに急ぐ旅路でもないだろう。たまにはここでゆっくりするのもいいと思うが」
アセルスは気遣うが、ディッシュは首を振った。
「いや、帰って料理を作りたいんだ」
「そうか。ディッシュらしいな」
アセルスは笑った。
◆◇◆◇◆
次の日、朝一番に出立し、街に戻る。
ディッシュがやってきたのは、ヴェーリン家――つまり、アセルスの屋敷である。
そこには、例のディッシュがかつて働いていた料理長が治療を受けていた。
数日、安静にしていただけあり、かなり血色がよくなっている。
ベッドで寝ていたガンプはふと気配に気付き、目を覚ました。
「よっ!」
突然、元従業員の青年の顔を見て、ガンプは思わず飛び起きた。血色がよくなった顔はもう真っ青だ。
「お、おい! ディッシュ! 寝覚めでお前の顔はやめろ。心臓が飛び出るかと思ったわ」
「失礼な奴だな。言ってるだろ、俺はちゃんと生きてるって」
「な、なんだ。故郷に帰ったんじゃないのか?」
「ああ。さっき帰ってきたところだ」
ディッシュは街の被害について話す。
もちろんガンプの店が潰れていることも話した。
ガンプは覚悟していたようだ。
「そうか」と息を吐くだけだった。
「それで……。お前はなんだ? 店を失ったわしを笑いにきたのか?」
「そんなことはしねぇよ。……それより腹は減ってないか? 飯を作ってきたぞ」
「別に……。食欲なんて」
瞬間、濃厚な出汁の香りがガンプの鼻を衝く。
続いて、お腹が鳴った。
「腹は正直者だな。あんたと違って」
「う、うるさい! ……な、なんだ、その料理。嗅いだことねぇぞ、そんな香り」
「俺が作った料理だ。食べてみてくれ」
「お前の?」
ガンプはディッシュの料理と聞いて、反対はしなかった。
生半可な料理では反対したかもしれない。
何せガンプはディッシュを追放した張本人の1人でもある。毒が混ざっていてもおかしくないだろう。
それでもガンプが拒否しなかったのは、銀蓋の中に隠された料理がそれ以上に気になったからだ。
ディッシュはおもむろに蓋を上げる。
濃厚な香りがヴェーリン家の貴賓客専用の部屋に広がった。
出てきたのは、例のストライクドラゴンのシメ飯だ。無論、アラーニェの偽卵も入っている。
赤身や内臓、エンペラなどは食べてしまったが、スープはまだ残っていたのだ。
そこにまたマダラゲ草の種実とアラーニェの偽卵を加えたのである。
ガンプは圧倒されていた。
透き通った美しくもあるのに、濃厚な香りとゼロチン質のスープ。
そのスープを吸った見たことない真っ白な種実に、鶏卵よりも濃い色をした卵。
「ただの料理じゃないなあ」
「ああ。ゼロスキルの俺が作る料理だからな」
より一層興味をそそられる。
それはディッシュがゼロスキルだからではない。その未知の料理は、料理人として試されているように思えたからだ。
ガンプはスプーンを持ち、いよいよ実食する。
そして何も言わず、もそもそと食べ始めた。
感想は言わずもがなだろう。
夢中で口に運んでいる。
何も言わないのは、この料理に隠れた秘密がさっぱりわからないからだ。
豚でも、牛でも、まして魚骨でもない濃厚な出汁。
白い飯は軟らかく、微かに甘みがあり、濃厚なスープを吸って異次元の味になっていた。
黄身のコクは素晴らしく、舌に絡む。
白身はトロリとして、料理の熱さと一緒に喉の中を滑っていった。
身体が火照る。
今まで鎮火していた気力や体力が蘇ってくる。すぐ包丁を持って、これでもかと料理を作りたくなった。
「うまい……」
ガンプは料理と一緒に言葉を噛みしめる。
ディッシュは笑った。誇らしげに。
「へへ……。言わせてやったぜ」
「??」
「昔、あんたに俺はこう言った……」
『あとさ。ゼロスキルでも美味しい料理は作れるぞ。おれはそう信じてる』
たった5歳の少年の誓い。
その時、街の者たちはみんな笑った。
そんなことできるはずがない、と。
でも、10年後……。
ディッシュはようやく言わせたのだ。
料理長に「美味しい」と……。
その瞬間、ガンプの料理人としてのプライドは打ち砕かれた。
別に昔のディッシュの言葉をきちんと覚えていたわけでもない。
ガンプは自分の料理が一番うまいという自負があった。だが、ディッシュの料理を食べて、初めて自分の料理が劣っていることを理解してしまった。
それはガンプの哲学からいえば、大敗北も等しい。
計らずともディッシュは、ガンプに料理人として恩返しを果たしたのである。
「ディッシュ……」
ガンプは何かを言いかけたが、その前にディッシュが口を開いた。
「ガンプのおっさんには、感謝してるんだ」
「感謝? だけど、俺は?」
「あんたたちが俺に火を付けた。何もなかった俺に、生きる目的を与えてくれた。『ゼロスキルでもおいしい飯を作る』。そうやって俺は料理人を続けてこれた。決死だったけどな。ゼロスキルの料理人を生み出してくれたのは、あんたたちだ。ありがとうな」
ディッシュは席を立つ。
そのまま部屋を出て行こうとしたが、ガンプは呼び止めた。
「ディッシュよ。これだけは言わせろ」
「あん?」
「すまなかった」
ガンプは頭を下げる。
ディッシュは何も言わなかった。
感謝も言ったし、恨み言は性に合わない。
それに料理で言いたいことは言ったし、ガンプの口から聞きたいことも聞けた。
もう十分なのだ。
パタン……。
ディッシュはそれ以上何も言わなかった。
ただ静かにヴェーリン家のドアを閉めた。







