menu184 ゼロスキルの炊き出し
☆★☆★ 本日発売 ☆★☆★
『ゼロスキルの料理番』5巻が発売されました。
これにて商業での『ゼロスキルの料理番』シリーズの活動は終了します。
第5巻までシリーズを続けることができました。
書籍版、単行本をお買い上げいただいた読者の皆様、
また作画を担当いただいた十凪高志先生、イラストレーターの三登いつき先生に、
心より感謝申し上げます。
最後まで是非ご賞味ください。
「んんふううううううううう!!」
少女の悲鳴はまさにゼロスキルの料理をお披露目する号砲に十分だった。
後追いでやってきた街の人たちは、手の平サイズの澱粉揚げを頬張る少女を見て、呆けてしまう。
人が変わったみたいにがっつく少女を見て、呆然とする形になったわけだが、人というのは食の前では純粋な生き物だ。
そんなリアクションを見せられては、他の者たちも手を上げずにはいられなかった。
「俺も!」
「私も!」
「俺にも食わせてくれ」
「おいしそう……」
ディッシュの即席厨房に人が殺到するのに時間はいらない。
騒ぎを聞きつけ、廃屋の中で過ごしてきた人まで外に出てくる。
ディッシュは対応に追われた。
しかし、3日間だけとはいえ、大忙しのゼロスキルの食堂を捌いてきたのだ。
注文を聞いた途端、タンタンタンと小気味良い音を立てて、肉を切り、サッと下味と澱粉粉を付けて、油の中に投入する。
静かに揚がる澱粉揚げの音に、皆が傾聴した。
「はい。澱粉揚げ、あがったよ。熱いから気をつけな」
伸ばした手の上に皿を置いて、客を捌いていく。
肉は大量にあるが、油が保つかどうかわからない。
あと皿も……。
もちろん、この街にいる全員の腹を満たしてやりたいところだが、限度はあることはディッシュもわかっていた。
だから届く分、精一杯料理を作る。
それがディッシュの覚悟だった。
「ディッシュ、こっちもいい感じだぞ」
『うぉん!』
鍋の番をしていたアセルスとウォンがディッシュを呼ぶ。
鍋の縁から立ち上る湯気と香りはかなり濃い。
ディッシュは一旦油を引いた鍋を、竈の火から離す。
手を拭きながら、鍋の前に立つと、出来上がった料理を確認した。
鼻先を近づけると、濃厚な香りが鼻を衝く。
ベースこそ醤油味だが、香りの半分は使った出汁の匂いだ。
「うまくいったな」
ニヤリと笑う。
菜箸で中をかき混ぜつつ、取り出したのは砕いたストライクドラゴンの甲羅だ。
表面の薄皮を綺麗に取ったため、美しい淡い緑色の表面が露わになっている。
ディッシュは味見皿にスープを入れて、味見した。
「うん。うめぇ!!」
思わず膝を叩く。
「ロドンのおっさんがいたら、悔やんだろうなあ。こいつは酒に合うぜ」
「わ、私もいいか?」
『うぉん!』
ディッシュの反応を見ては、アセルスとウォンも続かざるを得ない。
ディッシュからスープが入った味見皿を受け取ると、ちょろりと舐めた。
ドボンッ!!
気が付けば、アセルスとウォンは海の中にいた。
息苦しくは感じない。むしろ気持ちがいい。
これはゼロスキルの料理特有の心証風景だ。
どんどん、海の底へと潜っていく。
深い。そしてとても雄大な海――いや、出汁の世界が広がっている。
スープの味もまさにそうだった。
いつかの東方麺を思い出す。
マジック・スケルトンの骨を出汁に使った超絶おいしい東方麺。
その時似た、いやそれ以上の奥深さを感じる。
今回使ったのも、ストライクドラゴンの甲羅――言わば、骨の部分を使った出汁だからこそ出る味わいだろう。
「酒に加えて、砂糖も入れたのが当たったな。味に層ができたことによって、東方麺の時よりも深い味わいが出てるぜ」
ディッシュが凄いところは初見の魔獣でも調理してしまうところだが、もっと凄いのは飽くなき探求心である。
あれほどおいしいマジック・スケルトンの骨を使った東方麺を作り上げても、決して満足しない。
それよりもおいしいものを追い求め、日夜研鑽を続けている――飽くなき努力を続けることが凄いのだ。
今回、あの東方麺を上回るスープを作れたのは、むろん具材の性質もあるだろうが、妥協しないディッシュのプロ魂といったところだろう。
しかし、具材は骨やスープだけではない。
スープの中には、ストライクドラゴンの赤身、内臓、エンペラ部分などが入っている。
「トロットロだな」
スープもトロトロだが、中の赤身もプルプルして、輝いていた。
「よーし。今度は鍋だ。いっぱいあるからな。慌てずゆっくり一列に並べ。あと熱いから気を付けるんだぞ」
「お、おい。お前たち、何者だ」
「ここらでは見かけないなあ」
鍋の具材を渡そうとした時、衛兵が割って入ってくる。
「カンタベリア王国子爵アセルス・グィン・ヴェーリンだ」
アセルスが仲裁する。
「実は私が治める街まで、ここの者は助けを求めてやってきた。急ぎ来たが、街はこの状態だ。何かできぬかと思ってな。一緒についてきた、私の料理番に料理を作らせた。街のみんなで食べてほしい」
「そ、それはかたじけない」
「しかし、その料理は一体?」
衛兵の興味も、実は料理だったらしい。
すでにスープには長蛇の列ができている。
今から並んで食べるのは時間がかかるだろう。
(あまりこういうのも好きではないが……)
ヴェーリン家の領内なら叱責しただろう。
が、今ここで騒ぎはあまり起こしたくない。
「ディッシュ、3杯ほどこっちにいただけないか?」
「ああ。構わないぜ」
ディッシュからスープが入った椀をもらう。
「どうぞ。検分されよ」
アセルスに言われるまま、衛兵たちはスープをすすった。
「「「ぬっっっっはああああああああああ!」」」
先ほどの少女と同じく、衛兵たちは絶叫した。
「なんだ。このおいしさは……。特にこのスープの重厚な旨みはなんだ。魚醤と塩で調えているが、スープの熱さと一緒に胃にがつんとくる。これ1杯飲んだだけで、土鍋いっぱいのスープを飲み干したかのようだ」
「このプルプルした食感の具材がたまらねぇ。噛んだ瞬間、歯の裏まで弾力感が伝わってくる。しかも、一噛みするとふわって消えるんだ」
「んめぇぇぇええええ!! 食べた瞬間に、染みこんだスープが吹き出してくるぞ。こんなにうまいもんを食べたのは初めてだ」
絶賛する。
中には泣き出す者もいた。
その声を聞き、アセルスは表情こそ澄ましていたが、心の中では強くガッツポーズを取っていた。
ディッシュも椀によそいながら、してやったりと笑っている。
「どうかな? うちの料理番が作る料理の味は?」
「うまい」
「こんなおいしい料理を食べたのは、初めてだ」
「一体、何のお肉なんだ、これは?」
いよいよ鬼門となる質問がやってくる。
それはそうだろう。
こんなにもおいしいのだ。
聞いて、自分で作ろうと思う人間も1人や2人はいるかもしれない。
アセルスは冷静だった。
「それはヴェーリン家秘伝の料理でな。何の具材かは明かせないのだ。もし、ヴェーリン家に来てくれるなら、その時いつでもご馳走しよう」
「そうか。それは残念だ」
「ところで、今さらで申し訳ないが、ここで炊き出しを行っても構わないかな」
「ああ。構わない」
「こんなおいしい料理なら大歓迎だ」
「住民たちも喜ぶ。いや、すでに喜んでいるな」
衛兵たちは満面の笑みで帰っていき、自分たちの持ち場に戻っていった。
アセルスは「ふぅ」と息を吐く。
ディッシュに向かって親指を立てると、向こうは笑顔で答えた。
ストライクドラゴンの鍋は上々ようだ。
他の住民たちも文句を言わず、食べている。
むしろ「おいしい」という悲鳴があちこちから聞こえた。
1人ぐらいクレーマーがいるかと思ったが、誰もいない。
熱々のスープに舌鼓を打っている。
この鍋は他の鍋と比較しても、温かい。
さらに栄養分もたっぷりだ。
それまで死んだような顔をしていたご婦人の表情が、水を吸ったように瑞々しく若返る。
ストライクドラゴンには美肌成分まで含まれているらしい。
お肌がぷるぷるになったおかげで、婦人方からは是非料理の秘密を教えて欲しいと迫られた時には、どうしようかと思ったが、アセルスはなんとか説得し、危機を回避した。
まさか魔獣に美肌成分が含まれているとは思うまい。
むしろ魔獣にそういう効果があること自体、ディッシュもアセルスも驚きだった。
結局、ほとんどの街の住民に行き渡るまで、ディッシュは厨房に立ち続けた。
それもまたディッシュの料理人としての覚悟なのだろう。
ついにあれほどあった具材がなくなってしまう。
「はあ……。まさか全部なくなってしまうとはなあ。ストライクドラゴンの鍋を食べ損ねてしまった」
アセルスはガックリと項垂れる。
人の整理していたら、結局食べ損ねてしまったのだ。
それはウォンも一緒だった。
「アセルス、ウォン。ありがとな」
「いや、ディッシュこそお疲れ」
アセルスは吐息を漏らす。
よっぽど残念だったのだろう。
「2人も疲れているだろう。だから、ここからは俺たちだけのシメにしようぜ」
「シメ?」
「そうだ。なんせまだスープは残っているからな」
ディッシュは鍋に残ったスープをアセルスとウォンに見せるのだった。







