menu176 ゼロスキルの大誤算
ディッシュの構えたお店『ゼロスキルの食堂』は、開店から盛況だった。
1日目に続き、2日目、3日目の売上も目標を大幅にクリア。街の住人との軋轢もなく、すでにリピーターも増え始めている。
その売り上げには驚くが、他の料理店が静かなのも意外といえば、意外だった。
祖国祭の時のような邪魔が入るかと思ったが、どこの店も静観の構えに入っている。そもそも魔獣料理はまったく新しい料理だ。味付けなどはベースになっていても、使われている食材がそもそも違うから、クレームを入れにくいのでは、というのがヴェーリン家の家臣キャリルの推理だった。
また、これもあくまで推測だが、魔獣料理などみんなすぐに飽きてしまうと思っていたのかもしれない。
事実、名前だけ聞いておぞましいと考える人は少なからずいる。いや、いて当然なのだ。元々魔獣食は不味いというのが定説なのだから。
それがディッシュの生み出したゼロスキルの料理によって覆ったというのは、すでにこの時街の噂になっていた。
まず発端はニャリスが働くネココ亭『悪魔の魚の蒲焼き』だろう。さらに伝説の漁師ロドン・ドムが漁師たちに広めた。加えて、カルバニア王国のアリエステル王女が魔獣食に注目しているという噂も、すでに周知の事実であった。
初めは都市伝説。それが風の噂となり、今回ディッシュが料理店を営むと聞き、一気に期待へと変わっていったわけである。
真相を話せば、こんなところだろう。
いずれにしても、ディッシュが魔獣食を知った時にはこんなことにはならなかっただろうし、アセルスと出会った当時でも、魔獣食が受け入れられることもなかっただろう。
本人も意識していない、地道な活動が実を結び、今スキルを持たない少年は多くの人に支持され、料理人として幸福の絶頂に立っていたのである。
……とまあ、ここまで話せば、ディッシュが大成功を収め、フィナーレというところなのだが、そうは問屋が卸さないのが人生というものだろう。
只今、ディッシュは絶賛困っていた。
売上も、客足も上々。
本人もやる気があって、鍋を振るいたくてウズウズしてる。
忙しいけれど、毎日のように新しい料理が思い浮かんでくるし、「おいしい」と言ってくれる人たちの顔が、何よりの活力になっていた。
では、何に困っているのか。
とても単純なことである。
材料が届かないのだ。
「すみません、ディッシュさん」
平謝りしていたのは、商業ギルドのギルドマスターだ。
横にアセルスに加え、ギルドマスターを紹介したルヴァンスキーもそれぞれ腕を組んで、頭を下げるギルドマスターを睨んでいた。
やや空気が張り詰める中、ギルドマスターは説明を続ける。
「あらゆるシミュレーションを行ってきたのですが、こんなことは初めてでして。まさか食材がなくなってしまうとは……。申し訳ない」
さらに謝罪の言葉を重ねる。
まさに平謝りするギルドマスターの肩をポンと叩いたのは、ディッシュだった。
「気にすんなよ、ギルドマスターのおっさん!」
どんよりした空気の中でディッシュの言葉が実に快活に響き渡った。
「俺も調子に乗って作りすぎたのが悪いんだし。気にしないでくれよ」
「そうだ、ディッシュ」
「その通りです、ディッシュくん」
やたらヘラヘラしているディッシュを見て、アセルスとルヴァンスキーはこめかみをピクリと動かした。
「そもそも最初は数量限定だったはずだ!」
「その通りです。今は言わばお試し期間。そのために営業時間も短くしぼっていたのに!」
「ディッシュが調子に乗って、料理を作りすぎるから2週間見込んでいた料理がたった3日でなくなってしまったではないか!?」
「営業時間も当初の倍の時間までやって、店主であるあなたが倒れたらどうするんですか!?」
2人は揃って、絶叫する。
当初の予定では、昼間だけの営業だった。さらに1メニュー当たりの限定数15食と決めていたのだが、アセルスとルヴァンスキーが言ったようにディッシュは完全にそれを無視。結果的に2週間持つと言われた食材の在庫は、3日の間に空になってしまったのである。
こうした限定的な営業方法を取るのには、理由がある。
つまり、魔獣食材の安定的な供給がなされていないからだ。
今、商業ギルドがお金を出して、冒険者に魔獣を食材として取りに行かせているのだが、これがなかなか難しい。
『時の砂涙』があるとはいえ、動く魔獣を綺麗に仕留めるのは、アセルスでも苦労する。レベルが高く、ベテランの冒険者であれば、それなりの成果を持って帰ってきてくれるのだが、その冒険者が毎日山に出かけるということはない。結果、供給にばらつきが出るのだ。
これはギルドマスターも当初から問題となると考えていた。
だから、ディッシュに制限を求めたのだが、あまりに魔獣食の人気が出てしまい、客に出さざる得なかったのである。
アセルスとルヴァンスキーの愛ある鞭に、さしものディッシュも固まる。
そんな彼を、商業ギルドのギルドマスターが弁護に回った。
「いえいえ。ディッシュくんはお客様のご要望にお応えしただけです。それそれで料理人として立派ですよ。まあ、私としてもあまり無理はしたくないですが……。それよりも予想外だったのは、ゼロスキルの料理があんなに、かつ短時間に民衆に受け入れられたことですね。……ディッシュくんが作る魔獣料理の噂は、かねがね聞いていたのですが、こんなにも大きな市場が隠れていたとは……、いやはや私も商人をやって40年近くになりますが、初めてですよ」
困っているかと思えば、商業ギルドのギルドマスターは笑顔だった。
それだけ、投資した甲斐があったというものだろう。
ルヴァンスキーは片眼鏡をつり上げる。
「しかし、店はどうしましょうか?」
「食材がないなら仕方ありません。しばらくお休みするしか」
「何を言ってるんだよ、そんなのもったいないだろう?」
ルヴァンスキーとギルドマスターが話し合うのを聞いて、ディッシュが反論する。
「食材がないなら、狩りに行こうぜ」
「おい。ディッシュ。3日間働き詰めだったのだ。ちょうどいい。休んだらどうだ?」
「有り難い申し出だけどよ。今は料理がしたくてしたくてたまらないんだ」
「え?」
「山に追放された時、魔獣食を食って楽しけりゃいいって思ってた。……でも、ウォンやアセルスとあって、ちょっとだけそういう考えが変わっていって、『ゼロスキルの食堂』っていう料理屋を持ったら、その……あれだ」
「店を持ちたいという料理人としての本能みたいなものを思い出した――というわけだな」
「そうそう! それだよ!」
ディッシュは固有スキルを持っていなかった。
おかげで家族と住んでいた街では多くの迫害を受けた。
人並みのこともできない者は、人並みにできることすら諦めてしまう。
だから、いつか店を持ちたい。
そんな淡い想いすら、アセルスの前では淡々としながらも心のどこかにしまい込んでしまったのだろう。
それが本当に店を構えることができて、爆発した。
今のディッシュを止めることは、アセルスですら難しいらしい。
「店の上の住居スペースのベッドの硬さは悪くないけどよ。俺は休みでも外に出てなんかしてないと落ち着かないんだ。な、ウォン!」
『うぉん!』
ディッシュが話しかけると、ウォンも嬉しそうに答えた。
狩りはウォンの見せ場であり、得意技だ。
店の看板動物として板についてきたが、やはり野山を駆けまわっている方が性に合うのだろう。
それはディッシュにも言えることかもしれない。
「仕方ない。私も付き合おう」
「お! アセルスが来てくれると心強いぜ」
「その代わり、今度はギルドマスターたちが決めた通りに営業するのだぞ。最初の約束でもあるのだからな」
「わかったよ。今度は自重する」
こうしてディッシュとアセルス、そしてウォンは食材を探しに山へと出かける。
しかし、街を出ようとしたところで、人だかりができていた。







