menu183 出張版ゼロスキルの食堂
ストライクドラゴンの赤身を醤油につけ、さらにショウガを付けて食べる。
ディッシュとアセルスは黙食。
黙って、ストライクドラゴンの赤身を食べる。
決して不機嫌になっているからではない。
赤身の味に集中していたからだ。
「「うまい……」」
2人の声は喜びに震えていた。
「噛めば噛むほど、赤身の甘みのようなものが滲む出てくる」
「食感もいいよなあ。軟らかいけど、程よい弾力があって。咀嚼に馴染むように歯を押し返してくる」
「臭みというよりは、これは風味だろう。脂っぽさはあまりなく、爽やかに口の中に消えていく」
「馬……、いやどっちかと言えば、鹿かなあ。なのに全然臭みがなくて、アセルスの言う通り後味もいい。脂肪分の少ない上品な赤身を食べてるみたいだ」
食べてみて、身体が不調を来すこともない。
そういう意味で、ストライクドラゴンは当たりらしい。
アセルスとウォンは当然おかわりだ。
ストライクドラゴンは食べる所は少ないが、大きいぶん赤身や内臓はいくらでも用意できる。
加えて、『時の砂涙』の効果によって腐りの進行を心配する必要がない。
新鮮な魔獣肉を食えるのは、かなりの強みだ。
「うまい。うまいぞおおおおおお!!」
『うぉおおおおおんんんん!!』
アセルスは目に光を灯して、夢中になって食べる。
横のウォンも皿をカチャカチャと鳴らしながら食べていた。
一方、ディッシュは近くの切り株に腰を下ろした。その手にはおかわりのストライクドラゴンの赤身がのっていたが、まったく手がつけられていない。
表情もちょっと上の空だ。
「ディッシュ?」
ディッシュの様子がおかしいことに、アセルスは気づく。
ゼロスキルの料理人の視線を追うと、すぐ近くの街に注がれていた。
「なあ、アセルス……」
「みなまで言うな、ディッシュ。ストライクドラゴンの赤身や内臓を、街に提供したい、というのだろう?」
「ああ。でもよ……。これが魔獣だって聞いたら、街の人間から反感を食らうんじゃないかなあってさ」
ディッシュはいつになく弱気だ。
アセルスや店がある街の中のものなら、容赦なくゼロスキルの料理をツッコんでいただろう。
今まで知らない人間に無遠慮に、魔獣食を食わせていた時とは違う。
ディッシュは街にいる人々の人間性を知っている。
それが恐ろしいのだろう。
「ディッシュ。そんなことは言わなくていい」
「いいのか? 後で怒られるかも」
「怒られるなら怒るでいい。賠償を求めるなら、体調に何かあった時に考えれば良いのだ。少なくとも、我々は無事だしな」
「騎士様の言葉とは思えねぇなあ」
「今やるべきは、あの街の中で満足に食べられず、震えている人の心を暖かくすることではないか? 私はディッシュの料理ならそれができると思ってる」
アセルスはポンとディッシュの胸を叩く。
任せたぞ、と言うように。
ディッシュはこれまで魔獣であることを素直に明かして、料理をしてきた。
だからゲテモノと揶揄されたこともある。
それを覆してきたのが、ゼロスキルの料理だ。
別に宣言することが絶対というわけじゃない。
それでも料理人として、具材の安全性を保証することは重要だと思う。
「俺はこの具材の安全性を知ってる。魔獣の肉の旨さも知っている」
「ああ。その責任はディッシュが負えばいい。ゼロスキルの料理人として」
「……アセルス」
「なんだ? やめておくか、ディッシュ」
「ありがとな」
「……!」
「そうだよな。自信満々で食材を出すということは、味だけじゃないんだ。安全も必要なんだよな。それを保証して、責任を負うのは、俺たち料理人なんだよな」
そうやって料理人は切り開いてきた。
未知の食材を、味を、食感を……。
ディッシュは道具袋からエプロンを取り出す。
いつも通り固く紐を締めると、気合いを入れるように、パンと腰を叩いた。
「よしっ! ゼロスキル食堂の出張版をやるぞ!」
「おお! 出張版か! なるほど!!」
「手伝ってくれるよな、アセルス、ウォン」
「任せろ!」
『うぉん!!』
景気のいい声が返ってくる。
すると、ディッシュは再びストライクドラゴンの残った部位を見つめた。
料理道具は持ってきたものだけ。
調味料から考えると、メニューはあまり増やせない。
1品あるいは2品といったところか。
人々が暖かく、手っ取り早く栄養を補給できる料理といえば、あれしかない。
「よーし。作るか……」
ストライクドラゴン鍋をな。
◆◇◆◇◆
その香りはどこからともなく漂ってきた。
野戦病院の隅で小さくなっていた少女。
土木作業に疲れた衛兵。
店を壊されて途方に暮れる老人。
一生ものの怪我を負って、天を仰ぐ若者。
魔獣に街を蹂躙された住民たちの鼻を、香りは等しくくすぐる。
それまで立つ気力すらなかった者たちは、芳醇な香りに気づき、蜜を追う蝶のように歩き出した。
向かうは香りが示すもとである。
右でも、左でもない。
香りしか頼りがないため、方向は曖昧だったが、思いの外あっさりとたどり着いてしまった。
そこは街の入口の前だ。
「おっ! もう気づいたか」
振り返ったのは、15、6歳の若者だった。
即席の竈の前で、汗だくになって、何かを作っている。
香りに気を取られて、気づかなかったが、周囲が凄く暑い。
原因はすぐにわかった。
即席の竈は3つ。薪で火を熾したのかと思いきや使っているのは、石炭だ。
火の魔石を混ぜて使っているのだろう。
もの凄い熱とともに、時々風を送ると火の粉がパッと散っていた。
その前で料理していたのが、青年と騎士、真っ白な大狼だ。
「もうちょっと待ってくれよな。……あ。そうだ。待ってる間に面白いものを食わせてやろう。お腹、空いてるだろ?」
青年が話しかけたのは、野戦病院の隅からやってきた少女だ。
応じる前に、小さく腹の音を鳴らす。
顔を真っ赤にした反応は、なかなか可愛い。
「よしよし。ちょうどいい。すぐ作れるものがあるんだ。ちょっと待ってな」
そういうと、竈から離れる。
大きな鍋を煮込んでいたらしく、中からはおいしそうな香りと、ぐつぐつとなんとも期待の持てる音がする。
それまで固まっていた少女の顔が、思わず緩む。
一方、青年はというと、もう1つの調理場とも言うべきところで肉を切っていた。
大きな肉を一口サイズに切ると、魚醤だろうか、そこにさらにお酒と大蒜を入れた容器の中につけ込む。
澱粉粉をまぶし、先ほどの竈とは別の即席竈の上に吊り下げた鍋の中に投入する。
鍋の中には油が引かれており、澱粉粉をまぶしたお肉を入れると、サァアッと細雨が降ったような音を立てた。
細かい気泡を上げる肉を見ているだけで、食欲が唸りを上げる。お腹は黙ってといっても、黙らない。むしろ、こんなにもお腹が空いていた自分に驚いてしまった。
表面が狐色に染まると、青年は油を切る。
皿に上げると、少女に差し出した。
「どうぞ食べてみてくれ」
「え? でも、お金は?」
「いらねぇよ。ただ後で鍋も出すからよ。他の人にもここで炊き出しをやってることを教えてくれねぇか?」
青年が言うと、少女は素直に頷く。
そして皿を受け取った。
油の香ばしい香りが鼻を衝く。
一瞬、何か黄金色の麦畑に立っているような風景が、頭に蘇った。
揚がったばかりの澱粉揚げを両手で持ちあげる。
「いた、だきます」
恐る恐る少女は食う。
肉の端と端を持ち、やや動きの悪くなった顎を目一杯開いた。
サクッ!
「んんふううううううううう!!」
足先からのぼってきた様々な感情に思わず変な声が上がってしまった。
色々なことが頭の中に錯綜していても、今は1つこれだけはわかる。
この料理がうまいということだ。
少女はハフハフといいながら、出来立ての澱粉揚げを頬張る。
おいしい。
何これ?
普通の澱粉揚げじゃない。
鶏肉のようにジューシーで。
でも、お魚のようなあっさりとした脂で。
食感も不思議。
プリプリで、簡単に噛める。
何より澱粉の衣がサクッとしていて楽しい。
嫌なことを忘れて少女は味に集中する。
未知の味にとにかく酔いしれた。
きっとまた嫌なことを思い出すかもしれない。
でも、このお肉を食べている時と、この温かさに癒されている時だけは、忘れられるような気がした。







